この特別論文は、「「北東アジアにおける核使用リスクの削減(NU-NEA)」プロジェクト– 二度と核兵器が使われないために –」のために執筆されたもので、RECNA、ノーチラス研究所、アジア太平洋核不拡散・軍縮ネットワーク(APLN)のウエブサイトに同時に公開されます。
朝鮮戦争への米国参戦:その始まり、影響、そして教訓
James I. Matray
(要旨)
本論文は、朝鮮戦争がなぜ始まり、どのように米国が参戦することになったのかを分析したものである。第二次世界大戦終了時、米国と旧ソ連は軍事占領地であった朝鮮半島を二つの地域に分断した。米ソの冷戦により、その分断を終了させる試みは失敗に終わり、ともに「統一朝鮮」を願う二つの「朝鮮国家」を生み出すことになった。1950年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が大韓民国(韓国)に侵入した。その際金日成は旧ソ連ジョセフ・スターリン首相に対し「この戦争は短期にかつ容易に勝利できる」と説得し、スターリン首相は不本意ながらも北朝鮮を支援した。米ハリー・トルーマン大統領は、この最初の攻撃を即座に「ソ連が世界を支配するための軍事力行使の第1歩だ」と考えたが、当初は朝鮮半島内に対立を抑え込む戦前の政策を維持すべく、米国の反撃を限定的なものに抑制した。しかし、韓国が北朝鮮の侵入を防げなかったため、共産主義国家による朝鮮半島の支配を防ぐべく米陸軍を派遣することにした。トルーマン大統領は中国が参戦するまで、さらなる戦争を望んではいなかったし、核兵器の使用も考慮に入れなかった。本論文は、米国が韓国を守る安全保障条約へのコミットがあること、そして北朝鮮が弱体化していることから、再び朝鮮戦争が起こることは考えにくい、と結論づけた。
キーワード:朝鮮戦争、ハリー・トルーマン、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、米国
著者紹介: ジェームズ・マトレィ博士は、カリフォルニア州立大学歴史学名誉教授。2002年から2008年まで同大学の歴史学科長を務めた。彼の主要著書・論文の多くは、第二次世界大戦後の米韓関係に焦点を当てている。これまでに9冊の編著書、論文誌や本への寄稿など50本以上の著作論文がある。主要著書: “The Reluctant Crusade: American Foreign Policy in Korea, 1941-1950”、“Crisis in a Divided Korea: A Chronology and Reference Guide (2016)”. Journal of American East Asian Relationsの編集長。現在の研究プロジェクトは朝鮮戦争末期のポークチョップヒルの戦い(勝利なき戦い)についてである。
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