この特別論文は、RECNA、ノーチラス研究所、アジア太平洋核不拡散・軍縮ネットワーク(APLN)のウエブサイトに同時に公開されます。国際著作権許可4.0 に基づいて公開されます。
一家族と核戦争との交差点
Michael Roach
「北東アジアにおける核使用リスクの削減にむけて」プロジェクト
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)
アジア太平洋核不拡散・軍縮リーダーシップネットワーク(APLN)
ノーチラス研究所
2022年8月6日
要 旨
この写真をベースにしたエッセイの中で、著者マイケル・ローチ氏は複数世代にわたる核戦争との接点を驚くべき形で紹介してくれている。その中で、最初の原子爆弾を投下した「エノラ・ゲイ」がテニアン島に帰還したあと、「1945年8月6日-最初の原子爆弾」と署名された機体頭部の写真(これまで未公開)も紹介されている。ローチ氏の父親、ケネス・ローチ氏も、ローチ氏自身も、20年間という時間差の中で、米陸軍でともに核兵器に関与する使命に従事した。父親は1940年代に日本への原子爆弾投下に、そして本人は1960年代に韓国における核爆発装置の使用(実際には使用に至らなかった)作戦にともに従事したという運命を共有したのである。しかし、この歴史的な共通体験を経た父子の核兵器に対する結論は、まったく異なるものとなった。このエッセイは、米国政府の考える核兵器についての考え方、とくに北東アジアにおける核戦略についても示唆を与えるものとなっている。特に、1960年代、朝鮮戦争において核兵器を使用する米国戦略の「非現実性」とリスクを明らかにしている。
キーワード: 核戦争、米国、北東アジア、広島、戦術核爆弾
著者紹介:
マイケル・ローチ氏は、ウィスコンシン州の巨大なトウモロコシと大豆農場に囲まれた、小さな農園で再生可能エネルギーの管理者を務めて、現在は引退。最近は商品物流分析を用いて小麦の文化にかかわる歴史について執筆活動を続けている。 彼の研究活動は、18世紀のクジラ油から現代のマイクログリッドに至るまでの電力技術の歴史を解き明かすプロジェクトの一環でもある。最近では、太陽電池を利用した複数家族のエネルギー高効率モジュラー技術を通して、ウクライナの復興支援活動にもボランティアで参加している。1968年、在韓米軍において、「核地雷(携帯核爆発装置)」技術者として従事した。
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