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特別ワーキングペーパー「南北朝鮮間の『ホットライン』:限界と将来への課題」を発表
2020年12月18日


本ペーパーは、2020年8月にノーチラス研究所及び安全保障と技術研究所(IST)が共催したワークショップのために用意された論文を、ノーチラス研究所の了解を得て特別に転載したもので、国際著作権許可4.0 に基づいて公開されます。


南北朝鮮間の「ホットライン」:限界と将来への課題
 
Chung-in Moon

(要旨)
 1971年9月22日、板門店において南北朝鮮間に初めて「ホットライン」が設置された。1945年8月26日、占領より解放された直後、ソウル市と海州(ヘジュ)市の電話回線が旧ソ連によって断絶されて以来、26年後のことであった。1971年当時、南北朝鮮は韓国の「自由の家」と北朝鮮の「板門閣」の間に、2つの電話回線が設置されていた。これは、韓国赤十字社総裁のチェ・ドソンが提案した南北赤十字会談の結果、両者で情報共有のために必要だと合意されて、同年9月20日に設置されたものであった。それ以来、この電話回線は南北朝鮮の定期的な通信手段として重要な役割を果たし、特に1992年2月に発効した「南北親善合意枠組み(Framework Agreement)」第7条に基づく主要な連絡手段として活用された 。
 金大中政権が発足して、それまで対立して敵対関係にあった南北朝鮮関係は、和解と協力の関係へと変わった。その結果、両国間にいくつもの「直通電話(ホットライン)」が設置された。まず、1997年国際民間航空機関(ICAO)合意に基づき、仁川(インチョン)国際空港と順安(スアン)平壌国際空港の管制塔間に直通電話が設置され、2000年には、韓国の国家情報院(NIS)と北朝鮮の統一前線省との間にもホットラインが設置された。さらに、2002、03年には軍事部門、2005年に管海官庁間、2013年に開城(カイソン)工業地区南北合同委員会間、そして2018年には南北連絡事務所と南北両首脳間にもホットラインが設置されるまでに至った。南北朝鮮は、特別な情勢下にない限り、定期的にこれらのホットラインの点検を行ってきた。
 このように、南北間のホットラインは、1971年以来、南北関係や国際情勢の変化に伴い、断絶と回復の歴史を繰り返してきた。しかし、両国間の関係改善と多方面にわたる協力活動の拡大に、これらのホットラインは有効に活用されてきた。その効果は、南北対話の促進はもちろんのこと、偶発的な軍事衝突の回避、情報共有、人道的支援に関する対話など、多方面にわたっているのである。

著者紹介: 文 正仁(Moon Chung-in)教授は延世大学政治学科名誉教授。現在、韓国文大統領外交・国家安全保障特別顧問を兼務。アジア太平洋核不拡散・軍縮リーダーズネットワーク(APLN)共同議長。

英語版のみとなりますが、全文(PDF)こちら からご覧いただけます。

 


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