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Tamaki’s Blog 【Road to Future】

 

No.0, Wednesday, 26April

皆さんこんにちは!
ナガサキ・ユース代表団5期生 酒井 環です。
これからこの場で日々の日記のように、私が感じたことを更新していきたいと思います!
よろしくお願いします^^

簡単に私の自己紹介を!

私は長崎の私立のカトリック大学、長崎純心大学の二年生です。

人文学部比較文化学科で日々学んでいます。

私がユース代表団に応募したきっかけは、これまで長崎で小中高大学と平和教育をうけてきていることが根本にあります。

多くの被爆者の方からお話を伺ったり、現在の核問題について知り、長崎で過ごし、大学生となった今、私に何ができるのか、素直に考えるようになりました。

そんな時に、ナガサキ・ユース代表団の存在を知り、応募することに決めました。

大学生だからこそできること、そしてこれまで私が思っていたことをユース代表団で実現することができると思いました。

このようなことがあって私はナガサキ・ユース代表団のメンバーとなりました!

まだまだ、語りたいことは多くありますが、ここら辺で(笑)

また今度お話しします~!

話は変わりますが、私はいま中部国際空港セントレアにいます。

昨日のお昼過ぎに福岡空港から中部国際空港まで飛び、今日はヘルシンキ、そして乗り換えてウィーンに飛ぶという予定です。

ちなみに、中部国際空港で人生初空港泊をしました!

携帯で目覚ましを設定していましたが、アナウンスの綺麗な「おはようございます~」の声がモーニングコールになり、すっきり爽快!な目覚めでした(笑)

これもユースとして活動しているからこそできること!

一つひとつが貴重な経験となっていて、とても充実した、刺激のある時間を過ごしています^^

さて、ここでこれから更新していくにあたって、なぜ私がこの【Road to Future】にしたのかについて、簡単にご説明します^^

これにしようと思ったきっかけは、私が好きな曲の内容がこれからのユース代表団の活動にリンクしているように感じたからです。

曲名は『Road to glory』 by嵐 です^^

私が嵐好きなこともかなりの要因になっていると思いますが、歌詞の中にこんなフレーズがあります。

~見つめた場所から その目 逸らさず 背負った幾千の思い 繋いでゆく~

これまでユース代表団のメンバーとして、多くの人に支えられここまで来ました。

見つめた場所、それはウィーン、NPT再検討会議準備委員会傍聴、そして現地時間5月10日に行う国連内サイドイベントを成功させる!という当初からの目標です。

もちろんそれだけではなく、自分の意見、これまで長崎で平和教育を受けてきたからこそ感じることもあるのではないか、そんなことも当初からの目標の一つです。

そして私たちをこれまで支えてくださった多くの方々の思いを、私は精一杯繋いでいきたい、そう思います。

私が感じたこと、私の意見の一つひとつにこれまで支えてくださった多くの方々の思いも詰まっていると感じます。

だからこそ自分の意見も大切に、そしてこれまでの多くの方々から得た学びを生かして精一杯活動していきたいと思います。

そしてglory からfuture にしたのは、これから先この経験を自分の将来へとつなげていきたいと思ったからです。

ただ行って終わりではなく、過ごした時間が着実に自分の身になっていくように、そして将来「あの時の経験があっての今だよな~」と前向きに振り替えられるように、精一杯頑張っていきたいと思います!

長くなってしまいましたが、記念すべきNo.0は以上です^^

最後まで読んでいただきありがとうございました!

これからが本番!自分らしく!できることを一つずつ!頑張っていきます!

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No.1, Monday, 1May

みなさんいかがお過ごしでしょうか?日本は早朝だとは思いますが、Road to Futureを更新したいと思います!

私は今ウィーンにいます。

西垣さんのFacebookにもあったように、今日は昨日から始まるNPT再検討会議第一回準備委員会に傍聴や、サイドイベントの実施などのために、国連に入場するためのパスを受け取りに行きました。

今日の出来事としてはこのくらいなので、今回はこれまで私がNo.0を更新してからの間何をしていたかについてお話ししたいと思います。

4月26日に中部国際空港にいた私は、それから飛行機でフィンランドを経由し現地時間の27日にウィーンに到着しました。そしてバスでハンガリーへ移動し、観光とハンガリーの古い歴史について学びました。

今回は観光よりも、私がハンガリーで何を学んだのかについてお話ししたいので、そこをメインに書きたいと思います。

ハンガリーは1956年10月25日にハンガリー動乱という、当時のソ連に対する民衆の蜂起が起こりました。私はハンガリーの国会議事堂の前にハンガリー動乱のメモリアルミュージアムがあることを知り、それぞれの国で起こった歴史、すなわち血の歴史を知ることも私たちの活動の中に必要なのではないかと思い、行くことにしました。

ミュージアム内は写真撮影が禁止だったため、写真はありませんが、長崎の原爆資料館と似たような雰囲気で、厳かな、重い空気の印象でした。

戦車がバーチャル映像化され、立っている私たちの前に進んできて大砲を打ってくるものや、当時の写真や銃、軍服などが展示されていました。どの写真も生々しく、この動乱がどれだけの人々の命を失うことになったのか、そしてハンガリーの人々にとって重い大きな意味を持っているものだと痛感しました。

私が印象に残っているものに、当時の実相を知る方、長崎でいう被爆体験講和のような、

ムービーが所々上映されていました。その中に今はおそらく70~80歳くらいの女性の方の体験講和があり、私はその内容を聞いて絶句しました。英語字幕だったこともあり正確に理解できているかは自信がありませんが、その方は「人が人の脳みそを運んでいるのを見た」と仰られていました。この時私はこの方が一瞬何を言っているのかわからなくなりました。その後、これまで見た写真や映像を思い出し、当時のこの場でそのような光景があったことを想像し、驚きと同時に全身に鳥肌が立つよな、そんな恐怖感を感じました。

私がこのように思ったことは今回だけではなく、私が小学生くらいの小さいころ、長崎原爆で被爆された方の講話を聴いた時も、このような感情になったことを鮮明に覚えています。

ハンガリー動乱の実相を知る女性の方と、長崎原爆の被爆者の方の講話との共通点は、どちらも聞き手である私たちが想像を絶する恐怖感を感じるということです。

いま過ごしている環境の中でこのような恐怖心を感じることは数少ないと思います。だからこそ、このようなときに感じる恐怖心というものは計り知れません。しかし、私たちに訴えかけてくださる伝える側の方の心情を思うと、私たち以上につらい思いをされているに違いありません。私たちが恐怖を感じるようなつらいといえる記憶を呼び起こし、私たちに伝えてくださっているのです。そのことを思うと、いま、このお話を聞くことができている若い私たちが何かをしないといけない、次につなげないといけない、ただ聞いて終わりにしてはいけないと切実に思います。

現在広島と長崎では、被爆者の方々の高齢化が問題になっています。私たちの世代がお話を聞く機会があったとしても、私たちの下の世代が直接お話が聞くことができるのは、考えたくありませんが残りわずかでしょう。

その時、私たちに何ができるのか、私たちだからこそできることは何なのかと考えると、私は行動に起こすことがまず第一ではないかと思います。

もちろん簡単なことではありません。一体どんな行動に起こすのか、それが成果として後世に引き継ぐことができるのか、課題は多くあります。

私はその中でも、ナガサキ・ユース代表団の一員として、長崎の若者として、被爆者の方々の声を今いるウィーンの国連内で話すことができる際には積極的に伝える努力をすべきだと思っています。

この伝えるということは、小さな一歩かもしれません。しかし、小さな一歩が大きな一歩になることを信じて、ひとつずつ進んでいかないければならないと思います。

実際に私は小さな一歩が大きな一歩になった瞬間を見ることができました。

それは今年ニューヨークで行われた核兵器禁止条約の交渉会議の中でです。

これまでなかなか決まることができなかった、唯一禁止されていない核兵器を禁止するための条約、それが今決まろうとしています。そんな中、NGOの方のステートメントの中で、広島の被爆者のサーロー節子さんのお話がありました。多くの政府関係者やNGOの方は目を潤ませながらサーローさんのお話を聞かれていました。

以前少しだけお話をさせていただいたときに、サーローさんはこれまで多くの場所で被爆体験講和をされていると伺いました。私は国連の場でサーローさんが多くの政府関係者の前でお話しし、多くの人々に伝えることができたのは、これまでのサーローさんが一つ一つ築いてきたものが実を結んだのだと思います。

この時、私たちの若い、それだけれど小さな力も、いつかサーローさんのように多くの人々に伝えることのできる力になるのではないかと感じました。

私たちの若い感性と、被爆者の方々の心からの思い、そして私たち自身の思いを込めて少しづつだけど一歩一歩伝えていくことが、必要だと感じます。

ハンガリーに行ったことで改めて自分たちに今何が必要なのか、そしてこれまで核問題について学んだからこそ、自分たちの意見に加えてこれまで私たちを支えてくださった方々、被爆者の方々の思いを伝えることが必要なのだと、痛感しました。

日本とは異なる国に行くことで学ぶことも多くあります。

視野を広くすることも大事だなと思いつつ、この感じたことを行動に移せるように、明日から会議傍聴やサイドイベントの参加など、頑張っていきたいと思います!

とても長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!!

これから毎日更新していきますので、見ていただけると嬉しいです^^

ありがとうございました!

写真はハンガリーで宿泊した日本人ホステルの方に光岡さんと同じく「What’s your Peace?」を伺ったときに撮った写真です。

皆さんはこの「ガラスのピラミッド」、どんな意味だと思いますか?

よければ考えてみてください^^ 次回その内容も踏まえて更新します^^

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No.2, Tuesday, 2May

皆さんこんにちは。
酒井環です^^
今回は現地時間の今日、5月2日から始まったNPT再検討会議第1回準備委員会での私が感じたことなどをお伝えしたいと思います。

私は3月にアメリカのニューヨークで行われた「核兵器禁止条約」の会議を傍聴することができていたので、今日実際にNPTの会議が始まるまで、自分の中で「核兵器禁止条約の時と何が違うんだろうか?雰囲気?ステートメントの内容???」と素朴な疑問が頭の中を駆け巡っていました。

実際に会議場に入ると、大きな小学校の体育館ほどの大きさの部屋にNPTに参加するべく集まった各国の政府の方々が集結していました。ニューヨークと異なっていたのは、まず会議場がまるで教室のようにきれいにまっすぐ並んでいること。ニューヨークでは正面にある議長席を取り囲むように弧を描くように机が並んでいました。また、私たちが膨張する際に座るNGOの席も部屋の両サイドと後ろのほうにあり、全体的にニューヨークよりも席が少なく、立ち見をしている方もいらっしゃるほどでした。

私たちは今日、会議が始まる1時間前に到着することができたので、無事席を確保することができましたが、今後も今日と同じように早めに来ないと席がない!!と危機感を感じました笑

私たちの活動のメインがこのNPTの傍聴。原点を忘れてはいけません…

さて、少し前置きが長くなりましたが、私が実際に議論されていた会議の内容について思ったことをお伝えしたいと思います。

今日は総勢33か国の国がステートメントを読み上げました。内容としてはgeneral debateというもので、ピンポイントに核軍縮などにフォーカスをあてるのではなく、全体的な面から見たその国の意見を述べるという内容でした。これはすなわち、この内容次第でその国がNPTの中でどの内容にフォーカスをあてているのかがわかる、ということでもあります。(先生から教えていただきました笑)

今日は日本やアメリカ、中国、韓国などの核保有国や核の傘の国も含まれていました。

私が今日印象に残ったステートメントの一つに日本とスロバキア政府があります。

日本政府はトップバッター。岸田外務大臣がステートメントを読まれていました。私の素直な気持ちとしては、私たちと同じ被爆地で生まれ育った人ならば、もう少し核不拡散、NPTの理念を誠実に、多くの国の中で一つ飛び出るくらいのリーダーシップを持った発言をしてほしかった、と思いました。

私たちは今年の3月に広島へ研修旅行に行き、広島の原爆による被害の実相、被爆者の方からの証言などを聞き、長崎とはまた異なる感情、学びを得ることができました。(詳しくはユース代表団のFacebookを少しさかのぼると全員の活動レポートが出てくると思います^^良ければご覧ください^^)

ステートメントの中には核兵器禁止条約を非難する内容や、順番が違う、などの少し後ろ向きにとらえられるものもありました。

広島へ行き、長崎とは異なるものを得られたからこそ、なぜもっと強く訴えかけないんだろうか、被爆者の方の声を聴いたのならなおさら、国の代表として来ているあなたがもっと訴えかけるべきではないのか、そう思いました。

もちろん、これは岸田外務大臣の意志だけではないと思います。私たちが深くどのようにこの文章が作られたかは知ることはできません。あくまでも日本の意見なので…

そう思うのも、私と岸田外務大臣の最初の話の入り方、語りかけかたが似ていると感じたからです。岸田外務大臣はまず初めにこう仰りました。

『被爆地広島出身の外務大臣として,私は,2012年の就任以降,唯一の戦争被爆国としての使命と被爆地の思いを胸に,2015年のNPT運用検討会議等の場を通じ,核兵器のない世界の実現に向けた努力を主導してきました』

この時私は、「私たちも被爆地長崎から来た若者です。とよく言っているんじゃないか、岸田外務大臣が今ちょうど言われたように言っているんじゃないか,,,」と。

もちろんそうです。長崎の若者が集まってこのナガサキ・ユース代表団があります。

私は被爆地で生まれ育ったという言葉を言うからには、自分自身に責任と重みがしっかりとあることを再認識しました。ただ軽く言っていい言葉ではありません。1945年のあの時、何があったのか、そして今なお原爆の後遺症で苦しんでいる方は多くいらっしゃいます。だからこそ、その長崎という特別な地から来たというからには、一つ一つの自分の言葉の重みを感じ、だからこそ自分の言葉に誇りと熱意をもって人と話さなければならないと思いました。一つの軽い言葉が長崎の、被爆者の方も含めた多くの人の総意と受け取られかねないと思ったからです。

次にスロバキア政府。

スロバキア政府のステートメントを読まれていた方が私のすぐ斜め横あたりにいらっしゃったので、表情から息遣いまで身近に感じることができました。

一つ一つの言葉をしっかりと、背中が動いているのがはっきりとわかるくらい、読まれていたのでとても印象的でした

スロバキア政府のステートメントで印象に残っている点が、日本の福島第一原発の事故のことを触れられていたことです。

ほかの国々は直接的には言われておらず、おそらく今日は唯一スロバキア政府の方が触れられていました。

私はこれまで原爆や核問題について学んできていたので、あまり原発についての知識が十分ではありません。しかし多くの国が核の平和利用に言及している中で福島のことを具体的に言われていたのは、それだけ核の平和利用の際にも危険はつきものであり、いま世界の国々が実感しているものなのだと感じました。

私もこれを機に原発についても学び、核の平和利用について深く議論が今以上にできるようになれたらなと思います。

さて、話したいことはまだまだ山のようにありますが、ここで一度切り上げたいと思います^^(長文を読むのは誰でもきついところがありますよね^^ これから少しづつ要約しつつ、皆さんにわかりやすくお伝えできるようになれればと思います!)

明日もgeneral debateは続きます。また更新していきますのでよければ明日も見ていただけたらなと思います!

ありがとうございました^^

といいつつ、前回のNo.1で皆さんに私から質問したことを覚えていらっしゃるでしょうか?笑

ここで答え合わせです!!(世界ふしぎ発見!風笑)

ガラスのピラミッド、と書いてくださったこの方に私もどんな意味なのか聞いてみました。

答えは、「ピラミッドは作るのはとても大変。だけどガラスでできているこのピラミッドは壊してしまうのは一瞬っていう意味だよ」とのことでした。

皆さんはどう思いますか?私はこれを聞いたとき、深いな~~と感服しました。

この方は今ご夫婦で世界一周をされている方で、だからこそこんな答えが出たのかなとも思います。

皆さんにとって平和とは何ですか?

これを機に少し考えてみるのもいいかもしれません^^

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No.3, Wednesday, 3May

皆さんこんばんは^^

酒井 環です。

今日はNPT再検討会議第一回準備委員会の二日目。

私の今日の大まかなスケジュールはこのようなものでした↓

9時から:サイドイベントgovernment briefing (オランダ政府)

10時から:国連内にあるCTBTO(包括的核実験禁止条約機関)でのブリーフィング

14時から:ICRCの方と意見交換

17時から:オランダ政府との意見交換

~9時から18時までの間は基本会議傍聴~

19時から:現地のウィーン大学の学生との意見交換兼交流会

今日はイベントが多く、てんやわんやで笑…

でも一つ一つがとてもいい経験、いい機会で、ひとつのイベントが終わるごとにその余韻をかみしめていました。そして、これだけの機会を得ることができたことに周りの人々を含めて感謝しつつ、今日一日が終わっていきました。

一つ一つを細かくお伝えしたいのはやまやまですが、そうなるとかなりの分量になってしまいそうなので、できる限りぎゅっと凝縮してお伝えしたいと思います。(できるかな…)

※かなり長くなってしまいました…それでも読んでいただけると嬉しいです

① 9時から:サイドイベントgovernment briefing (オランダ政府)

朝一発目に始まるサイドイベント、government briefingはNGOの方と政府関係者の方との質問も交えた意見交換会のようなものです。今回はオランダ政府の方。おそらく今回の会議の議長がオランダの方ということもあり、トップバッターになったのだろうと思います。

私が印象に残っているのは、オランダ政府の方が「私たちには十分な議論が必要だ」とはっきりと明言されていたことです。これはオランダのステートメントでもよく見られることですが、実際に質問をして、それに対してはっきりと強く言われていたことが印象的でした。今回のNPTではどの国も2015年の会議では交渉が決裂してしまったことに触れていました。そして現在の情勢の中で核軍縮を目指すからこそ、議論が必要だということを訴えていました。

私はこの言葉を聞いたとき、“十分な議論が必要“ということは腹を割ってというか、ただ表面上だけの議論ではなく、しっかりと対話のように真剣に同じ問題に向かって考えてほしいと思いました。もちろんこの中に私たちcivil society 市民の声も入っていくことも願っています。

それぞれの国によって抱えている問題は異なると思います。その中でも真剣な議論が必要と訴えていたオランダ政府は、現在は核の傘の下の国ではありますが、きっと前向きに核軍縮に向けて取り組んでいくのではないかと思います。

私はそう願いたいと思いました。

まだまだ語りたいのですが、この後にもオランダ政府の方と意見交換をすることができたので、その時にまたお話しします^^

② 10時から:国連内にあるCTBTO(包括的核実験禁止条約機関)でのブリーフィング

CTBTO(包括的核実験禁止条約機関)は以前3月に長崎で行われていた「critical issues  forum」に事務局長のゼルボ氏が参加されていたこともあり、とても自分自身の中でタイムリーな話題でもありました。

今回はCTBTO職員の方にCTBTの仕組みなどを改めて教えていただき、それに加えて国際機関で働くためにはというテーマでも質問形式のような形で意見交換を行いました。

私が印象に残っているのが、私が職員の方に「国際機関で働くうえでのやりがいは何ですか?」という質問に対し、「まずは何事も挑戦すること」と仰られたことです。

客観的にみると、よく聞く言葉と思われがちですが、国際機関で働く上では数えきれない試練や苦労が多かったことを聞き、その時にもし心が折れてしまったら、挫折してしまったらこれまで思っていた夢はすぐに無くなってしまう。だからこそ、何事にも挑戦し続けることが必要だと仰られていました。

私は、若い今だからこそ多くのことに挑戦していきたいと強く思いました。

このユース代表団の活動もその一つだと思います。しっかりとした大人になってからは失敗することを恐れて躊躇してしまいがちですが、まだ学生だからこそ、若いからこそ!失敗を恐れずに何事も挑戦していきたいと思います!!

考えたことを行動に移せるように!!!頑張ろう!と思った次第です^^

③ 14時から:ICRC(国際赤十字)の方(ルーさん)と意見交換

ルーさんとは今年の3月に行った核兵器禁止条約の際にも一度お話をしたことがあり、とても優しく、私たちの言葉を一つ一つ親身になって聞いてくださる、そんな方です。

私は二回目ということもあり、私が膨張した核兵器禁止条約について質問しました。内容は「核兵器禁止条約の内容を強く厳しくするべきか、それとも緩くするべきか、どちらだと思われますか?」という内容です。ちなみに私は強く厳しくするべきだと思っています。この強く厳しくというのは、核兵器の使用だけではなくコンピューターシュミレーションなどの実験も禁止するというようなものです。核兵器を二度と野に放たれないようにするためには、根本からなくすための努力をしないといけないと思います。だからこそ、強く厳しい内容にすることで核兵器禁止条約の重みを各国が感じ、核兵器事態が世界でタブーだということの枠組み作りに繋がるのではないかと思ったからです。

ルーさんの答えも、「強く厳しくすべき」というものでした。

あまり詳しくは仰られていませんでしたが、実験などの広い範囲まで禁止することが必要だと仰られていました。

今回は私と同じ意見でしたが、様々な方に質問する際には必ずしも同じ意見とは限りません。だからこそ聞いて学ぶことが数多く、視野を広く、critical thinkingすることができます。そしてだからこそ、その尊い時間をできる限り有効に、大切にしたいと心から思いました。

④ 17時から:オランダ政府との意見交換

オランダの政府の方と約30分間意見交換を行いました。形式としては私たちのほうから質問をして、答えていただくというものです。その中で印象に残っているのが、「オランダは市民の声を真剣に取り入れている、尊重している」と仰っていたことです。

オランダは唯一核兵器禁止条約の交渉会議の場にNATOの中で参加していた国です。

以前の日本にいる際の学習会で、オランダが参加するに至ったまでに、市民による参加すべきという世論が影響していると学びました。

それを踏まえ、実際に政府の方から「市民の声、意見を尊重している」というお話を聞くことができたことは自分自身うれしく、心の中で日本も同じように市民の声を今以上に反映させられる仕組みになればと思いました。

こう感じるのも、被爆者の方の意見が多く寄せられる中、どうしても安全保障の問題などでなかなか現実として実現されていないことが多いのではないかと私自身感じているからです。

私は、唯一の核兵器による被害を受けた国、被爆国としてもぜひとも今以上に被爆者の方々や私たちのような若い存在、そして多くの人々の意見を反映させられるような日本、仕組みになってほしいと切実に思いました。

しかし、それを待つだけではなく私たちだからこそできる活動を積極的に行っていくことが必要であると感じます。

私たち自身が世論を動かすことができるようなアクションを、ひとつずつは小さなものかもしれないけど起こせれば、起こしたい!と思いました。

※会議傍聴

午後からの会議ではNGOがステートメントを読む機会が与えられました。核兵器禁止条約の交渉会議の際には毎日約15分から30分程度NGOに時間が与えられていましたが、それはかなりまれな例だそうです。

今回はNGOが発表する機会があるのは今日きりのような感じだと聞きました。

その中で印象に残っているのが、被爆者児玉みち子さんのステートメントと、田上長崎市長のステートメントです。

児玉さんのステートメントでは、娘さんが45歳の若さでがんで亡くなられたことを仰られていました。改めて、核兵器による次世代への人体的な影響を痛感するとともに、この事実を多くの政府関係者まで、その記憶としてはっきりと認識してほしいと思いました。

また、「被爆者が生きている間に核兵器を廃絶することが私たちの願いです。」と仰られているのを聞き、タイムリミットが近づいてきていることを真剣に感じました。若い私たちに何ができるのか、ただ私たち被爆者でないものが言葉で伝えるだけでいいのか、被爆者の方ほどの心に訴えかけるメッセージを残すことができるのかと自問自答しました。

これは今だけの問題ではなく、将来的な問題でもあります。

すぐに答えはなかなか出ません…

そして田上市長のステートメントでは「被爆者の方の体験を聞き、それを自分の家族に置き換えたときに安全保障が重要だといえるか」という言葉が印象に残っています。私自身も聞いたとき切実にそう思いましたし、critical thinkingのような、ひとつの目線だけではなく違う視点からも考えることで核兵器国などにも異なる新たなアプローチができるのではと感じました。また、目で見て耳で感じてほしいとも仰られていた田上市長のお姿は、とても堂々と、でも一つ一つの言葉を大切に訴えかけているように感じ、私自身感動するとともに、同じ長崎から来たものとして、市長のように人の心に訴えかけられるような伝え方をしたいと改めて感じました。

しかし、私は多くのNGOの方のステートメント、発表を聞き、それぞれの立場から核兵器廃絶に向けて精一杯発表されていたにも関わらず、多くの政府がこの場にいなかったこと、そして翻訳用のイヤホンもつけず、手元にあるスマートフォンをいじられている方も多く見受けられたことが残念でなりませんでした。

核兵器禁止条約の際も、しっかりと聞いている方、聞いていない方の差が激しかったことを覚えています。核兵器国は出席しておらず、しかしながらそれでも涙目になって聞く方もいらっしゃりました。ですがそっぽを向いている方などがいたことも事実です。

だからこそ今回のNPTでは核兵器国も参加していることもあり、どんな状況になるのかとても気になっていました。

しかし、実際に見てみると真剣に聞いている国はごくわずか、拍手をする国もとても少なく感じました。NGOの方が発表されているときに手元のスマートフォンでゲームのようなものをされている方を見たとき、正直虫唾が走りました。(かなり近かったのでおそらくゲームではないかと…手元の動き的に?私が見ただけですが…)

また、田上市長や被爆者の方が仰られているときはイヤホンをつけ、その他はつけないなどあからさまに態度が豹変することも見受けられ、とても複雑でした。なぜ聞いてくれないのか、なぜ聞こうとしないのか。頭の中で様々な疑問が飛び交います。

私は前のほうのNGO席に座っていたので全体を見渡せる席でした。

だからこそ、政府関係者の方の目線が下がっていること、シリアスな内容の話をしているのになぜか笑っていること、自分の中で政府の方への疑問が沸き上がりました。市民社会が大事!とステートメントなどで言われている国もあるのに、なぜ今市民社会の代表が話しているのに聞こうとしないのか、自分が見ている光景が理解できず、とても悲しくなりました。

なんだか言葉にできません。

ステートメントだけを見てその国を理解しようとするのは安易すぎるのだと感じました。

だからこそその国の方と直接話ができる際にはできる限り本当に思っていることを、私たちも心をオープンにしつつ、伺いたいと思いました。

またこのような感情になったのも一つの勉強…?とも思いつつ、でもとても複雑です。

私は多くの政府がNGOの声に耳を傾けることができる会議の空間ができることを願います。

⑤ 19時から:現地のウィーン大学の学生との意見交換兼交流会

あまりにも日本語が上手すぎる学生さんたちでした笑

もっとお話ししたい!!!と切実に思い、別れがかなり寂しかったです。

話した内容としてはどちらかというとポジティブなことが多かったです。

それでも私たちに日本語で必死に伝えてくださる学生さんを見て、私も英語で精一杯伝える努力を!今以上に頑張らないと!と思いました!

とてつもなく長くなってしまいました…泣

申し訳ありません泣

うまく要約してお伝えできないのが私のネックです…

伝えたいことが多すぎて…

次こそは!端的にわかりやすく読みやすい内容になるように!!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

明日も様々なイベントがあります。

一つ一つの機会を大切に!頑張ります!!!

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No.4, Thursday, 4May

皆さんこんにちは^^

酒井 環です。

今日はNPT再検討会議第一回準備委員会の3日目。

今日の私のスケジュールはこのようなものでした。↓

9時から:サイドイベントgovernment briefing (スイス政府)

12時から:IAEA(国際原子力機関)天野事務局長との面談

13時から:ハンブルグ大学とダルムシュタット工科大学の学生さんとの意見交換会

14時から:在ウィーン国際機関日本政府代表部にて北野全権大使との面談会

19時から:田上長崎市長との夕食会

① 12時から:IAEA(国際原子力機関)天野事務局長との面談

IAEA(国際原子力機関)は核の番人とも呼ばれています。それほど各国の核物質の状況に対して監視の目を光らせています。

今回は初日にステートメントを読まれたIAEAのトップ、天野事務局長にお会いすることができました。つい先日までNPTの議長席の真横に座られていた方が実際に自分の横にいらっしゃるので、とても緊張したことを覚えています。

また、長崎市の田上市長にと共に訪問し、田上市長と私たちユース代表団とでお話を伺いました。

その中で印象に残っているのが、私が質問した内容でもある「具体的にどのようにしてIAEAでは査察が行われているのか」ということです。

これまでの勉強会ではIAEAが査察を行っていることなどは学んでいましたが、具体的にどのような流れで行っていくのかなどについては私はまだ詳しく知らなかったため、この内容で質問をさせて頂きました。また、率直にこれまで“査察をする”と学んできましたが、なかなかイメージすることができず自分自身どんなものなのかとても気になっていました。また、それと同時に天野事務局長も査察の経験があるのかについてもお聞きすることができました。

答えていただいた内容としては、

① NPT加盟国にそれぞれの国の核物質の量などの資料を提出してもらう

② その内容が怪しい、信ぴょう性を疑ったとき、具体的な行動に移すことになる

③ 監視カメラの設置、シールでの核物質の使用禁止の表示と保護、核物質の詳しい細かな重量などの量の調査 を実際に現地に赴き行う。

というものでした。

これまでなかなかイメージしづらいと感じていたのですが、天野事務局長から一つ一つ順序立てて説明していただき、査察の必要性と、IAEAがNPTをはじめとする核なき世界実現へ向けての重要性を再認識しました。

また、天野事務局長ご自身はこれまで査察に行かれた経験がないそうで、自分も査察に行きたい!!と言われていたことも印象的でした。

また、天野事務局長のお言葉の中で印象に残っているのが、「過去の失敗を次に確実に生かす努力をしている」ということでした。実際にIAEAでは、北朝鮮とイランの問題があり、その問題を今でも忘れることなく現在の活動に生かしていると仰られていました。

私はこの時、以前長崎で被爆者の方からお話を聞いた中でドイツのワイツゼッガー元首相の名言を教えていただいたことが頭をよぎりました。

「過去について目を閉ざすものは、やはり現在に対しても盲目になる」

もちろんIAEAが過去について目を閉ざしていると思っているわけではありません。

私が感じたのは過去のこと現在、そして未来へ生かす積極的な努力がなされていること。この事にとても関心し、私も人の振り見て我が振り直せではないですが、過去のことを見つめなおし、今、未来へと考える長い視点が必要であり、この視点をもっと研ぎ澄ましていかないといけないと感じました。

これらのことも直接お話を聞くことで得られたことなので、先日のFacebookにも書いていましたが、このような機会を大切に、直接伺うことで得られたことを大切にしたいと思いました。

③13時から:ハンブルグ大学とダルムシュタット工科大学の学生さんとの意見交換会

今回の意見交換では主に⑴負の歴史をどのようにして乗り越えるか ⑵原子力の平和利用について ⑶核の抑止力について 話し合いました。

私が印象に残っているのは⑴負の歴史についてです。私は以前ドイツのアウシュビッツでは若者が自らボランティアとしてガイドを行っていると聞いたことがあり、行動に移すまでのドイツでの教育の過程や実際に学ばれているドイツの学生さんたちは、どのように感じているのかこれまで疑問に思っていました。

実際に聞いてみると、まるでバームクーヘンのようなシステムで学びを行っていくそうです。バームクーヘンというのも、”負の歴史であるホロコーストなどの歴史を、若者たちがしっかりと認識し、それをどのようにして現在と未来につなげるかというのを自分たちで考えらえるようになること”がゴールの一番外側の層です。

それまでの内側の層は、根本の歴史を学び→その内容を発展させ→なぜそのようなことが起きたのか、問題意識を持つ→過去という視点から改めて負の歴史を見直す→それらをもとに現在と未来につなげるためにどのようにすればいいのか考える。 というものです。

これらの学びのポイントは、ディスカッションが必要不可欠だということ。

そして年齢が上がるに合わせて内容も難しくなり、一つ一つの層が厚みを増しつつも、しっかりとした層、土台が出来上がってから次に進むというシステムにもとても興味深く思いました。

この内容を聞いたとき、先ほどもIAEAの際に書きましたが、ドイツのワイツゼッガー元首相の言葉を思い出します。過去にしっかりと目を向け、一つ一つの学びを深めていっている彼らの姿はとても自分たちの学びを誇らしく感じているようでした。そのくらい現在の問題としてとらえ、しっかりとした年輪のように積み重なった学びができているのだと、学生さんたちからのお話やその時の勢い、雰囲気から体感しました。

そして彼らは、だからこそ自分たちの身近な問題として考えることができ、行動に移し将来的な問題として考えることができる。と話されていました。実際にホロコーストに関するボランティア活動なども行ってると教えてくれました。

私は日本ではなかなかこのようなシステムがないのではないかと感じています。

このことが一つの要因となり、日本の若者が日本の歴史の負の側面をなかなか理解、認識することができていないのではないかと感じます。実際に私もユース代表団になるまでなかなか日本の負の歴史の面について学ぶことも、理解する機会もありませんでした。被害者としての実相を学ぶことが極端に多いのではないでしょうか。

私自身の経験からも、改めて学ぶ機会の大切さと、継続して行うことでどれだけ自分たちの身近な問題として考えることができるのか、そしてだからこそ行動に移しやすい環境と感情になるのだと感じました。

ぜひこの学び、共有したことを私たちが帰国してから行うピースキャラバン、出前講座などで生かして行けたらなと思います。

④14時から:在ウィーン国際機関日本政府代表部にて北野全権大使との面談会

今回は広島のユース非核特使の学生さんたちとともに日本政府代表部を訪問しました。

北野大使は私たちの質問に丁寧に答えていただき、岸田外大臣のステートメントなどを踏まえて日本政府の考えや今後情勢などについて詳しく教えていただきました。

また、私たちの過半数のメンバーが任命されているユース非核特使についても応援の言葉をいただき、改めて自分たちがナガサキ・ユース代表団として、そしてユース非核特使としても精一杯の自分たちの活動をしていきたいと思いました。

⑤19時から:田上長崎市長との夕食会

田上長崎市長と今日の夜お疲れ様の意味も込めて、夕食会を行いました。

楽しい雰囲気で笑いも絶えず、日ごろはなかなか話す機会のない市長と多くのお話をすることができ、私自身とても感激で幸せな、濃厚な時間を過ごすことができました。

それに合わせるかのように、エンターテイナーなウエイターの方のバイオリンとアコーディオンの演奏も加わり、改めて音楽の都ウィーンの音色を聞きながら楽しく夕食を囲むことができました。

市長からも応援の言葉をいただき、チーム長崎としてこれからも精一杯残りの期間活動していきたいと思いました!!

私が感じたことは以上です^^

今日は会議を傍聴する時間がほとんどなく、会議以外のイベントが中心となっていた内容でした。

もちろん会議を傍聴することが私たちの最大の目的でありますが、それ以外にもこうして様々な方と、幅広い視点からのお話をさせて頂く機会があるというのも、とても感謝しなければならないことだと思います。

そして多くの人からの支えがあって、今いかされている、この経験を積むことができているということにも感謝しなければならないと感じました。

一日一日、充実した、学びと実りのある時間を送っています。

残り私が滞在するのも1週間。残り何ができるのか、感じたことをきちんと行動に移せるのかをしっかりと考え、自覚しつつ残りの日々を過ごしていきたいと思います。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました^^

また明日も更新します^^

お楽しみに~~~!

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No.5, Friday, 5May

こんにちは^^

酒井 環です。

今日はNPT再検討会議第一回準備委員会の4日目。

どちらかというと会議を傍聴できたのは午前中の一時間ほどで、その他の時間はウィーン日本人学校での平和教育の出前講座(ピースキャラバン)の実施や国際機関を訪問していました。

毎日が充実した、本当にかけがえのない時間で、自分なりにこの時間をどう過ごすかを真剣に考えています。自分が今何を疑問に思っているのか、知りたいのか、意見交換をしたいのか、自分の考えはいったい何なのか…考えれば考えるほど知りたいという欲が止まらなくなります笑

そんなこんなで、今日は様々な機会と経験に恵まれました。

私が今日一日感じたことをお伝えします。

毎度のことですが、長くなってしまうかと思います汗

それでも最後まで読んでいただけると嬉しいです^^

まず初めに会議の傍聴。

朝のサイドイベントが急遽無くなってしまったので、えっ!?という戸惑いもありつつも、今日はこの時間だけしか傍聴することができないという自覚を胸に傍聴してきました。

その中でも印象に残っているのが、核の近代化についてです。

今話し合われているのが、Cluster1 核軍縮についてです。

実際にマレーシア政府のステートメントでは核の近代化にも触れられており、「核保有国による核兵器の近代化が核不拡散体制を妨げている」というようなことを述べられていました。確かに私核兵器の近代化が止まらない限り、核兵器が使われる危険性は0にはならず、逆にいつ使われてもいい状態のように感じます。

核兵器の近代化が収束していくことこそが、まず各なき世界へと進む一歩になるのではないでしょうか。

また、マレーシア政府のステートメントの後には、核兵器国でもあるアメリカ政府のステートメントでした。私が印象的に感じたことは、自分たちの核兵器保有と近代化の事実よりも現在問題になっている北朝鮮情勢について時間をかけて述べられていたことです。

他の国は北朝鮮のことを言及するにしても、深く掘り下げている印象ではありませんでしたが、アメリカのステートメントでは金正恩体制を名指しで批判していました。

私がこの時思ったのは、アメリカ自身も核兵器を保有し、核の近代化を行っているにも関わらず、北朝鮮のことを名指しで必用に批判していることに違和感を覚えました。

確かに世界の警察とも呼ばれるアメリカですが、自分たちの功績(過去と比較して数値的にこれだけもの核兵器を減らしたなど)を述べてその後は、他国の批判をすることは少し虫がいい気もしました。

以前学習会でアメリカのステートメントを読んだ際もこのように感じていた私ですが、実際に生でステートメントを聞くことでより一層感情的に思いました。

このように思ったことを忘れることなく、今後も真剣にステートメントを読み、他国と比較しつつ傍聴したいと思います。

その後ウィーン日本人学校へ行き、現代の核問題についての授業を行いました。

私は授業の中では先生の立ち位置ではなく、サブ、補助のような役をし、子供たちが一つ一つの私たちが与える情報についてどのような反応をするのか、様子を見ていました。

今回私は、授業の内容というよりも授業を客観的にみてどう思ったかについてお話ししたいと思います。

他のメンバーがすでにFacebookに少し書いていると思いますが、今回の授業では子供たちに実際に耳で、音で核兵器の現在の核兵器の数を感じてもらおうと、BB弾でのシュミレーションを行いました。

このとき子供たちは目をつぶり、入ってくる情報は耳から聞こえてくる音だけ。

この時の子供たちは、弾が缶箱に入るときの大きな音と勢いに驚いている様子でした。

眉間にしわを寄せながら聞いている子、目をぎゅっとつぶっている子、耳を手で押さえている子、口が開いて放心状態のようになっている子、などその反応は様々でした。

その中でも共通しているのが、「怖い」ということ。

私が授業終了後に3年生の男の子に「さっきの授業どうだった?」と聞いてみました。

するとやはり真っ先に帰ってきたのが「怖かった」という答えでした。

詳しく聞いてみると、核兵器という問題についての授業をこれまで経験したことがなく、まず戸惑ってしまった。そしてシュミレーションで自分に関係がある、そのように感じ深刻な問題、大変な問題なのだと感じたそうです。

しかしその根本にはやはり恐怖心があるようで、話をしている中で「怖かった」という単語が何度も出てきたことが印象的でした。

私をはじめ、授業の中で子供たちに恐怖心を植え付けたいと思ってはいないのですが、これまで私が経験していた中学生対象の授業とは異なり、小学校低学年の授業では子供の受け止め方が感情に直結するものだと痛感しました。

(中学生に授業をしたときは恐怖心というよりも、この数、事実に気づくというような感想が多く上がっていました。)

これから、私が思った今回の授業の改善点をお話ししたいと思います。

私は教育学部生ではありませんが、思ったこと、客観的にみて感じたことをお話しします。

小学校低学年向けの授業をする際に、BB弾シュミレーションなどを使うことは実際に体で感じてもらうという点ではとてもいいアプローチの仕方だと思います。

しかし、子供たちにとっては恐怖心とかなりの確率で直結してしまい、恐怖心をあおるかのような形になってしまったのは事実です。

本来の目的が生徒である子供たちの年齢によって受け止め方が大きく異なり、自発的に核問題について考えるきっかけになるのか、それとも核兵器=怖いという固定概念を植え付けるだけで終わってしまうのか。これは大きな差であり、低学年の子供たちに向けてはアプローチの仕方を少し変えていく必要があると思います。

例えば、子供たちの生活にリンクした、子供たちのバックグラウンドを見据えて、内容を核兵器数などと結びつけて話すのもいいのではないかと思いました。

それというのも、子供たちに話を聞いていると、「水」のことについて話していることが多かったからです。水というのも、飲み水などウィーンでは常に4日分の水しかストックがないそうです。これを社会科見学で学んだ子供たちは、「核兵器が落ちてしまうと、ただでさえ4日分しかない水がすべて無くなってしまう。自分たちの生活ができなくなってしまうから核兵器は落ちないでほしい。」というようなことを言っていました。

これはウィーンという町に住む子供たちだから考えられることであり、身近な環境の問題と核兵器をうまく繋げた考え方だと思います。

このように子供たちの生活、環境、文化の面を私たちが事前に理解しておけば、様々なその地域の子供たちにあったアプローチができ、子供たち自身も親近感を持って考えることができるのではないかと思います。

平和教育、核兵器に関する指導はとても難しいものです。

だからこそどれだけ若い、小さな子供たちに考えるきっかけを与えることができるのか、その機会を得たときにどれだけ私たちが生かすことができるのかをしっかりと考えていかないと思います。

 

次にIAEA国連ツアーについてお話しします^^

これまで毎日会議傍聴などで国連に行っていますが、実際にガイドの方からお話を聞くのははじめて!!

興奮気味でしたが、ポルトガル人のガイドの方が親切かつ、近い距離感でお話ししてくださりとても良い経験になりました。近い距離というのも、時々問題というか質問を出されました。「国連加盟国は何か国?」「どの国が加盟してない?」「IAEAはいつできた?」などなど…

その内容が以前中村先生から教えていただいた内容だったので復習のような感じで、ドキドキしつつも正解した時の安心感とスッキリ感で心がいっぱいでした笑

ガイドしていただいた中で印象に残っているのが、国連の建物の形についてです。

皆さんは国連の建物の形を見てどう思われますか?

なんか変な形してるな~と思われませんか?笑

これにはしっかりとして意味があるそうです!!

それは……

太陽の光が全室に当たるようにするため、このような形の建物になっているそうです!!

今「へ~~~~~」って思われませんでしたか?笑

私はこれを聞いたとき、感心するとともに職員など国連の中で過ごす人々を配慮した構造に驚きました。

個人的には国連は多くの環境問題に関する国際機関があるので、その意味合いでもしっかりと過ごしやすい環境に配慮した構造になっているのではないかと思いました。

これはメンバーの福井君がガイドさんに聞いてくれたことで知ったことです。

何事もわからないことがあったり疑問に思ったらすぐに質問することで、これだけの収穫を得ることができる。改めて質問など行動に起こすことの重要性を感じました。

国連内のIAEAに関するガイドが終了した後に、実際にIAEAで働く日本人職員の方に概要説明と質疑応答の時間をとっていただきました。

印象に残っているのは、核の平和利用について。

私は核の平和利用というと真っ先に思い浮かぶのは「原子力発電」でした。

しかし今回のお話の中では、IAEAが原子力の技術を使い、作物に被害を与える害虫の不妊処理を放射線を照射することで、その害虫自体の数を減らしていくという“SIT技術”や、作物に放射線を当てることで自発的に変異を起こさせ、水害などに強い品種をつくる、“突然変異育種法”など興味深いものばかりでした。

しかし、それと同時に放射線という特殊なものを使っているからこそ、どちらも私たちの口に入るものでもあり安全に配慮した研究が行われているとのことでした。

同じ原子力というものでも、使い方を間違えると大量破壊兵器になり、良い使い方をすると私たち人類の希望になるもの。お話を聞いていて少し複雑になりつつも、今後も上手にこのエネルギーを使い途上国など多くの国で役立たれる、必要とされるものになればと思いました。

質疑応答の時間では、私は「イランとパキスタンの保障措置協定違反の問題以降、IAEAでは具体的に何が変わったのか」について質問させていただきました。

これは先日天野事務局長とお話をさせて頂いたときに、この問題以降IAEAの中で査察官の育成が徹底されるようになったとお話しされていたので、詳しく知りたいと思い質問しました。

お答えをいただいた内容としては、技術力の進歩によって毎回査察官たちが使う検査キットのようなものは更新されているとのことでした。制度的に何が変わったかについては深くはわかりませんでしたが、技術の進歩に比例してIAEA内での査察技術も向上し、インドと北朝鮮の問題を経てなお前進し続けていると感じました。

そして今回教えていただいたことの中にIAEAは自治機関であるということが印象に残っています。自治機関だからこそその分野のプロフェッショナルが集まり、様々なジャンルの活動ができるとのことでした。

これまでなかなか知ることのなかった基本的なことも知ることができ、それと同時に自治機関だからこそできる活動があるということは国際機関という枠組みの中でもとても新鮮に感じました。

また長くなってしまいましたが、以上になります汗

一つ一つの出来事に対して感じることが多く、これでも割愛してるくらい笑

できる限り読んでくれている皆さんに読みやすい内容になるように心がけ、今後も更新していきたいともいます。

一日しかない今日を大切に!感じたことをしっかりとアウトプットし、帰国してから必ず生かす!行動する!!

残り僅かな滞在期間を有意義に過ごせるよう、全力疾走で!頑張ります!!!

最後まで読んでいただきありがとうございました^^

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No.6, Monday, 8May

みなさんこんにちは^^

酒井 環です。

今日はNPT再検討会議第一回準備委員会の5日目。

一日のスケジュール的には、会議の傍聴ができたのは1時間ほどだったのですが、その他の活動として、IAEAの職員の方からのショートトレーニング、私たちユース代表団のメンバーも参加した”Mayor for Peace 平和首長会議“に参加していました。

今日はこれらのことについて、お話ししたいと思います^^

まず初めに、朝9時から11時まで、休憩をはさんで14時から17時までの計7時間、IAEAの職員の方から、ショートトレーニング(これまでの核兵器を巡る歴史について、IAEAの中でも原子力発電などにフォーカスをあてた内容)を行いました。

内容が専門的できちんと理解することができたか少し不安でしたが充実した時間を過ごすことができました^^

午前午後にわけて、お話しします。

午前中のIAEAのショートトレーニングプログラムでは、午前中にIAEAの歴史的側面から見た核兵器について、午後からはアイソトープや原子力発電所など専門的な内容を学びました。

歴史的側面から見た核兵器というのも、その時代の地図上に、核兵器が使われるかもしれない、拡散される可能性があった出来事などが示されていました。

私が印象に残っているのが、話をされていた職員の方の言葉です。

『核兵器という捉えにくい、難しい問題でも、歴史から、地図から辿ることでそのルーツを探ることができる。まずは過去を見てみることも重要だ』

確かに核兵器という問題はなかなか触れにくい問題かもしれません。

私も実際、友人に核兵器についてのインタビューをした時(なぜインタビューをしたかは後日詳しく)、なかなか話してもらえませんでした。

それというのも、触れにくい話題だから、自分には難しいと思っているから、と言っていました。

私はこれまで、このような言葉を聞いた時、諦めることが多かったです。

自分自身、どのようにアプローチしていいか分からなかったからです。

しかし、今回のお話を聞き、身近な歴史や地図から辿るというこれまでの自分ではなかなか気づかないアプローチ法を知り、とても勉強になりました。

歴史も地図も、これまでの中学や高校で学んできた学習の一つです。だからそこ、自然と身近に感じることができます。

核兵器について学んでいる中で、なかなか自分以外の友人に話していても、逆に向こうが困ってしまうという状況もありました。

その時私は難しい言葉だけで説明していたのかもしれません。理論や事実だけ言っていたのかもしれません。

実際にIAEAで働くプロの方からこうして、身近に感じ、考えるきっかけを与えることができるアプローチ法を知ることができとても充実した時間を過ごすことができました。

実際にこうしていろいろな人と会うことで、自分がこれまで気づくことのなかったアプローチ法を気づくことができます。

この気づき、経験を帰国後の活動に生かしていくことが大切であり、必要であると思います。

地理的、歴史的側面から見た核兵器のわかりやすい伝え方を、何らかの形で実践していけたらなと思います。

特に今考えているのは、これも先日お話ししたピースキャラバンについてです。

先日ウィーン日本人学校で行ったピースキャラバンでは、子供たちのバックグラウンド、文化や環境にあった内容で指導することが必要なのではないかと考えました。

今回教えていただいた歴史と地図というアプローチは、子供たちそれぞれの地域の地図や歴史と比較して教えていくことで、また違う気づきがあるのではないかと思います。

次に午後の活動についてお話しします。

午後からのアイソトープや原子力発電のお話の中では、ドイツの原発事情が印象に残っています。

以前Facebookにも投稿しましたが、ドイツとオーストリアの大学生と交流しました。

その際に私のグループの学生はすべてドイツの学生で、原発のことについても話し合いました。ドイツは福島原発事故以降、ドイツ国内から原発をなくすという政策をとっているそうです。この時疑問に思ったことの一つに、「原発がなくなった際、ドイツ国内の電力を賄うことができるのか」ということです。このことを学生に質問したところ、ドイツでは風力、太陽光などの再生可能エネルギーを使い、賄うことができるから大丈夫だ、と言っていました。

しかし、今回IAEAの方のお話では、原子力発電をやめることで不足した電力を再生可能エネルギーだけでは賄うことができないためロシアから天然ガスを買う。と仰られていました。

この時私は、ドイツの学生が言っていたことと違う…!?と思いました。

学生は再生可能エネルギーだけで賄える、IAEAの方は賄えないから天然ガスをロシアから買う、二つの意見は比較することでとても興味深く思えました。

ドイツという日本と似た境遇を持つ国の中で、若者とそれよりも年代が上の層とのギャップ、認識の違いのようなものを感じました。

これも日本にも同じように言えることだと思います。

すべての人が同じように認識しているわけではありません。

だからこそいろいろな人と、同じ国で、同じ環境で暮らす人々から実際に生の声を聴けたことはとてもいい経験になったと思います。

今回もし、ドイツの学生と原発の話をしていなかったらこのように比較して思うこともなかったでしょうし、だからこそ一人一人の出会いで今の経験が得られてるのだと実感しました。

学生には学生の見方があり、それぞれの見方を知ることができたのはとても貴重なことだと思います。

今後も多くの人々に会うことがあるでしょう。その時に自分のこれまでの経験、知識を生かして行動することでより一層の学びがあると思います。

これからも今までの学びや経験を生かして、様々な人と交流をし自分自身高めていきたいと思いました^^

次に、平和首長会議についてお話しします。

私たちがサイドイベントでもある平和首長会議に参加した理由は、まずユースメンバーの山田さん、西垣さんがユース代表団の紹介として発表を行う予定だったからです。

実際に山田さん、西垣さんともに堂々と発表している姿を見て、自分自身誇らしく思いました^^

私が平和首長会議で感じたことは、若い世代の勢いと力強さです。

発表していたのは広島や沖縄から来た高校生たち。発表の内容的には被爆者の方の強いメッセージ性を感じました。私自身、被爆者の方の思いを伝えたいという気持ちが強くあるため、とても共感をもって聞くことができました。

しかし、最も印象に残っているのは、高校生の皆さん自身の思いを前面に込めた発表方法でした。

初めの挨拶は生き生きと若々しい声で元気よく。しかしスライドが一枚変わるとその声は一変しました。

重々しい、強く力強い声へと変わり、身振り手振りの動きから、そして見つめてくる目からもひしひしと高校生たちの思いが伝わってきました。この時私は全身に鳥肌が立ったことをはっきりと覚えています。もちろん言葉の内容やスライドのメッセージ性もありますが、何よりも高校生たちの声に感動しました。

もちろんこれは高校生のみなさんの練習、伝えたいという気持ちの成果であると思います。しかしそれに加えて、若いからこそ、その敏感な感性が、思いが直接私たち利き手の心に響いていると感じました。

私たち大学生よりも若い高校生の皆さんのプレゼンテーションを見て、私自身強い刺激を受けましたし、自分もナガサキ・ユース代表団の一員として頑張らなければ!胸を張って活動していけるように精一杯できることをやっていきたい!と思いました。

これまで私は深い情勢を学ぶことができたからこそ、自分の無力感を感じることが度々ありました。

しかし、改めて若い力を感じ、自分の力に自信を持つことができたと思います。

何事にもひたむきに活動していけるように、一日一日を大切に過ごし活動していきたいと思います。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました^^

いよいよウィーン滞在も残り本当にわずかになってきました。

毎日毎日が新たな経験と気づきの日々です。

「Road to Future」最初に決めたこの言葉を忘れずに、このかけがえのない日々を自身のFutureにつなげていけるように、つなげるために!頑張っていきたいと思います!

いよいよラストスパート!!!

チーム長崎!ナガサキ・ユース代表団として、最後まで頑張ります!!!

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No.7, Tuesday, 9May

みなさんこんにちは。

酒井環です^^

更新が遅くなってしまい申し訳ありません。

読んでいただけると嬉しいです

今日はNPT再検討会議第一回準備委員会の6日目。

一日のスケジュールとしては、昨日に引き続きIAEAのショートトレーニング、サイドイベントでともに発表する韓国の全北大学の学生との初面会!、そして翌日のサイドイベントの最終調整を行いました。

今日も盛りだくさんの一日でした^^

一つずつお話ししていきたいと思います。

まず初めにIAEAのショートトレーニング。

昨日はどちらかというと職員の方に説明をしていただくという座学のような形でした。

しかし今日は!社会科見学のような、インターンのような、実践的な活動を行いました。

流れとしては、ウランの数値などを図る部署にお邪魔し、実際に機器を使って数値を図る体験を。その後IAEAの査察で用いられるセキュリティシール(以前Facebookにも少し書いたので、良ければそこを見ていただければ)や防犯カメラなど、実際に使用されているものを使って多くの体験をさせて頂きました。

今回はその中でも印象に残っている査察の部署での体験をお話ししたいと思います。

以前のFacebookで、なかなか“IAEAの査察”と言われたときイメージがしにくかったと書いていたと思います。

それというのも特にシール!

天野事務局長から直接お話を伺った際も、「シールを使って材料が開封されないようにします」と言われていました。

みなさんは、シールで開封されないようにします。と言われてスムーズにイメージできますか??

私はなかなかできませんでした笑 「えっ?シール?シールで守れるものなの?」と思ったのが私の率直な感想でした笑

だからこそ査察にも、その内容にもとても興味があり、それと同時に「やっぱり企業秘密だから教えられないのかな…?」と思っていました。

しかし今回!このような貴重な機会を通して、これまで私が疑問に思っていたことをスッキリ!解決することができました。写真も交えながらお話しします^^

IAEAの査察で用いられているシール、みなさんはどんなものを想像しますか?

テープみたいな感じ?ガムテープのような?

実際に使われているものは見た目はいたって普通の紙のシールでした。

でもこのシール一枚に核兵器の材料となるものを開封させないための様々な工夫がなされていました。

まず手順としては、材料が入った容器に針金を通してねじったりしながら止めます。

そのあとにこのシールが登場します!

このシールを針金を包み込むようにし、貼っていきます。私も実際につけるところを見ていましたが、誰にでもできるような普通にシールを張っているだけのように見えました。

職員の方から「だれかばれないようにこのシールをとって開けてみて?」と言われ、挑戦してみました。すると、見た目はかなりシンプル。くっついたシールをはがすだけだと思っていましたが…

ダメでした…笑

どこが難しかったかというと、どれだけくっついたシール同士を破かずにはがすことができるか。

私の場合挑戦から10秒もない間にびりっ!という音が聞こえました笑

慎重にゆっくりはがしたつもりなのですが、それでもすぐに破れてしまいます。

とても難しかったです。あれは破けないようにはがすのは相当器用な人でも無理だと思います。そのくらい難しかった…

この時みなさん、「敗れるようなセキュリティならダメなんじゃない?」と思われませんでしたか?

私もそう思いました。しかしこのシールの重要性は、『開けてはならないものを開けようとした痕跡が残ってしまう』ということです。

この痕跡が残ることでこれまでのその国がIAEAに提出してきた情報に疑惑がわいてくるそうです。

とても興味深い考え方でもあるし、だからこそこのシールの役割を明確に理解することができたと思います。

また、その他にもカバンをファイバーのようなひもでがっちり固めて保護する方法など様々なことを教えていただきました。

このファイバーは無理やり開けようとしてひもを引っ張ったり、ねじったりすると、ファイバーの断面が最初封をした時と変わっていきます。(最初に断面の写真を保存し、シリアルコードなどで管理するそうです)

この断面の変化で『開けようとした痕跡』が残っていくのだそうです。

今回の査察部の訪問を通して、セキュリティと一言で言ってしまうのは簡単すぎる、いろいろな形があると感じました。

IAEAのように、ペンチやほかのものですぐにそのセキュリティを破ることはできる。でもこの特殊なセキュリティがあるからこそ、多くの国が厳守し、IAEAの規則を尊重しているのだと思いました。

一方で各国のステートメントなどで聞くsecurity asuarance なども同じsecurityです。

でも私たちの想像以上にその効果は絶大です。Nuclear Free World を作りたい、その中で立ちはだかる大きな壁の一つです。

どうやってこの壁を乗り越え、すべての国が真に目指すことができるのか。

今回いろいろなセキュリティの形を見て、改めて感じ、考えさせられました。

答えをすぐに出すのは難しいものです。しかし、NGOステートメントで被爆者の児玉さんが仰られていたように、「被爆者が生きている間に核廃絶を」という言葉を思い返すと、時間はありません。

まだ10代の若者に何ができるのか…

この何ができる?行動に起こしたい!!この気持ちを帰国後の活動に生かしていくことがまず必要です。

この活動に生かすという言葉を私は何度も多用してしまいますが、だからこそ自分を奮い立たせている、決意、使命感を感じています。

絶対に生かす!行動する!!

IAEAの査察の内容からここまで話が飛んだことに私自身もびっくりですが、すべての活動はこれに通じていると思います。私たちがこれまで学んできたこと、目指す目標。

原点回帰を忘れずにしたいと改めて感じた時間でした。

話は戻りますが、このIAEAショートトレーニングでは最後に、国際機関(IAEA,CTBTOなど)や政府代表部で働く皆さんとの座談会がありました。

5名の日本人職員の方がお話をしてくださり、とても充実した、自分自身の将来、それこそFuture につながるものを得ることができたと思います。

私がみなさんにお聞きした内容は、「実際に世界情勢で何か重大な事件が起こった時、みなさんが所属されている組織では何が起こっているのか?」というものです。

私の個人的なイメージとして、やはり国際機関ということもあり普通の企業とは違う対応の仕方やactionがあるのではないか、と思っていました。

IAEAで働く方から教えていただいたのは、「その事件が起こった際、解決までには長期間かかること」ということです。もちろんピリピリとした雰囲気が漂うそうですが、問題が国レベルであるため、解決までにはスムーズにいくとは限らず、長い目で見て、そして問題解決に向けチームで努力するとのことでした。

実際IAEAで起こったイランの保障措置協定違反の問題解決までかかった年数は2002年から2005年までの約3年。

国際機関で働く皆さんは長い期間その問題に対して継続してかかわり、どのようにしたら解決できるかと試行錯誤しているということを聞き、問題が国レベルということもあり、柔軟に対応することが必要なのだと感じました。

また、CTBTOなど違う組織によっても変わるそうですが、問題発覚後すぐに文書を制作し、会議を始める、ウィーンから出ないようにとのお達しが来ることも多々あるそうです。

実際にお話を伺うことでより一層、国際機関に憧れが芽生えましたし、同じ日本人として誇らしく思いました^^

みなさんの経歴もお話ししていただき、楽にここまで来られた方はいらっしゃいません。だからこそ人生経験も豊富で、多くの今後の進路や将来についてのアドバイスもいただきました。不安な面もある今後ですが、人生の先輩方からのアドバイスを胸に頑張っていきたいと思います。

いつか、進路選択に迫られたとき、きっとみなさんのお話が、経験談がよみがえり自分の背中を後押ししてくれるのではないでしょうか。

本当に良い経験でした。この機会を得られたことに感謝したいと思います^^

次に、韓国の学生との初顔合わせについてお話しします。

サイドイベントでともに発表する韓国の全北大学の学生さん4名とやっと生で会うことができました。これまでSkypeだけだったのでとても嬉しかったです。

一人一人が個性的で、でも発表に対する熱意をひしひしと感じました。学生に会えたことでより一層、自分たちも頑張らないと!一緒に作り上げよう!と感じました。

これまで会うことができなかったこともあり、ほとんどサイドイベントの事務連絡的な話ばかりだったので、この場に書くことはこのくらいですが、まず!!会えてよかった^^

そして話し合った場所は、憧れの国連内のカフェテリア!

噂には聞いていましたが、本当においしくてにやにやしながら食べていたことを思い出します笑

国連ということもあり、internationalな料理が多かったのも印象的です。

日本食からトルコ料理まで幅広く、選ぶ時間さえも楽しかったです^^

写真にあるのは、オレンジの生絞りジュース。生絞り機の写真がないことが残念ですが、本当に果汁100%!オレンジのうまみをひしひしと感じ、元気が出ました!

(ちなみにスーパーでも生絞り機は置いてあったので、みなさんもウィーンに行かれたときはぜひ^^)

そして最後に、NGOルームの準備について。

ユース3期生を務めていた穣さん、3期、4期を務めていた秀さん、の二人の先輩方にアドバイスをいただき、最終調整を行いました。

もはや調整というよりも変更が多かったと思います。

先輩方とお話ししていて思うのは、本当にすごい、なんでこんな気づきが、考えが湯水のごとく出てくるのだろう。ということです。

一つ一つのスライドをしっかり見ていただき、自分たちが気づきえなかったことまでピンポイントに指摘、的確にアドバイスしてくださります。

だからこそお話ししていて驚きも、納得も、いろんな感情が出てきます。

これもひとえに先輩方のこれまでのユースの活動が根本にあるのではないかと思います。

先輩方の背中を追いながらここまできました。でもだからこそ少し遠く感じることもありました。自分は先輩方のようなことができるのか?

でも今日こうして親身に話を聞いてくださり、夜中まで付き合っていただき、最後にはエールまで送ってくださった先輩方の背中はやはり大きいです。

でもだからこそ、私はその背中をみてもっと高みを目指さなければいけないと感じました。

必ずしも同じことはしなくていい。でも目指すもの、志はみな同じ。だからこそ自分だからできるアプローチを見つけて行かなければならないと思います。

そしてユースが今後も、私たちの下の世代へと引き継いでいきたいと思うならなおさら、自分たちがどれだけここで学び、成長できるかも大事なのだと改めて思います。

先輩方の愛情と熱意を、そして背中を押してくれた温かみを感じつつ、そろそろここで締めたいと思います。

まだまだ言いたいこと、語りたいことは尽きませんが…

いよいよ明日はこれまでの4か月の集大成!サイドイベント!

Why is Youth action so important?~Japanese & Korean Youth~

先輩方からのエールを胸に!頑張ります!!!

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No.8, Wednesday, 10May

みなさんこんにちは^^

酒井 環です。

今日はNPT再検討会議第一回準備委員会の7日目。

私たちの大きなイベント、これまでの目標でもあったサイドイベントの日です。

今回はサイドイベントをやって、私がどう思ったかお伝えしたいと思います。

また、その後先日交流をしたドイツとオーストリアの大学生たちが行っていた模擬国連にもお手伝い兼傍聴という形で参加しました。

それについてもお話しします^^

今日はお伝えしたいことが多くこれまでの文章、最長を更新してしまいました…

途中で休憩しながら読まれることをおすすめします…

申し訳ないです…

私たちのサイドイベントの題名は、

Why is Youth action so important? ~Japanese & Korean Youth~

ナガサキ・ユース代表団のメンバーとして任命されたのが今年の1月、それから約4か月間、この日のために日々ミーティングを積み重ねてきました。

この議論がなかなかまとまらず、深夜に及ぶこともごく普通なくらい、そのくらい力を入れて頑張ってきました。

この4か月間の集大成、それが今日、5月10日です。

サイドイベントは、5つのグループに分かれてプレゼンテーションを行いました。

私たちユース代表団のプレゼンが概要説明を合わせて4つ、韓国の学生のプレゼンが1つという内容です。

私はユースのプレゼンの中の「Public opinion」という題名でプレゼンを行いました。

全体的な流れとしては、初めに日本が今年の3月に行われた核兵器禁止条約の交渉に誠実に参加することは難しいと述べたことから始まりました。この導入にしたきっかけは、「Public opinion」のメンバー(福井さん、中川さん、私)全員が実際にニューヨークで行われた核兵器禁止条約の会議を傍聴していたからです。

そして、そこから日本がまず初めに昨年の10月に行われた国連総会第一委員会で「核兵器禁止条約」制定の交渉開始についての決議の際に反対したことまでさかのぼり、その時の市民の世論はどうだったのかという点から掘り下げてゆきました。

最終的には、世論の関心が核兵器に向いていないことを挙げ、どうすれば現代の核兵器の問題に関心を持ってもらえるか、考えるきっかけになるかを考え、私たちの結論としては、「教育」が重要であると考えをまとめ、発表しました。

現在の教育の中で現代の核問題について教えられていることが少ないことから、教育を現代の核問題についてもフォーカスをあてていくことで、市民が核兵器について考えるきっかけになるのではないかと考えたからです。

そして私たちが今できること、今後実施していくことの一つとして、4期生の先輩方から始まった「Peace Caravan 」を挙げ、現代の核問題についてもフォーカスをあて出前講座を行っているという点を強調し、プレゼン終了という運びになりました。

三人でそれぞれパートを分けてプレゼンを行い、私は最初の核兵器禁止条約についてと、最後の私たちが行う具体的活動としての「Peace Caravan」について述べました。

今回は私が担当したところを重点的にお話ししたいと思います。

私がサイドイベントをやって感じたこと。それは一つ一つの言葉の重みと、それを伝えるときの覚悟、そして伝えることの難しさです。

私が担当した中で特に気を付けて、感情をこめて言った場所があります。

それは実際に私たちが核兵器禁止条約に行き感じた、「日本政府も核兵器禁止条約に参加してほしかった」ということ。そして核兵器禁止条約の会議の中で広島の被爆者の方の藤森さんのスピーチを私が読むところ。最後に被爆者の方の声を聴き、私たちが感じたことを言うときです。

まず初めの実際に私たちが核兵器禁止条約に行き感じた、「日本政府も核兵器禁止条約に参加してほしかった」というところ。

この内容を考えたときは、ニューヨークから帰ってきてそう時間がたっていないときでした。だからこそ、ストレートに、かつ力強いメッセージ性を持つ内容でした。

私が実際に本番でプレゼンをしたとき、目の前には日本政府の高見沢軍縮大使がいらっしゃいました。

おそらく、私がニューヨークから帰ってきてすぐの状態でこの場にいたならば、堂々と力を込めて、大使の目を見て言っていたでしょう。しかし、本番では私は会場全体を見ることしかできませんでした。

実際にニューヨークでスピーチをされたご本人だから、ということもあるかもしれませんが、心の中になぜか思いっきり言えない何かがありました。緊張ではない何かが。プレゼン前の練習の時には言えたのに、なぜ言えなかったのか。すべてが終わった後冷静になって考えると、それははっきりとわかりました。

「言うことは簡単。誰にでもできる。」ということ。

NPT再検討会議第一回準備委員会を傍聴し、様々なサイドイベントに参加したり、いろいろな方とお話しする機会があったり…

この中で感じていたのが、一人ひとりあったすべての人が様々なバックグラウンドを持ち、そのうえで責任をもって発言されていること。

それはニューヨークの会議の場で、「建設的に、誠実に会議に参加することは難しい」と言われた大使も同じことです。

理想を語ることは簡単です。しかし大使として、政府の人間としていうとなれば話は変わります。その一言一言に責任と重みが加わり、大きな影響力があることを各国の政府の方々とお話を通じてひしひしと感じていたからです。

ある政府の方も仰られていました。

「私たちは国民を守らなければならない」

そうです。私たちは守られている。そう感じると、守られている側の私が言葉で理想を語ることは簡単で、だからこそ注意しなければならない。理想を語るなら語るだけの強い意志と責任を持たなければならないと感じました。

もちろん、私は今でも日本に核兵器禁止条約の交渉に参加してもらいたいと思っています。

唯一の核兵器による被害を受けた国。だからこそ、参加することでリーダーシップをとって核廃絶へと国々を、世界を、導いてほしいと心から思っているからです。

しかし、NPTに参加した1週間の間で感じたことは、この内容を考えたころの私よりかは考えが現実的になり、視野も広くなりました。これも毎日の多くの気づきがあってこそです。

だからこそ、今考えること。

もっと自分たちが掲げた問題点を深く、様々なバックグラウンドまで理解しておくことが必要だった。ということです。

言葉で言うのは簡単。だからこそ、自分ができる最大限で様々な面まで、バックグラウンドまで理解しておくことが、自分の言いたいこと、伝えたいことが理想ではなく、現実的なものとなって聞き手の心に入っていくのではないかと思います。

NPTの期間で感じたから、学ぶことができたから、このように自分の考えを改めて見つめなおすことができました。

今回述べた考え、主張が間違っていると思っているわけではありません。

今あげたことを付け加えることで、さらに利き手の心に届くプレゼンに、説得力の増すプレゼンになったと思っているからです。

こう思えば思うほど、伝えることの難しさを痛感します。

いろいろなNGOの方のサイドイベントに参加したからこそ分かる、経験の差からの難しさもあると思います。

この気づきをどうPeace Caravanなど帰国後の活動に生かしていくか。

これからの課題です。

次に、被爆者の藤森さんのスピーチを読むとき。

一言一言、あの時、ニューヨークの国連で聞いた藤森さんの堂々とした声、訴えかけてくる思いが蘇ります。

そして実際に藤森さんとお話をした中で、私たち若い世代にかける思いを感じ、伺っていました。

だからこそ、しっかりと被爆者の、藤森さんの思いを次はウィーンの国連の中にも届けたいと思いました。

私にできること、それは気持ちを込めて読むこと。

本番、藤森さんのスピーチを読むとき。深く深呼吸をしました。緊張していたこともあり深呼吸といえるほどしっかりと落ち着けるようなことをしたかは怪しいですが、まずはしっかりと切り替えようと思いました。

これは自分の言葉ではなく、藤森さんの思いであるということ。それをこの場で私が話す。この重みを感じました。

スピーチの内容は、「核兵器国と同盟国が核兵器廃絶の条約をつくることに反対しています。世界で唯一の戦争被爆国である日本の政府は、この会議の実行を盛り込んだ決議に反対しました。被爆者で日本国民である私は心が張り裂ける思いでこの日を迎えています。」でした。

どういえば藤森さんの思いが伝わるのか。

私が意識したことは、ゆっくりと読むこと。そして私自身心に残っているフレーズ、「心が張り裂ける」というところを特に強調して、はっきりと読もうと思いました。

本番では緊張していたこともあり噛んでしまいました…

それでも伝わっていたのかな?少しでも何か心に届いていないかな?と思いました。

そのとき聞いていた観客の方は、先日交流をしたドイツ、オーストリアの大学生や、ICANなどNGOの方々。

藤森さんとお話をしたときに仰られていたのが、

「被爆証言でもなんでもいい。聞いたこと、感じたことを誰かに伝えてほしい。話してほしい。それだけでいいんです。」

藤森さんのスピーチを私が代わりにウィーンの国連のサイドイベントの場で伝えました。

それがまた誰かに伝わってほしい。伝わることを信じたい。そう思います。

そして最後に、ニューヨークで聞いた藤森さん、サーローさんお二人のスピーチを聞いての私たちの思い。

「We have to remember Hibakusha’s feeling towards nuclear weapons and total elimination of them.」

これは当然のこと?長崎で育ちこれまで多くの被爆者の方々からお話を聞いてきた私にとってこれは当然、当たり前のように感じますが、それが当たり前ではなくなってきているのが今の現状です。

だからこそ、この場で長崎の若者として伝えなければならないと思いました。

できる限りジェスチャーを含めて、相手の目を見て、言いました。

するとその時NGOの女性の方がうなずかれているのを見ました。

あ。伝わったんだ。伝わっているんだ。と感じた瞬間でした。

小さな一歩。でも私にとっては大きな一歩でもありました。

この一歩が、一歩ではなくずっと歩き続けられるように、伝えていきたいと胸に思いました。

全体を通してうれしいと思ったことも事実ですが、実際来てくれた方はとても少なかったのが現実です。

最後のQ&Aセッションの時に残っていた方は4人。

チラシ配りや宣伝などできる限りやったと思っていたけれど、それだけでは足りなかった。伝えたくても聞き手がいないと伝わらない。現実の厳しさ、伝えることの難しさを痛感しました。来てくれたドイツとオーストリアの学生さんなどたくさん褒めていただけました。

しかし、それでも人がもう少し来てくれれば。

これが本当の無力感であるとも思いました。

4か月間かけて作り上げたものが聞き手が4人。

もっと多くの人に聞いてもらいたかった。そう思います。

この思いを次のメンバーに味わってもらいたくない。だからこそ、問題点をあぶり出し、次へとつなげなければならないと思います。

いい点、悪い点、様々。だからこそ次へとつながる。つなげていかなければならない。

そう痛感しつつ、ここで立ち止まらずに進んでいきたいと思います。

この時点でかなり長くなってしまっているので申し訳ないのですが、あとドイツ、オーストリアの大学生たちの模擬国連について話させていただきます^^

模擬国連と言われて皆さんはどんなイメージがわきますか?

実際私が見て思ったこと。そのままです。忠実に再現された国連での会議です。

議長が中央にいて、各国の政府代表を学生がしています。

今回の会議の内容は「核兵器禁止条約」

実際の会議では核保有国と核の傘の国は参加していませんでしたが、模擬国連の場では参加していました。

ここが現実とは違う、模擬国連のいいところだそうです。

100%同じ結末になるわけではないから、いろいろな意見、結論が出ます。

実際に模擬国連の場で印象的だったのが、何度も賛成、反対、棄権、の採択が行われましたが、反対と棄権しているのがほとんど核兵器国とその傘の国。

もし本当に禁止条約にそれらの国が参加していたらそんな風になったんだろうなと思いながら傍聴していました。

また、オーストリアがボイコットするという事件も起きました笑

会議の内容に不満だったようで、出て行ってしまいました。

いろいろなことが起こることも、模擬国連のいいところ。

傍聴していてとても楽しく、そして学生たちの政府代表のなりきりのクオリティにとても驚きました。

中村先生にお聞きしたのですが、実際模擬国連をするまでには約3か月はかかるそうです。

それだけその国の立場、考えを学び、理解しておくことが必要不可欠であり、だからこそ濃い内容の議論ができるのだそうです。

そのこともあり傍聴していてとても興味深かったですし、本当に実際の会議を傍聴しているようでした。

私たちも模擬国連をすることができたらな。と思いました^^

絶対にお互いを高めあえるきっかけになると思うからです。

学ぶだけではなく模擬国連という場でアウトプットする。

ユースメンバーでやれたらいいな~!^^白熱した議論が生まれそうです。

そして今回は傍聴だけではなく、メッセンジャーという各国が「こうしてほしい!」というような内容の手紙を運ぶ配達員のような役でお手伝いさせていただきました。

(A国のステートメントを聞いたB国がA国にメッセージを送る)

写真は立石さんがメッセンジャーをしているところです^^

このような経験も今だからできること。

学生たちの模擬国連の中でこのような形で携わることができてうれしかったですし、実際に国家間でこのような意見のぶつかり合いがあっていることを生で感じました。

また、運ぶたびに「ありがとう」と言ってくれる学生さんたち。

本当にうれしかったです。このうれしいという気持ちもまた平和なのかな。と思いました。

かなり長くなってしまいました。

最長の長さです…

いろいろな学びと気づきがあった今日。

今日という日を次のステップへとつなげる一歩へ。

今日がNPT再検討会議第一回準備委員会の傍聴など参加するのは最後の日。

振り返りはまた次の機会に。

最後まで読んでいただきありがとうございました^^

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No.9, Tuesday, 16May

みなさんこんばんは^^

酒井 環です。

私は先日12日金曜日に帰国しました。

荷物もすべて手元に届き、一安心です^^

(ただ、スーツケースの中でシャンプーが少し爆発していました…)

今回本当は最後の投稿をアップすることもできたのですが、私が大学で学んでいる分野が「比較文化」ということで、ウィーンに行き、会議と並行して町中の風景や人々に触れながら感じたこと、日本とオーストリアの文化を比較してみて感じたことを簡単にお伝えしたいと思います^^(本当はきちんとした学問として文化を比較することが正解だと思うのですが、少しラフにお伝えします。)

まず、楽しい話題から。

日本では電車など公共交通機関には犬や猫など動物は基本乗ることができませんよね?

しかしオーストリアでは普通に犬など動物が乗ってきます。

最初はかなり驚きましたが、乗ってくる犬たちはみな静かでおとなしい印象でした。

日本がなぜダメで、なぜヨーロッパなどの(ハンガリーも大丈夫でした)地域は可能なのか。疑問に思いつつも、動物たちと人との距離が近い暮らし、日常のように感じました。

ちなみに、券売機では犬と人、同じ値段です。

人のマークの横に犬のマークもあり、動物にも人と同じようにチケットがいるようです笑

そして、ほかのメンバーもすでにFacebookに書いていましたが、ウィーンのほとんどのお店は夜7時に閉まります。そして日曜日はほとんどの店が閉まっています。

だからこそ私が感じたのが、ウィーンで暮らす人々のにじみ出る穏やかな暮らし。

日本と比べるとゆっくりと時が流れているような印象でした。

日本は働きすぎ、過労死などが問題になっていますが、オーストリアでは24時間営業のお店はほとんどありませんでしたし、適度に働いて適度に休む、そして家族との時間を大切にしているように見えました。

実際多くの家族連れを見かけ、幸せなひと時のようでした。

オーストリアが核兵器廃絶に熱心な国であることと、時間がゆっくりと流れるような穏やかな暮らし、平和な暮らしがリンクしているように思いました。

ステートメントからわかるその国の特徴と、実際にその国を訪れ感じる雰囲気なども含めて学び、感じることでより一層その国のことや、世界的な情勢など客観的にみても理解することができたと思います。

楽しい話題から次、最後の話題へ。

最後の話題は、オーストリアの負の歴史、darkside historyについてです。

ドイツ、オーストリアの学生たちと交流、ディスカッションをした際にも上がった負の歴史。

私のグループにはドイツの学生だけだったので、オーストリアの負の歴史については直接話を伺えませんでした。

なので私は実際に町中にあった負の歴史を表すものを見て感じたことなどをお話しします。

なぜ私がこれほど負の歴史について話すのかというと、やはりウィーンに行く前の事前学習の内容にあった、長崎の岡まさはる記念館での学びがあります。

長崎で主に原爆を中心とした平和教育を受けてきた私にとって、その内容を知り、新鮮というよりも衝撃的に感じました。なぜこんな大切なことを、知らなければならないことをこれまで知らなかったのか。

このように感じたからこそ、日本も今の教育の中に負の歴史、加害の歴史についても触れるべきだと思いましたし、日本以外の国ではどのように負の歴史をとらえているのかについて興味があり、ウィーンでも機会があればぜひ知りたいと思っていました。

ウィーンで見た、感じたものはこれから紹介するものだけでした。

本当はまだあったとは思いますが、会議が最優先ですので偶然見つけたこの碑についてお話しします。

『戦争とファシズムへの戒めの記念碑 Monument against War and Fascism 』

これはウィーンのアルべルティーナ広場という中心地に近いところにありました。

初めて見たときは土下座をしているように見え、何のモニュメントだろうと思っていました。しかしよく見るとうずくまっているように見えました。体には鉄線のようなものが巻き付いていました。

この時は何も知らないまま見ていたので見た目で感じたこと、苦しそう、悲しみのイメージなどしかわかりませんでしたが、それから気になり自分で調べてみたところ、オーストリアの負の歴史を表すもののひとつであることを知りました。

この碑があるアルべルティーナ広場の周囲の町には多くのアパート群が立ち並んでいたそうです。そして1945年3月12日に第二次世界大戦の爆撃で全壊し、地下室などに避難していた何百人もの市民全員が亡くなられたそうです。

オーストリアはヨーロッパの中でも小さな国で、これまで多くの戦争を乗り越えてきた国です。そのことで多くの市民の血が流れてしまった。

そしてファシズムというもう一つの負の歴史があり、爆撃だけではなくファシズムの影響でも多くの人々が亡くなったそうです。

このうずくまっている像は地面を這うユダヤ人を表しているそうです。

(体中に巻き付いているのは有刺鉄線だそうで、当初はついていなかったそうですが、この像を知らない観光客が腰掛けにすることが多く、有刺鉄線が付け加えられたそうです。)

そしてこの地面を這うユダヤ人の像の前にあるのが、“暴力の門”

門の右側はナチスによる迫害の犠牲者を、左側は戦争の犠牲者を表しているそうです。

この時私は長崎の平和記念像と似ていると思いました。

長崎の平和記念像も、まっすぐ空へと掲げられている右手は原爆の脅威を、横に伸ばした左手は平和を、横に倒した足は原爆投下直後の長崎の静けさを、立てた足は救った命を。そして閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているそうです。

平和記念像も、この暴力の門も、一つ一つに作り手の思いが込められていて、それを感じ取り意味をしっかりと理解できた瞬間は、やはり心に残るものがあります。

その当時の記憶を風化させることなく、後世へと引き継ぐために碑という形にして私たちに伝えている。そう考えると、伝え方にも様々なアプローチがあることを再認識しました。

戦争とファシズムへの戒めの記念碑。地面を這うユダヤ人の像と、この暴力の門はどちらも過去に多くの人々が戦争やホロコーストによって亡くなったという負の歴史を人々の記憶から忘れさせないために建立され、現在も多くの人々の目に留まっています。

この碑を目にすることで改めて戦争、ファシズムについて考えるきっかけにもなると思います。

実際に私もこの碑を見たとき、言葉を失いただじっと見つめていました。

それと同時に改めて過去の歴史について考えるきっかけにもなりました。

日本と比較すると、やはりヨーロッパは日本以上に過去の歴史、負の歴史に言及しているように感じました。

これはドイツの学生と話をしていた時も同じように感じたことです。一人一人が敏感に感じていることのように思いましたし、この碑があった場所は観光の中心地。周りには美術館やお土産屋さんが立ち並ぶ中に負の歴史を表す碑がおかれています。

それだけでも、どれだけ人々が他人事ではなく感じているか。改めて考えさせられました。

まだ私はファシズムについても、日本の加害の歴史についても深く、詳しく知っているわけではありません。

ただ私が思うのは、もう二度とこの過去の歴史を、負の歴史を繰り返してはならないということです。ウィーンで暮らす人々も、私たち日本で暮らす人も、一瞬のうちに平和な暮らしが、幸せな暮らしが消え去ってしまう。これは一つの事実であり、過去から学ばなければなりません。

実際にホロコーストや戦争の歴史が残るヨーロッパ、ウィーンに行き感じたことは生々しくも改めて自分のことのように考えることができました。

日本人学校で子どもたちに授業をした時も、子どもたちに「核兵器のことについて、他人ごとではなくて自分のこととして考えてほしい」そんな思いもありました。

だからこそ、自分自身、この碑を見て改めて自分のこととして考え、子どもたちに伝える側としても原点に返り、考え感じることの重要性を痛感しました。

どんな気づきも、学びも必ず今後の活動に生かされるものだと思います。

会議だけではなく実際に町中で感じたことも含めて、今後の活動に積極的に携わっていきたいと思います。

長くなりましたが、番外編はここら辺で^^

最後まで読んでいただきありがとうございました^^

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No.Final, Wednesday, 17May

みなさんこんばんは^^

酒井 環です。

今回は【Road to Future】のFinal 、最終号です。

これまで約10回更新してきました。その内容は一日一日その日にあった出来事の振り替えりと、その中で私が思ったことなど、日記のような感じで更新させていただきました。

今回は、これまで2週間弱、傍聴をメインにサイドイベントなど参加した「NPT再検討会議第一回準備委員会」の振り返りをしたいと思います。

最終号になりますので、読んでいただけると嬉しいです^^

ウィーンに滞在し、NPT再検討会議の傍聴やサイドイベントの参加をして私が感じたこと、それは「出会い」です。

ウィーンで、国連内での出会いはどれほどだったでしょう。

毎日誰かと出会い、意見交換をし、様々な形で自分たちの知識や考えを共有し、視野を広げることができました。

政府関係者の方や、国際機関職員の方、NGOの方、同世代の大学生や高校生など、ウィーンに滞在していた2週間ほどで多くの人々とお会いすることができました。

これまで長崎で核問題やそのほかの様々な分野の専門家の先生方と、事前学習という形で多くのことを学んできました。だからこそ、自分たちの学びを生かす場所でもあり、新たな気づき、経験を積む場でもありました。

会議が始まると、毎日がほんの数時間のような速さで過ぎていきました。「もう今日一日終わったの!?」そんな印象です。

そんな中でもウィーンで、国連で過ごす一分、一時間、すべてが新たな気づき、学びで、本当に充実した時間を過ごすことができました。

私が個人的に感じているのは、この会議を通して、「出会い」を通して自分自身確実に前に進み、成長することができたということです。

もちろん、多くの方との「出会い」で自分では気づかなかった視点や考え方、自分の気持ち、考えの伝え方など多くのことを学ぶことができました。だからこそ、毎日更新してきたFacebookにも気づきや考えたこと、改めて自分を含め、物事を客観的に見つめなおすこともできました。

しかし私がFacebookを書きながら思っていたことは、なかなか行動として移せないということ。感じたこと、学んだことが多くても、行動に移せなければアウトプットできません。Facebookだけがアウトプットの場ではありません。

しかし、NPT傍聴最後の日、いつも政府の方とのアポイントメントはほかのメンバーが率先してやっていることが多かったのですが、最後の最後に、自分から政府の方と一対一でお話をすることができました。

ほんの立ち話ですが、フィリピン政府の方と。

なぜフィリピン政府の方とお話をしたいと思ったかというと、会議二日目のフィリピン政府のステートメントが強く印象に残っていたからです。

ステートメントの最後のほうに言われた「Nuclear holocaust」という言葉。

この言葉がずっと私の中で疑問に思いつつ、どんなことを思ってこのようなことを言われたのだろうと感じていたからです。ホロコーストという言葉からナチスドイツのような大量虐殺を思い浮かんだということもあります。

また、だからこそなぜそのような重い意味もあるホロコーストという言葉を使ったのかについても気になったからです。

改めてステートメントを読み返してみると、“the only way to ensure the prevention of a nuclear holocaust is to take away the nuclear option from the hands of men who are so fallible”.と仰られており、これは2015年のNPT再検討会議でフィリピン政府が言われたことをもう一度強調し、改めて今回の会議でも、「この準備委員会の中で核軍縮と核不拡散の柱をより一層努力しなければならない」と仰られていました。

改めて、フィリピンという国の核兵器に対する強い廃絶への意思を感じていました。

しかし、なぜホロコーストという言葉を使ったのか。ということを思うと、ずっと疑問に思っていました。

今回歩いているフィリピン政府の方に直接声をかけ、実際にお話を聞くことができ、私がフィリピン政府のステートメントに関心があること、そしてNuclear holocaust という言葉について聞きたいということを話すと、実際にその時ステートメントを読んでいた代表の方が詳しく教えてくださりました。

あまり深く内容は言えないとは思いますが、他の国とは異なり、あえてholocaustという言葉を使ったのは核兵器廃絶とその非人道性について深く言及するとともに、言葉の重みを含めて伝えたかったという風に仰っていました。そのくらい核兵器は恐ろしく、使われてはいけないもの、だからこそ一言一言を強調して言わなければならないとも仰られていました。

この言葉を聞いたとき、フィリピン政府の方の核兵器廃絶に対する思いをステートメントを読み、聞くだけでは感じえないことまで、肌身で感じました。

特に、一対一で話しているからこそ、政府の方が私の目を見て真剣に話してくださり、本当にうれしかったですし、私が長崎から来たことを伝えると、「長崎に一度でいいから行ってみたい」と仰られていました。その時の表情は本当に生き生きとされていましたし、同時に楽しみということだけではなく、真剣に被爆地に行きたいという思いを感じました。

この時私は、田上長崎市長のNGOステートメントを思い出しました。

「まずは長崎に来て、目で耳で感じてほしい。」と仰られていたことを。

田上市長のお言葉が、思いがしっかりと各国の政府の方に伝わっているのだと実感しました。

私はサイドイベントを経験した今、伝えることの難しさを感じ、どうすれば伝えられるのか、伝えるだけでいいのか。そう考えていました。

だからこそ、こうして政府の方から直接お話を伺い、だからこそ気づくことができた市長の思いが、願いが伝わっているということ。

そして伝わった思いが、次は行動に移されようとしている、その瞬間を感じ、私たちも伝えるだけではなく、伝わった人たちがさらに行動に起こせるような伝え手になりたいと、心から思いました。

それと同時に、物事を悲観的に考えすぎていたのかもしれないと思いました。

私はほかのメンバーほど英語がうまく話せないので、アポを取るのも、政府の方やNGOの方などに質問するのも時間がかかってしまうことが多いです。

少し奥手になっていたのかもしれません。

しかし、会議が進むにつれ自分の中で行動に移したいという気持ちと、自分の中にある壁を越えていきたいという思いが生まれてきました。

だからこそ、最後にフィリピン政府の方を見たとき、「後悔したくない!この場でしかできることをやりたい!」と感じ、政府の方を走って追いかけ、お話をすることができました。

本来ならばもっと初めからこのようにやっていたら、今以上に多くの政府の方と意見交換ができ、経験も学びも深められたと思います。

しかし、この思い、反省もまた一つの経験なのかなと思います。

後悔しても仕方ない。だったら次へ生かす一つのステップにして、もっと前に進まないと。そう思います。

もし、私が来年も会議の場にいることができるのなら、未来の私に言いたいことは一つです。

「行動あるのみ!!恐れないで自分の思いに素直に行動して!話して!そして学んで!」

と背中を押してあげたいです!

自分でも知らない間に私のブログのタイトル、【Road to Future】に行きついていることに少し驚いています笑

でも未来の自分へ言葉を書いている今、思うことは、「この名前にしてよかった。」ということ。

このブログを書きながら、未来への道に繋がる時間を過ごすことができたと思っています。

もちろん、できたこと、できなかったこと、納得できなかったことも多くあります。

だからこそ、この感情を、思いを、将来へとつなげたい。

「あの時こう思ったから、次はこうしないと!」と、自分で会議に参加していたあの時の自分を振り返り、今はどうすればいいのか、いいところ、悪かったところすべてを含めて次へと繋げていきたいです。

そうすればきっと、きっと、今自分が想像するよりも大きな未来が待っていると思うからです。

その第一歩は、ウィーンから帰国してユース代表団としての活動です。

今のところ、前回のFacebookにも書いてありましたが、ピースキャラバンなど…

まだまだこれからどうなっていくのか、自分たちが何をしたくて、何ができるのか、どうすればこの経験を活かし、多くの人に伝えることができるのか。

今後の活動はまだまだ未知数。

でも今の時点で言えることは、必ずこの経験を生かすこと、そして積極的に行動し、多くの人に私たちの思いや経験を伝えられる“伝え手”にならなければならないということです。

でも、この生かすという言葉は難しい… どう生かす?どんなふうに?いつ? ?マークが多く出てくる言葉です。だからこそ、私は確実に、必ず、この会議で感じたこと、ウィーンの街中で感じたこと、学んだことの多くを伝えられるようになりたいと思います。

そして伝え方も、このFacebookで、そして多くの出会いの中で学びました。

私は感想の時など感情論が多いのですが、だからこそ人の心に直接語りかけられるのではないかと少し前向きに思っています。

自分の力を最大限伸ばして、多くの人に伝えられる“伝え手”となれるように、今後の活動も精一杯、全力で頑張っていくつもりです!

自分らしく、でも自分に厳しく、頑張っていきます!

これからもウィーンに行く前のように、メンバー同士で議論しあい、お互いを高めていくんだろうな~~

そんなイメージも沸いています^^

いつも仲良く、でも話すときはしっかりと、意見をぶつけ合える仲間。

それがナガサキ・ユース代表団五期生だと、私は思います。

ウィーンに滞在している間、みんなで助け合い、お互いを思いあっていたからこそ、無事全員楽しくも実りある日々を過ごすことができました。

メンバー全員と、先生方、そしていつも影ながら支えてくださっている協議会のみなさん、今読んでくださっている方をはじめ多くの方々に感謝し、【Road to Future】Final を締めたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました^^

毎回長文のFacebookでしたが、読んでいただけたことが毎日の活力になっていました!

本当にありがとうございました。

これからも自分らしく、頑張ります!

ナガサキ・ユース代表団の今後の活動にもぜひ興味を持っていただけると幸いです。

ありがとうございました。

ナガサキ・ユース代表団五期生

酒井 環

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