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Kei’s Blog 【生の”こえ”をとどけ隊】

 

No.0, Monday, 1May

みなさんおはようございます、私は、ナガサキ・ユース代表団第5期生の片山桂維です!ウィーンは8時を回ろうとしています!(日本時間は昼の15時ですが…)第0弾が少し遅れてしまいましたが、これから日本への帰国までの間、毎日ブログを書いていこうと思います。よろしくお願いします!

さて、No.0では・・・

○私の自己紹介

○私がナガサキ・ユース代表団をしてみようと思ったきっかけ

○そもそもナガサキ・ユース代表団とは

○4/25~5/1の活動報告

○さいごに

などなどを書き綴ろうと思います。

○私の自己紹介

➢私は、愛媛県の最南端「愛南町」の出身で、現在長崎大学教育学部多文化理解実践専攻の3年生です。今はまっていることは、寝る前のユーチューブ鑑賞とRADWIMPSの音楽を聴くことです。『君の名は』は3度見ました!私はとにかく食べることが好きで嫌いなものは一つもありません。そのため、RECNA (Research Center for Nuclear Weapons Abolition/長崎大学核兵器廃絶研究センター)の暗黙の了解である、「完食することから平和は始まる」という言葉がとても好きだし、本当にその通りだなと思います。教育学部の3年生ということで今年は実習が3つもあります。それにプラスしてのナガサキ・ユース代表団の活動となるので、うまく両立して挑戦・成長の1年にしようと思います。温かく見守っていただけると幸いです。

○私がナガサキ・ユース代表団をしてみようと思ったきっかけ

➢私が、ナガサキ・ユース代表団に応募しようと思ったきっかけは、1年次の時にひょんなことから始めた「長崎市ピースボランティア」のでの活動と2年次から選択した「核兵器に関するモジュール」で中村桂子先生に出会えたことが大きいと感じています。私は、愛媛県出身ということもあり、ナガサキ・ヒロシマの原爆の被害について詳しく勉強する機会がありませんでした。そのため、縁あって4年間を過ごすことになった長崎という地で、ここでしかできないことをしたいと思い、紹介されたのが「長崎市ピースボランティア」だったのです。ピースボランティア(以下ぴーぼと省略)では、自分自身で被爆遺構を巡ったり、被爆者の方々から直接お話を聞いたりしながら、長崎の被爆の実相を知り、全国の小、中学生に伝えて、意見交換をするというような活動をしていました。ぴーぼでは、基礎的な被爆の実相について知ることができたのが、今後の生活を分けてくれたと思っています。全国の小、中学生と意見交換をする際、やはり一番感じたことは知識レベルに差がありすぎることでした。私が以前そうだったように、日本の歴史について核問題を除いても知らないということは損だなと思います。そのためできるだけ多くの人に興味を持ってもらえるようにしたいです。2年次から始まるモジュールという授業では、他学部の授業で興味のあるテーマについて勉強できるということで核兵器に関する授業もあったので、取ることにしました。3人の先生方が授業をしてくださるのですが、その中の一人に中村桂子先生がいて、ナガサキ・ユース代表団第4期生の募集をしていました。そこで、海外の人たちに核兵器について話す機会があるユースの活動をぜひしてみたいと思いやってみました。結果は落選でしたが、桂子先生の「良ければ学習会だけにでも参加してみないか」というありがたいお言葉に甘え、参加するようになりました。4期生の先輩方やレクナサポーターズはとても優しくて、全く知らない私にいろんなことを教えてくださいました。長崎に頼れるお兄さんお姉さんができたかのようでした。私は、ありがたいことに4期生の平和出前講座(Peace Caravan)に同行することができ、名古屋についていき授業をすることができました。高校生と実際に話し合うことで生の“こえ“の大切さを実感するようになりました。長くなりましたが、そんなこんなで「学び、知るということの大切さ」、「学んだことを伝えることの重要性」、「若い世代との交流の楽しさ」からナガサキ・ユース代表団5期生に応募し、現在に至ります。

○そもそもナガサキ・ユース代表団とは

➢そもそも、ナガサキ・ユース代表団とは簡単に言えば、長崎県、長崎市、長崎大学の3者が共同で行っている若者人材育成プロジェクトの一部であり、長崎に住む大学生~25歳までの若者がメンバーとなっています。メンバーの構成は年々さまざまであり、今期は長崎大学、純心大学、長崎県立大学、社会人の計9名となっています。

○4/25~5/1の活動報告

➢さて、本題までもう少しお付き合いください。

私は、4/25の18:15福岡国際空港発の上海、パリ経由でウィーンにやってきました。乗り継ぎでは、上海からパリに向かう飛行機が2時間半も遅れ、チェックインもうまくいかず、パリでチェックインをし直さなくてはならず、パリ→ウィーンの飛行機に乗り遅れて便を変更しなくてはならないというハプニングがありましたが、なんとか無事にウィーンにつくことができました。ウィーンにつくと少し肌寒かったのですが、暑がりの私には涼しくて心地よかったです。ウィーンでは4/30までは各自で部屋を予約しなくてはならなかったため、ホームステイのような感じでメンバーの福井君と同じ部屋を借りてそこで生活することになりました。人の温かさに触れることができた数日間でした。

4/27には、ウィーン日本人学校の事前打ち合わせに向かいました。(5/5の13:05~14:20頃まで授業をさせていただきます。)子どもたちに実際に合うことはできませんでしたが、教頭先生、校長先生はじめ、ほかの先生方にあいさつをすることができました。ユースの先輩方から受け継いだ外国の日本人学校での出前授業を有意義なものにして、しっかりと思いを伝えて、子どもたちに核兵器の問題は他人事じゃないんだよ、ということを少しでもわかってもらえたらと思います。同じ世代のお兄さんくらいの人たちの生の“こえ”はとても貴重であり、とても響くものがあると信じています。彼らの中に何が残るのかはわかりませんが少しでも良い時間になってくれることを期待しています。そのためにも準備を重ねていきたいです。

そして、昨日(5/1)は国連にパスを取得しに行きました。国連に入ると警備がしっかりとしていて、ついに明日から始まるのかなという緊張感を持つことができました。教育実習が11日から始まるため、7日の朝にウィーンを発たなければならず、ほかの人より滞在期間が短いため、少しでも多くの収穫がある5日間にするため、精一杯頑張りたいと思います。

○さいごに

➢最後になりましたが、今回の会議では核兵器禁止条約で条約に交渉しなかった日本政府が何を言うのか、そして、核兵器保有国が何を言うのか、その二点に焦点を当てて会議の傍聴に臨みたいと思います。ウィーンで実際の目で見た、耳で聞いたことを生の”こえ”として長崎に持ち帰りたいと思います。

今回のブログのタイトルは、【生の“こえ”をとどけ隊】に命名しました!私が体験した、生の“こえ”の重要性と、それを私が実際に伝えたいという思い、そして、○○隊というものをかけてみました。できる限り私が見たものをそのままありのまま伝えていけたらと思っています。

最後まで読んでいただいた方々、ありがとうございました。

これからの数日間よろしくお願いいたします!

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No.1, Tuesday, 2May

皆さんこんばんは!ナガサキ・ユース代表団5期生のウィーンは現在2時を回ろうとしています。(日本はおはようございますですね

今日からついにNPT再検討会議第1回準備委員会が始まりました。国連に足を踏み入れると、会議に参加するためにスーツを着た人たちがたくさんいて、本当に会議が始まるんだなと気が引き締まりました。今回の2週間にわたる会議では、3月に行われた核兵器禁止条約の交渉会議とは異なり、NPTによって核兵器の保有が認められた五大国(米、英、仏、露、中)も参加しての会議でした。その国や、核の傘に入った国々がどんなステートメントを読むのかとても楽しみに会議に臨みました。

さて、No.1では・・・

○午前の会議の様子

○午後の会議の様子

の2本立てでお話していこうと思います。最後まで読んでいただけると嬉しいです。

○午前の会議の様子

➢NPT再検討第一回準備委員会では、会議の開会式で議長が選出され、20分くらいかけて事務的な手続きをしていきます。その後次回の準備委員会の議長を任命します。そして、一般演説が始まるという仕組みになっています。

午前の部では12の国が演説しました。ステートメントは以下URLを添付しておきます。(http://www.reachingcriticalwill.org/disarmamen…/…/statements) 演説1発目は、日本政府(岸田外務大臣)でした。私が、楽しみにしていたステートメントの一つであり、席啞中が注目するステートメントだったと思います。日本政府の意見としては、「非核保有国と核保有国の対立を強める結果にはしたくない」というものでした。発表の中で、唯一の戦争被爆国である日本として、非人道性に訴えかけるような努力をしていて、非核保有国と核保有国との格差を埋めるための方途となるのが日本でなければならないとしていました。①透明性を高める(CTBT:包括的核実験禁止条約の発効やFMCT:核兵器用核分裂性物質生産禁止条約の発効)、②核兵器を新しく持つ動機の削減(非核地域をつくる)、③認識の向上(核兵器の非人道性の共通の基盤作り)の3本柱を日本が中心となってやっていくと述べられていました。それ自体はとても大事だし、素晴らしいことだと思いました。しかし、核兵器禁止条約の話になると、現存する核兵器数(約15350発)が多すぎるため、最小限ポイントまで減少させて、法的に罰することが「現実的」「実践的」にベストだとおっしゃっていました。私は、最小限ポイントがどこであり、どうやってそこのポイントに持っていくのかが重要だと考えます。私は、ユース非核特使に任命されましたが、北朝鮮の核問題を目前に控えた危機的な状況での意見とは思えませんでした。

アメリカのステートメント発表も午前に行われました。トランプ政権へと切り替わってから初のNPT再検討会議の場での発言ということで、アメリカの発表の前には少しざわめいていたのを覚えています。私は、NPT(核不拡散条約)は50年目を迎えるがその効力は変化していない、という点からアメリカは大きく動くのではないかと少しドキドキしていました。発言の内容としては、北朝鮮について強く非難しており、新しいプレッシャーを与えるといったことを主に述べていました。北朝鮮の核の脅威に触れる際に、「東京に核兵器が落とされる危険性が高まってきている」といっていました。私は、「東京を出す必要はなくないか?なぜ東京といったのだろう?」と不思議に思いました。発言全体としては、唐突なことはほとんどなく、よかったのかよくなかったのか、、、という感じでした。

私が午前の部で最も印象に残っているのは、開催国でもあるオーストリア政府のステートメントでした。オーストリアは核廃絶に向けてかなり力を入れている国の一つであることを勉強会で聞いていたので、楽しみにしていました。その内容は、NPTは現時点ではベストな条約であり、NPTに加盟していない国(インド、イスラエル、パキスタン、北朝鮮)を条約に入れて普遍性を持たせないといけない。非人道性は重要であり、核兵器禁止条約はNPTの効力を強化するものだから必要である。北朝鮮の脅威は何もアジアだけの問題ではなく、世界全体で解決しなくてはならない問題になっている。といったようなものでした。それに加えて、核兵器のない世界の礎となるCTBT(包括的核実験禁止条約)の発効は最重要だと述べていました。私は、いいことばかりを言っていて、逆に怪しいなと感じるほど、素晴らしい演説だったと感じています。

余談ですが・・・アメリカの演説が終わった後にオーディエンスの多くが席を立って帰っていました。

○午後の会議の様子

➢お昼ご飯に6個入り0.99€(約115円)のぱさぱさのパンを口に詰め込み午後からの会議に臨みました!!!午後の演説では、中国・ロシアなどの核保有国や核の傘に依存している国(NATOを含む)のステートメントが半分くらいを占めていました。

私は、アメリカと同じくらいの核兵器を保有しているロシアの政府関係者がどのような意見を述べるのか少し注目してみていました。その結果は、予想していた通りと言いますか、期待外れだったといいますか、核兵器禁止条約に対しては、NPT体制の存続を危険にさらすため、核兵器禁止条約には賛成できないといっていました。核保有国に関連のある国は日本を含め、核兵器禁止条約に反対していますが、一歩一歩ゆっくり着実に核兵器をなくしていけるほど、期限がないような気がしてなりません。

今回の会議で発言する人はほとんどが男性であり、女性のコメンテーターは少なかったのですが、アイルランド政府の発言の中に女性をもっと核問題を取り扱う場に出したほうが非人道性を述べる際にも強みになるとしていました。私は、ヒロシマで見た体内被曝のことを思い出し、確かにそうだなと感心しました。あまり思いつかないような点に気づくことも核兵器廃絶という難しい話題を取り扱うときには重要になってくるのだなと感じました。

私が、午後の部で最も印象的だったのが、北朝鮮の核の脅威に対して最も身近に感じている韓国のステートメントでした。韓国政府はやはり、平壌は現在核化してきていて、今日命になっている。そして、北朝鮮の核実験やミサイル発射などの行動を強く非難するとともに、核兵器使用という「悪夢」の脅威の増加について警告していました。ここまでの文書は、韓国ならではであり、韓国という地のアイデンティティだなと思っていました。しかし、その後、あくまでStep by step(一歩ずつ)で行動を起こしていくことが必要であり、核軍縮のささやかな前進はあったが、核兵器禁止条約はNPTの信頼性を損なうとしていました。私は、韓国という北朝鮮の核の脅威を最も肌で感じ取っている国が、核兵器禁止条約の発効に尽力しない理由が不思議でなりませんでした。私が考えた結果、韓国も核の傘に依存している国であるということ、また核実験の禁止を最優先課題と考え、CTBTの発効を急ぎたいという思いがあるのかなという考えにたどり着きました。

これからの会議では、NPTの3本柱である「核軍縮」「核不拡散」「核の平和利用」についての話し合いが続いて行きます。これからもできるだけ生の”こえ”をとどけられるよう努力していきますので温かく見守っていただけると幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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No.2, Wednesday, 3May

みなさん、こんばんは!ウィーンは12時を回ろうとしています。今日は、朝から夜までたくさんのことがあり、充実した一日となりました。

簡単に一日を振り返ります!会議期間中は10:00~の午前の会議に先立ち、”Government briefing for NGOs”という質問をかわして内容の理解を深めることを目的とした、1日1ヵ国のステートメントの振り返りが9:00~行われます。私は、期間中毎日ここに通い、前日の理解できていないポイントや気になるポイントについて深めていこうと思います。10:00~は通常通り一般演説が行われました。昼休憩時には、ICRCのルーさんとお話しする機会をいただきメンバー有志とともに会いに行きました。15:00~午後の部として一般演説が行われたのですが、そこでNGOや市民社会の声をとどける機会が与えられ、被爆者の方の講話や広島、長崎の市長さんもステートメントを発表されていました。そして、18:00~はウィーン大学に移動して、日本語学専攻のウィーン大学生が主催している、タンデムという語りの場に参加しました。その後、ウィーンの学生がよく行くというレストランで晩ごはんを食べ、ホテルに帰ってきました。

では、いかに詳細を書いていきたいと思います!毎日長くなってしまいますが、最後まで読んでいただけるとありがたいです。

※会議でのステートメントサイトを載せておきます。

URL: (http://www.reachingcriticalwill.org/disarmamen…/…/statements

さて、No.2では・・・

○午前の会議について

○午後の会議について

の2本柱で書いていこうと思います。

○午前の会議について

➢午前の会議では、フランス・イギリスのような核保有国や、中立国であるスイス、アメリカの近くに位置しており、ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約により、非核兵器地帯に属しているメキシコなどをはじめとする18の国と地域の演説がありました。全体的な話としては、やはりNPT(核不拡散条約)の強化のためにも核兵器禁止条約を作るべきだと言及する国と、核兵器禁止条約はNPTの弱体化につながり、核保有国と非核保有国の対立を厳しくするだけなのでしないほうが安全だと言及する国に分かれていたように思います。私は、昨日のブログでも書いた通り、NPT自体を強化するという面でも、北朝鮮の核の脅威をから逃れるためにも核兵器禁止条約のいち早い発効が必要不可欠なのではないかと考えます。フランス政府は禁止条約よりもCTBT(包括的核実験禁止条約)の発効が最優先だと述べており、確かにその理由なら納得がいくと思ったけれど、3分前を指した世界終末時計を日ごろから見ている私としては、禁止条約もCTBTも同時並行でやっていかなければならないと感じました。

私が午前の演説で印象深かったのは、メキシコ・タイ・ブラジルの3つの国のステートメントです。メキシコは、「核軍縮が進んでいない理由として世界情勢の不安定さを使用することは間違いであり、少数の国が約15000発もの核兵器を持っているということは私たちを危険に導くだろう。」「核兵器が導く安定は間違っていて、核戦争は人類全体の荒廃を導くものである。そうならないためにも私たちは、出来る限りの努力はすべてするべきである。」というような発言をしていました。アメリカの核実験場にされていた過去を持っていたり非核兵器地帯に属していたりするだけはあり、かなり積極的かつ不信感についても触れていたので、頑張ってその波を広げてほしいなと感じました。

タイは、私が聞いていた限り「核兵器の人道的な問題についての教育の重要性」について大きく触れている唯一の国だったような気がします。非人道性を伝えていくことが重要であり、そこから何か感じ取れる部分があるというのは誰もが考えていることであり、真に重要なコンテンツであることは間違いないと思うけれど、そこについて言及しているのはとても評価できるものだったと思います。

ステートメントからブラジルは、非人道性を訴えるアプローチを示している国だと感じました。ステートメントの中には「核実験の禁止は未臨界及びそのほかの形式のテストが含まれているときのみ真に効果的になる。」という部分があり、各禁止条約の条文に何を含むべきなのかをしっかりと話している国はあまりなかったので、少しでも良くしてやろうと考えているのかなと感じました。

午前中は核保有国や核の傘の国、非核兵器地帯に属している国が順々に話していて、とても面白いものでした。それぞれの立場で何ができるか、どこが気に入っていないかについて、学べました。

○午後の会議について

午後の会議の前半は各NGO団体の演説から始まりました。一発目は広島の被ばく者である児玉さんの被爆体験講話でした。被爆者の声として悲惨の情景を頭の中に思い描けるような、強い思いを持った被ばく講話で、胸が詰まるような思いでした。ステートメントの中には二度と再び被爆者を作るなという強いメッセージ、また、被爆者の本当の願いは、生きている間に核兵器廃絶を目指すことであり、時間がないということがひしひしと伝わってくるお話でした。長崎市長である田上市長の演説では、「被爆の後遺症で苦しんでいる人もいるのに、核兵器の近代化にお金をかけるのは間違っていて、核保有国も一緒になって核兵器使用に対する非人道瀬、核の被害について話し合う必要がある。」「被爆地に訪れてもらい、自分の耳で聞き、肌で感じ、心で感じてほしい。」というメッセージを世界中に広げられていました。私は、被爆地からの声がもっともっと多くの人に届いてほしいと願っています。しかし、会議の中では市民社会の声というのは届きにくいものであり、というのも政府関係者は全く無関心でお互い私語をしていたり、携帯をいじっていたりしていて、全く聞く体制になっていなかったということです。自分に関係のある(自分に影響のある)国の話だけに耳を傾けていてはいつになっても核保有国と非核保有国の溝は埋まらないと思います。IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の演説の中には、「救護が最も大切であるのに、核戦争においては何の医療措置も施すことができない。」というものがありました。私は、本当にそのとおりであり、原子雲の下でどんな状況だったのか、治療してほしいのに効果的な治療がほどこされずに、救える命を救えないもどかしさを世界中に核の非人道性という観点からも考えてほしいです。

午後の政府関係者の演説では、前日からの流れと同じようなものでしたが、ニカラグアの政府は、ヒロシマ・ナガサキの名前をあげ、陣頭的な問題について言及していました。長崎で学ぶ学生としては、ただ人道性を訴えかけるより効果的であり、心に直接語り掛けられているような感覚になりました。

今日は、IAEA天野事務局長との面談、ドイツ学生との意見交換、北野大使との意見交換、長崎市長とのチームナガサキの夕食会が予定されています。盛りだくさんの内容となっているので気を引き締めなおして、会議、そのほかのイベントに臨んでいこうと思います。最後まで読んでいただいた方、いつもありがとうございます!これからもよろしくお願いいたします。

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No.3, Thursday, 4May

みなさんおはようございます!今日は、会議開始から3日目ということで会議もですが、会議以外のイベント及び政府代表部訪問なども行いました。ウィーンでの生活は、朝早く起きて夜遅くまで一日中活動をしているので、かなり体力的にはきついですが、やはり生の”こえ”を聞く機会がたくさんあり多くのことを吸収出来ていると感じています。

さて、No.3では…

○IAEA天野事務局長との面談

○ドイツ学生(ダルムシュタット工科大学、ハンブルク大学)との意見交換会

○ウィーン国際機関代表部:北野充大使との意見交換会

○おまけ(チームナガサキお疲れ様会)

の4本立てでお話しさせていただこうと思います。最後まで読んでいただけるとうれしく思います。

○IAEA天野事務局長との面談

➢私たちユース代表団は、長崎市長の天野事務局長に向けた表敬訪問に同行させていただく機会を得ることができました。そこでは、長崎市長のご挨拶から始まり、私もユース代表団の活動について、天野事務局長に直接紹介することができました。かなり緊張しましたが、名刺交換もさせていただき、とても貴重な機会をいただけたことに感謝しています。IAEA(国際原子力機関)がどのような活動をしているのかは、事前学習で学んでいた部分もありましたが、放射線技術があらゆる場面(エボラ出血熱の診断や早期発見のための機械の提供、タイヤのコーティングなどに用いる放射線を当てて分子を一列に並べてポリマーを作る技術の提供、地震などでどこの建物が崩れる危険性があるのかを放射線技術により導き出し、そこでのけが人を最小限に抑える技術の提供etc…)で使われていることを知れたし、その技術援助をIAEAが行っていることも知ることができました。

私は、質問タイムに日本が大量に抱えている核兵器作成にも使用可能なプルトニウムの削減方法や使用方法について尋ねました。このプルトニウムというのは、ナガサキ型原爆に用いられた物質で、原子力発電をする際にごみとして出てくる物質です。私の質問に対する答えとしては、日本政府に任せているという回答だったのですが、天野事務局長の意見として、プルトニウムとウラニウムを混合したものを再利用しての発電、また、原子力発電をする際にプルトニウムを再生可能なものにする処置をすることなくごみとして廃棄する、などをいただきました。私の本来の質問の意図というは、そのごみとして出てきたプルトニウムを安全に排除する方法が今見つかっていないのでそこに触れてほしかったのですが、時間的な問題もあり、再度質問することができませんでした。そこが唯一残念な点でしたが、天野事務局長は、さすがは外交官という役職なだけはあり、話すスピードや目線の動かし方、声の大きさなど話すときのお手本のような感じがして、これからたくさんの人に伝えていく立場にいる身として、内容以前に勉強になることがたくさんあったのでよかったと思います。

○ドイツ学生(ダルムシュタット工科大学、ハンブルク大学)との意見交換会

➢天野事務局長との面談終了後パンを2口ほどかじり、国連から徒歩5分ほどのところにあるDonau City Churchに移動をして、ドイツの大学生との意見交換会をしました。議題としては、①核の平和利用について、②日本とドイツの”負の歴史”について、③核抑止力について、④自由ディスカッションの4点が用意されていました。ドイツの学生との人数的な問題があるため1グループ5人で、ユースのメンバー:ドイツの学生が1:4というシチュエーションで意見交換を行いました。ラフなものとはいえ、日本語でも難しい議題について英語で話さなくてはいけないというプレッシャーもあり、なかなか自分が思っていることを伝えられないもどかしさを感じさせられました。ドイツでも第二次世界大戦後20年ほどは負の歴史について、話す人は誰もいなかったそうです。日本のプレスコードの一種のようなものだと感じました。また、日本では自国の負の歴史;植民地にひどい仕打ちをしたり、奴隷同然のような扱いをしていたりしていた加害の歴史について、教科書で触れることはもちろんのこと、そんな歴史はなかったという人や、戦争だから仕方がないと目を背ける人がほとんどだと思います。しかし、ドイツでは教科書にヒトラーのナチスドイツについてだったり、ホロコーストだったりについて教科書で学ぶことはもちろん、その地域(アウシュビッツなど)に行き、理解を深めているそうです。負の歴史について知っているか、知らないかどちらがいいかと聞かれたときに、私は、負の歴史についても知っておかなければならないのではないかと答えました。なぜなら、被害面だけで物事を捉えていては、相手側の意見を尊重して中立点を見出すことが難しいと考えるからです。特に印象的だったことは、ドイツ人は自分の国に対して、誇りをあまり持っていないということです。サッカーなどの時に応援スタンドで大きな国旗を掲げていることはまだいいが、祝日などの時に日本のように自国の国旗を飾ることはしないといっていました。しかし、ドイツのことを嫌いなわけではないと付け加えていました。私は、加害の面を知ったり、政府の意見を聞いたりしているうちに不信感は抱いてしまいますが、自国に誇りが持てるか持てないかということについては全く考えたことがありませんでした。外国の若い人たちは政治について、家族で話したり、友だち同士で話したりすることが普通だと聞きました。私は、島国という利点でもあり、不利な点でもある日本においてもっと時刻について知り、考え、私を含む若者が政治にもっともっと多くの興味関心を抱く必要があるのかなと感じました。英語だけできても知識がついてきていないと意味がないし、知識があっても英語力がついてきていないと意味がないということを肌で感じ、もっと勉強していかなければならないなと思いました。

○ウィーン国際機関代表部:北野充大使との意見交換会

➢ ドイツの学生との意見交換会が終わると、日本政府代表部北野大使との意見交換会に向かいました。広島や沖縄からきていたユース非核特使の高校生も一緒に訪問しました。ウィーン国際機関代表部としてどんなことをしているのかを簡単に紹介していただいた後に自由に質問をさせていただく時間がありました。そこでは、各々が会議初日に発表された岸田外務大臣のステートメントに関する質問だったり、日本政府としての役割に関する質問だったり、若者として何ができるのかという質問だったりを尋ねました。私は、ステートメントの中の「核兵器禁止条約を発効する時期は、いまではなく、最小限ポイントまで核兵器の数が減った時に初めて条約の下で罰するほうが効果的であり、現実的である。」という部分についての質問をしました。北朝鮮の核の脅威だけを考えるのではなく、核兵器国である、中国やロシアなどの国の核の脅威に囲まれて日本が存在しているという状況も考えないといけないということを教えていただきました。CTBT(包括的核実験禁止条約)やFMCT(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の発効を先駆けてするほうが先決だという国がありますが、核の脅威に対して効力を発揮する核兵器禁止条約の発効もいち早く行わなければならないのかなと感じました。核兵器禁止条約を作ることで市民社会の活度も活発化しうるという中川君(メンバーの一人)の意見もとても感心しました。もっと深いところまで、双方的に話をしたかったというのが本音ではありますが、貴重な機会を作っていただけたことに感謝しています。

○おまけ(チームナガサキお疲れ様会)

➢最後に、今日の夜は長崎市長とナガサキ・ユース代表団メンバー及び先生方でディナーでした。市長とこんなに近い距離で直接話ができるのは長崎市くらいだと思います。おいしいお酒とおいしい食べ物、そして、生演奏の音楽で楽しいひと時を送ることができました。私が参加可能な残り会議の日程としては、明日のみとなってしまいました。明日は、会議の傍聴、ウィーン日本人学校での平和出前講座の実施、IAEAブリーフィングなどを計画しているので、また気を引き締めて臨んでいこうと思います。

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No.4, Thursday, 5May

皆さんおはようございます!ご報告が大変遅くなってしまい申し訳ございません。今日(5/11)から始まる附属中学校での授業の準備に追われている毎日です。今回は最終号になってしまうのですが、5/5(金)の活動であるウィーン日本人学校での平和教育について少し触れ、今回のNPT再検討会議第1回準備委員会に参加してみて感じたことを書いていこうと思います。

○ウィーン日本人学校での平和教育の実施(5/5)
➢5月5日(金)には、私が最も中心となって企画してきたウィーン日本人学校での平和教育の実践を行わせていただきました。4月27日に一度事前打ち合わせに訪れていたので先生方とはお会いしていましたが、子どもたちに会うのは初めてで、どんな子どもたちだろう、緊張してうまく授業ができるのだろうか、本当にこの授業の流れで私たちが伝えたいことが伝わるのだろうかなど、不安がこみあげてきていました。12:20分。集合時間より10分早く到着した私たちは、先生方へ再度ご挨拶、授業を行う教室に分かれての接続確認などを行った後、ドッチボールをしている子どもたちに混じって遊ぶことができました。「遊びはまじめに」というキーワードのもと全力で遊びました。この学校の特色として、小学校1年生から中学校3年生までいるため、遊ぶ時も全員で遊んでいました。一輪車もあったので乗ってみましたが、身体は覚えているものです、乗ることができました!(笑)
授業開始前に積極的に子どもたちにかかわっていたことが大きく、授業開始前にはもう心は決まっていました。目の前にいる子どもたちに平和について考えてほしい。核兵器の脅威は72年前のヒロシマ・ナガサキだけのことではなく、自分たちにも関係のあることであり、思った以上にその脅威は増してきてしまっているという現実。平和な世界のために自分たちには何ができるか。そういったことを知ってほしい、考える機会を与えたいという思いで授業を開始しました。授業の中でウィーンに住む子どもたちでしか感じえることができないことも多くあり、紹介していると書ききれないくらい多くのことを教えてくれたのですが、私が最も印象的だったことは、現存する核兵器の数をBB弾で、音で、表した時の感想です。私が初めて聞いたときに思ったように、「長かった。」「とても怖かった。」という感情は誰もが持つものです。しかし、ある男の子は「人の悲鳴が聞こえた。苦しむ人の声が聞こえた。」と言ってくれました。私がその前のスライドで原爆が落とされる前の長崎と落とされた後の長崎の写真を見せていたというのもあるとは思いますが、核兵器の数だけにとらわれることなく、その爆弾のせいでどんな悲惨な被害、影響が出るのかということに気づいてくれたのは、とても驚いたし、うれしいような気がしました。
私たちが平和な世界を目指して何か活動するのは少し難しいかもしれません。しかし、平和な世界は隣にいる人を大切にしてみたり、隣にいる人にちょっと関心を持って話しかけてみたり、けんかをしても仲直りをしてみたり、そういうことの積み重ねによってつくられるのではないかなと思います。「できることをできるときにできるだけ」という言葉のように、身近なところから一歩ずつでもいい、市民社会レベルの運動が、力が将来の明るい世界を作っていくのではないかなと信じています。会議終了後も4期生が企画実行していた、日本全国を回る「Peace Caravan」の継続をしていきたいと思っています。被爆者の方の好例が進む中で私たちにできることは継承のお手伝いだと思います。全力でぶつかっていきたいです。

○NPT再検討会議第1回準備委員会に参加してみて
➢今回人より短い期間で、サイドイベントへの参加や、会議を最後まで傍聴できないことでとても悔しい思いやふがいない思いをしましたが、短いなりにもある機会を逃してはいけないという思いで突っ走ることができたと思います。各国政府関係者や国際機関職員との意見交換、ウィーン大学、ドイツの大学生との意見交換、ウィーン日本人学校、そしてもちろん会議の傍聴をする中で、普通の大学生活を送っていたら、一生体験できていなかっただろうなと感じることが本当にたくさんありました。5期生に任命されてから核兵器や世界の動きの基本を勉強したり、講師の方々を招いてより専門的なことについて知ったりする中で多くのことを身につけ、考えてきました。学習してきたこと、会議で聞いたことを実際に世界を動かしている人たちに質問したり意見を言ったりすることは、非常に刺激的でした。日本政府関係者の方に話を伺った時には、うまいこと話を躱され、言いくるめられるような場面もありましたが、なるほどなと感じることも多かったです。
もう一つ私が感じさせられたことは、英語力と知識のどちらもを持っていないと話にならないということです。ドイツの大学生と意見交換をした際、相手の言っていることは理解出来るけれど、いざ自分の考えを言おうというときに、何と表現すればいいのかわからなかったり、そのことについて知らなかったりすることがありました。外国の学生は学生同士で自分の国について話し合う機会が良くあるといいます。私たちは、英語を話す機会も少ないし、自分の国に興味を持つ学生が少ないと思います。国際的な場で意見交換をするときには、自分の国の歴史や現在の問題について知り、それを伝えるための英語活用力が必要だと思います。私は、知識も英語力もとても満足とは言えないので、これからもっともっと勉強していきたいと思います。

最後になりましたが、いつもいつも長くてまとまっていない文章を読んで、励ましていただき本当にありがとうございます。私たちの活動は、皆さんの助けや協力があってこそ成り立っていると感じます。これからも皆さんの期待に少しでも沿えることができるようにメンバー一同精一杯努力し、考え、活動していきたいと思いますので、ナガサキ・ユース代表団を、ナガサキ・ユース代表団5期生を温かく時には厳しく見守っていただければと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ナガサキ・ユース代表団5期生
片山桂維

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