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Chisa’s Blog 【Chisa’s NPT blog in 2015】

No.10 

この投稿が私のブログの締めくくりです。

これまで私のブログを読み、応援してくださった全ての皆さんに、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。「いいね!」やコメントの一つずつに、いつも元気を頂いていました!

ユースとして活動した二年間を通し、本当に色んなものを得ることが出来ましたが、中でも一番の収穫は、やはり人とのつながりであり、そのつながりを実感した時に感じられた、たくさんの喜びだと思います。

この2年間、政府代表から同世代の若者まで、本当に多くの人々と知り合うことが出来ました。肩書きも専門も年齢も、さまざまであった分、核問題に対する意見も取り組み方も本当に多様で、自分に無かった新たな視点に驚かされ、大きな刺激を受けました。

これらの出会いの中で、自分の意見を伝えることにも、とても大きな意義を見出せました。個人レベルの意見交換も勿論ですが、とりわけ、自分の思いをスピーチにして現地NYで発信したことは、何事にも代え難い経験になりました。「本当に伝えたいことは何か」「どんな言葉を選べば聴き手にしっかり伝わるか」・・・二回とも、とにかく悩み苦しんで生み出したスピーチでしたが、スピーチを終えた後、多くの方の笑顔に囲まれ「心のこもったスピーチを本当にありがとう。一緒に頑張ろうね」と声をかけていただいた時は、夢のようでした。何の肩書きもないただの大学生であっても、心を開き、精一杯の発信をすれば、政府代表であれ現地 New Yorkerであれ、ちゃんと受け取ってもらえること、そして、このようにリスペクト(相手の存在を尊重し、しっかりと向き合うこと)を持って相手に接することが「平和の種」となるかけがえのない出会いを生むのだと実感しました。人前で話すのが得意でなく、伝えたい気持ちはあるものの、どうしよう・・・とウジウジ悩んでいた昔の私が今の私を見たら、きっとすごくびっくりすることでしょう。笑

2年目の今回はさらに、去年植えた「平和の種」がしっかりと育っていることを感じられた喜びもありました。国連でのプレゼンに来てもらった6人のゲストスピーカーは全員、去年知り合って連絡を取り続けていた友人、あるいはそのつながりで紹介してもらった友人の友人でした。そして私達も、お返しに、彼らのプロジェクトに協力しました。去年彼らに出会った時は、一年後、このように具体的に協力し合える日が来るとは想像もしていませんでした。

また、先日のブログでお伝えしたように、マウントサイナイ医科大学のロバート柳澤先生と一年ぶりにお会いでき、さらに、ブログでは触れていませんでしたが、実は去年ロバート柳澤先生に繋いでいただいた9/11 tribute centerの館長さんにも再会することが出来ました。なんと、ご自宅に招いていただき、じっくりたくさんのお話をしていただきました。ここで全てをお伝えすることは出来ませんが、心と心の通い合った、本当に素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。

一つ一つの出会いや経験は、それぞれが単独で存在する小さな「点」のように感じられます。しかし、それらはお互いに繋がって綺麗な線に出来るし、その点自体をどんどん大きくしていくこともできるのだと、この二年間を通して感じました。

これまでブログを読んでくださった皆さんのほとんどは直接お会いしたことの無い方ですが、これも大事な出会いの一つです。私のブログはここで終わりますが、これからもなんらかの形でこのご縁を大切に育てていきたいです。

私のユースとしての活動は、終わりましたが、ここからが、またはじまり。これからこの経験や出会いが、どんな点と結びついていくかはまだ分からないけれど、その過程を楽しみながら、一歩一歩大切に進んでいきます。

これまで本当にありがとうございました。

ゲストスピーカーの1人と打ち合わせを兼ねてディナー^ ^

デモで知り合った歴史の先生との一枚

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No.9 Thursday, 7 May

ついに今日は、NGOルーム発表の日。そして同時に、私のユースとしての活動最終日でもあります。

まず、プレゼン内容についてもう少し詳しくお話しします。以前のブログでも簡単にお伝えしましたが、私のグループのテーマは「核問題に対する若者の意識」です。私達はこれまで、長崎という日本で最も平和・核問題に熱心な場所の中ですら、同世代のこの問題への関心はかなり低いと感じることが度々ありました。そこで、グループ1の秀君&河野君グループと一緒に長崎大学の学生を対象にアンケート調査を行い、その回答から、多くの若者がこの問題に関心を持てず、行動を起こせない理由を見出すことにしました。

また、それと並行して、これまで知り合った核問題に熱心に取り組む海外の若者達に連絡を取り、ゲストスピーカーとしてイベントに来てもらえるよう交渉していました。日本の私達よりもずっと核や被爆の問題に馴染みの薄いはずの彼らが、一体どうしてこんなに熱心に取り組みはじめたのか。それぞれのきっかけや思いを共有してもらうことで、周りの若者を取り込んでいくためのカギを見つけられるのではないかと考えたからです。そしてこれは、三期生の自己紹介(https://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/…/nagasaki-y…/member_third)でも書いたとおり、私が今回のユースの活動を通して一番達成したかったことでした。去年の活動からずっと考えていたことだったので、まさしくこれは私の2年間の集大成のイベントでした。

ここで結果を書いてしまうと、報告会に来ていただけなくなるので(笑)敢えて詳しくはお伝えしませんが、私達がアンケート分析を通して見出した”若者が関心を持てない原因の仮説”(=逆に言えば、ここを改善すれば若者を巻き込んでいけるというポイント)と、6人のゲストスピーカーの話から見えてきた共通のカギは、一致していました。このイベントは、周りを巻きこみ行動を起こしていくための着実な一歩になったと思います。全てを終えた今、達成感を噛み締めています。やって良かった。

最後に、総合責任者として、決して表には出ない大量の仕事をこなしながら、グループワークも絶対に手を抜かず、イベントをここまでまとめ上げて下さった荒倉さんに、心から感謝です。みんな、本当にお疲れ様でした!

 

右から6人が私達のグループのゲストスピーカーのみなさん。
左端の男性は全体の講評をいただいた被爆者の平田さんです。みなさんありがとうございました!

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No.8 Wednesday, 6 May

とうとう明日はユースのサイドイベントの日ですが…

正直「やばい…」の一言です。朝9時には国連に出向き、サイドイベント参加や本会議傍聴をこなして帰宅すると、もうすでに夜。それから毎日ほぼ徹夜で準備をしていますが、しなくてはならないことが多過ぎて、終わる目処が立ちません。それぞれブログも溜まってきました…(更新が遅れてすみませんでした…泣)疲労と食欲は比例するのか、ついには朝4時からNYチーズケーキを半分寝ながら貪ってしまいました…(-。-;)笑

今日は自分達のサイドイベントを宣伝出来る最後の日だったので、中村先生のアドバイスを元に、ある”奇策”に出ました!これまで日本で作っておいたビラを色んなサイドイベントのテーブルに置いておくなどしてきましたが、それだけでは各国政府代表には届きにくい。というわけで・・・本会議に乗り込みました!!笑

まず、私を含む有志の宣伝隊は、Main committee 1:核軍縮についての議論が行われている会議場の2階傍聴席に待機。それぞれイヤホンを片耳に入れて「それでは本日の会議はここまで」と議長が言うのをじっと待っていました。いざその言葉を聞くと、みんなビラを手に階段を駆け下り、会議場から出ようとしている各国代表に片っ端から声をかけて、ビラを渡しながら説明をしていきました。

私はというと…この会議の議長であるエンリケ・ロマン・モレイ大使がまだ議長席にいらっしゃるのを見つけ、真っ直ぐにそちらへ!モレイ大使は去年の第三回準備委員会のトップを務めた方です。実は私は、大使が議長就任直前に来崎された際にユース二期生としてお会いしていました。また前回、あるレセプションでスピーチをした際、同じ会にモレイ大使も出席されていて、わざわざスピーチの感想を伝えに来てくださったこともあったので、もしかして覚えてくださっていないかな…とドキドキしながら大使の元に走りました。「お久しぶりです、覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私はあなたに何度かお会いしたことのある長崎の大学生で…」そう声をかけると「久しぶりだね!忘れてるわけないだろう。今年も頑張ってるね。出来るだけ時間を作れるよう努力するし、もし少しでも時間が出来たら、サンドイッチを引っつかんででも君達のイベントに行くよ!」

ほんの数分の会話でしたが、本当に嬉しかったです。非常にお忙しい方なので、実際に来ていただくのは難しいかもしれないけれど、大使のお言葉で、本番まで頑張りきろうとあらためて思えました。決戦は、木曜日!笑

 

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No.7 Tuesday, 5 May

今日は、NPTに来ているドイツ人大学生30人とディスカッションでした。この企画は去年に引き続き2回目です。このディスカッション会がユースの伝統企画になっていけばいいなと思います。

今回のテーマは「原発と再生可能エネルギーについて」。担当のユースメンバーは日本にいる時からあちらと連絡を取り合ってテーマを議論したり、専門の先生を招いて、みんなの知識を深める事前学習会を開いてくれたりと、一生懸命準備を進めてくれていました。そんな彼らのプレゼンはすごかったです!

「再生可能エネルギー固定価格買取制度」「高速増殖炉もんじゅ」など日本語でも説明の難しい、国のエネルギー政策や現状を、図やグラフを交えながらしっかり伝えていました。そのおかげで、その後の小グループに分かれたディスカッションも、要点を絞ってスムーズに進めることが出来たと思います。

私のグループメンバーの専門分野は医学、環境科学、国際政治学、工学などとても多様でした。だからこそ、原発に対する視点も多様で、それぞれの専門分野からの質問や意見が出ました。あるメンバーから「自分が学んできたことに限って原子力を見ると、頼らずに生きていく道はあるし、そうすべきとはっきり言える。でも、医学の面から見ると、放射線は僕たちの生活になくてはならないものなんでしょ?だから君は一概に”NO原子力”とは言えないよね?」と質問されました。私は「そうなの、レントゲンは放射線を使わなければ撮れないし…(あ、そういえば、この間授業で心臓の血液の流れを見る時にも放射線分野を使うって習ったな。でも心臓核医学って英語でなんて説明すればいいかわからん…)」と、色々悩んだ結果、結局誰でも知っているありきたりなことしか言えませんでした。何かについて議論する時には、メリットとデメリット両方を出し尽くした上で結論を出さないといけないのに、メリット面をしっかり話すことが出来なくて残念でした。去年は原発についてあんまり語れなかったもどかしさ があったので、今回はそれなりに勉強して行ったつもりだったのですが…まだまだ学ぶことはたくさんありそうです(^_^;)笑

もうひとつとても印象的だったことがあります。「ドイツの反原発運動は誰がはじめたの?」と質問した時のこと。「大学生が始めたんだよ!チェルノブイリの事故で汚染されたミルクを多くの子どもが知らずに飲んで内部被爆してしまった。それを受けて『今後また同じようなことが起きた時、犠牲になるのは自分の子どもだ』とみんな思って声を上げ始めたんだ」と言われ、驚きました。カナダが非核化したのも、そのきっかけは大学生だったという事実があります。何かが大きく変わる時、その鍵になるのは若者のようです。それなら、私達ナガサキユースも…!

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No.6 Monday, 4 May

2週目に入りました。1週目で大方の発表は終えたので、残るは明日のドイツディスカッションと5/7(木)のNGOルームのプレゼンのみ!今日から担当者はそれぞれ一極集中で準備を進めます。NPTの会議では、本会議と同時並行して国連内で様々な催しが開かれています。(これまでのブログでも出てきた”サイドイベント”のこと)主催はNGOだったり、あるいはどこかの国の政府だったりもしますが、なんと今回は、ユースも3時間のセッションを主催することになっているんです…!

内容は大きく3つのパートで構成されています。

1.【秀君+河野君+松本君(頼もしいレクナサポーター①:ビデオ出演)】

アンケート調査による日本の”平和教育”の現状分析と、若者による新たな平和教育の在り方の提案

2.【川崎さん+中原さん+豊田くん(頼もしいレクサポ②:日本から応援)】

日本を取り巻く安全保障環境の現状と、若者からの打開策提案

3.【荒倉さん+西田+Lynn(頼もしいサポーター③:いっしょに発表)】

若者の意識〜若者が核問題に関心を持つ/持てない理由〜(アンケート調査+海外ゲストスピーカー)

そして、これら全体のコーディネートを荒倉さんが担当します。

実はこのNGOルーム、まずやるかやらないかで大きな議論になりました。私達の声を届けるには絶好の機会だけど、プレゼン経験の乏しい私達にはあまりに壮大すぎる話では?それぞれが他の発表も抱えている中でちゃんとやり遂げられるのか?と何度も話し合いました。そして、すると決めてからは、とにかく大忙しでした。夜中まで話し合いが続くこともしばしばで、それだけでもみんな本当に疲れたと思います。それでも、上に名前のある3人のレクナサポーターをはじめ、忙しい中でアンケート調査や集計まで一緒にやってくれた川﨑有希ちゃん、機材の準備を全て請け負ってくれた佐々木君や一期生の江島さん、プレゼンを見るために遅くまで残ってくださった先生方やレクナ事務のみなさん,など、たくさんの方に支えていただいたことに心から感謝しています。この思いを胸に、なんとかやり遂げたいと思います。

まだまだするべきことは山積みですが、ロジックはしっかりしているし、気持ちも充分!後は残りの日数どれだけ頑張り切れるかです。眠れない1週間が始まります!

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No.5 Friday, 1 May

午前中はBANgの主催のイベントがありました。BANgとは、Ban-All-Nukes generation の略で、核兵器廃絶を目指す世界中の若者の団体です。ナガサキユースは一期生の時からBANgと深く繋がっていて、お互いのイベントにゲストスピーカーとして出たり、各国政府の代表との非公式面会に一緒に参加したりしています。彼らの知識量は専門家顔負けで、政府代表に対しても非常に鋭い質問をします。

今日のイベントのテーマは「どうやって若者を核問題に巻き込んでいくか」。ユースからは、河野君がゲストスピーカーとしてプレゼンをしました。河野君の考えは「核問題をそれぞれの若者の趣味や好きなことと結びつけて、考える機会をつくること」。会場全体が頷きながら聞いていました!参加者の言葉で私が印象的だったのは、”No age is too young to start learning about nuclear weapons” その通りだと思います。「幼い子どもに見せるとトラウマになってしまうから」と被爆の実相を子供に伝えなかったり、同じ理由で広島平和祈念資料館の蝋人形の撤去が検討されたりという話を耳にします。確かに、私も小さい時は原爆の写真が怖くて号泣した覚えがありますが、怖くてたまらなかったからこそ、こんなことが2度と起こってはいけないと小学生ながらに強く感じました。「怖がるから見せない」ではなく、たとえ怖がったとしても、現実としっかり向き合わせて「じゃあ、こんな怖いことが2度と起こらないように、どうしていくべきか」という話につなげていくことが必要なのではないでしょうか。

イギリス出身のBANgのメンバーは、「イギリスではヒロシマやナガサキについてはおろか、自分の国が核兵器を持っていることすら教えられない」と言っていて、とても驚きました。軍縮・平和教育というのは本当に重要なトピックだと感じます。

午後はNGOセッションでした。たくさんのNGO団体の中で、IALANA(核に反対する弁護士団体)からは、なんと90歳のおじいちゃんが発言しました。「核兵器の法的禁止の実現を求める。私がまだ生きてるうちにね!ははは笑」と冗談めかして言っていたけれど、実際笑い事ではなく、それを切望していると思います。こんなに年をとってもまだ勢力的に活動を続ける彼を心から尊敬するとともに、彼や被爆者の方々が亡くなる前に「自分の努力が報われた」と思えるような進展が欲しい、と思いました。

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No.4 Thursday, 30 April

今日の午前中は平和首長会議のイベントに参加しました。ユースからは秀君&佐々木君ペアが発表しました。2人の発表は、数日前のヒロシマナガサキアピール集会から、また一段と良くなっていました!ギリギリまで一生懸命スライドを改良している姿を見ていたので、その努力が実を結んで本当に良かったと思いました。

また、さらに嬉しいことに、今年はもう一組、私がかつて所属していた広島の地元紙「中国新聞」のジュニアライターも発表していました。大舞台でしっかり発表する後輩達をとても頼もしく感じました!♪

(Website: http://www.hiroshimapeacemedia.jp/hiroshima-koku/)

仲間や後輩の発表からたくさんの刺激を受けた私自身も、夜は地球市民集会長崎実行委員会主催のイベントで、長崎の若者としてスピーチをさせていただきました。

No.0でも少し触れましたが、私は去年、ユースになってはじめて核問題の複雑なしがらみに直面し、とてもショックを受けました。それ以降どこか「私のようなただの大学生が声を上げても無意味なのでは…」という思いを拭いきれず、モヤモヤを抱えたまま渡航しました。しかし、実際に現地に来て、自分達の力を信じて活動を続ける多くの市民団体の人々や「市民の声が大きくなれば政府も無視できなくなるから、決して諦めないで」と声をかけて下さったある国の政府の方との出会いを通じ、モヤモヤを吹き飛ばすことが出来ました。スピーチでもこの話を共有させていただきました。実際、最近「核兵器の非人道性」という観点が注目されるようになってきたのも、被爆者をはじめとした市民団体の地道な訴えが大きいといいます。

国同士の議論には「核の抑止力」「国家の安全保障」…そんな難しい言葉が山ほど並んでいるけれど、そこに「市民の姿」は全く見えません。しかし、実際に核兵器が使われた時に犠牲になるのはそこに生きる人々の生活であって、誰かの大切な人や物、場所であって…本当の意味で核兵器について議論をするには、まず核兵器をできる限りミクロな話に落とし込まないといけないと思います。そうなると、やっぱり必要になるのは非人道性の観点で、市民団体の役割は大きいと感じます。

核問題を出来るだけミクロに、個人的な問題にすることは、市民の声を大きくしていく際にも、とても大事ではないかなと思います。実際、周りの友人のほとんどはこの問題に関心がありません。確かに、私のように幼い頃からずっと被爆者を身近に感じる環境にいなければ、原爆は単に歴史の授業で習う昔の出来事で、「平和が大事」「記憶の継承を」と言われても、ピンとこないと思います。楽しい話ではないし、興味が持てないのもすごくよく分かります。でも、この問題は決して過去の話ではなく、もし使われたら自分の大切なもの全てが奪われてしまうということを、一人一人が感じられたなら、もっともっと多くの友人と、この問題について一緒に考えていけるのではないかと思います。そのためには、核問題の敷居を下げて、若者が興味を持てるようなアプローチをしていかないといけないと思います。同世代の私が書くこのブログは、敷居下げに少しは貢献できているのかなあ…?(^_^;)

 

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No.3 Wednesday, 29 April

更新が遅くなり、すみません。29日(水)の振り返りをば・・・^^;

今日の本会議では、ウクライナが発言しました。去年の第三回準備委員会では、ロシアがクリミア侵攻をして日が浅かったので、その件について会議中に他の国がロシアを非難し、それにロシアが噛み付いて喧嘩がスタート…議論が進まなくなったことがありました。その時私は「確かにひどいけど、NPTとは関係ないのでは?今はちゃんと核兵器の議論をして…」と思ったのですが、実はこのロシアーウクライナ問題、核兵器とかなり深く関係していたのです!驚きました。まだまだ知らないことがいっぱいで困惑の毎日です…。

今回ウクライナの発言でも他の国のものでも、「ロシアの行動はブダペスト覚書に違反している」というフレーズが何度も出てきました。ブダペスト覚書という言葉、今まで聞いたことがありませんでしたが、(もしや去年も話されていたけど聞きとれてなかったのか…?(~_~;))これはどうも、1994年にウクライナとロシア・アメリカ・イギリスの四カ国で合意された文書のようです。

ソ連が崩壊したとき、ウクライナには、ソ連時代の大量の核兵器が残されていました。(短期間ではあったものの、一時は世界3位の核保有数だったとか…。)アメリカなどは、連邦崩壊の混乱の中で核兵器が使われてしまうのではと不安に思い、ウクライナにNPTへ入るよう迫りました。NPTに入るには、持っている核兵器をすべて放棄しなくてはなりません。ウクライナは、要求に応えて核兵器を手放す代償に、ウクライナの安全保障がしっかり守られることを求め、3カ国がそれに応じたことでNPTに正式加盟しました。

だから、ロシアがクリミアに侵攻したことは、ブダペスト覚書で約束した「ウクライナの安全保障の確約」を明らかに違反していると責められているのだけれど、当のロシアは、素知らぬ顔…この件に全く触れようとしません。あれだけ批判されていてよくこんな態度を取れるなと、その強硬姿勢にとても驚きます。そして、この国が核廃絶への動きに立ち向かう大きな障壁になっていることもひしひしと感じます。先日プーチン大統領がクリミア併合の際に核使用の準備を整えていたことを明らかにしましたが、このような姿勢を見ていると、いつか本当に使ってしまいそうで…とても怖いです。

午後は、マウントサイナイ医科大学のロバート柳澤先生と一年ぶりの再会を果たしました。詳しくは私の去年のブログにありますが、ロバート先生はアメリカ在住でありながら東日本大震災の被災者支援に尽力されている、笑顔の素敵な先生です。この一週間でも、また新しく多くの素敵な出会いがありましたが、やっぱりこうして去年からの絆を実感できるのは、OGならではの特権だなあ…!とほっこりしました^^♩

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No. 2 Tuesday, 28 April

今日の午前中は本会議の傍聴、午後からは国連を出て、原水協主催のイベント「No Nukes! 青年交流集会」に行って来ました。開会数時間前にたまたまこのイベントの存在を知り、同じ目標を持つ同世代との素敵な出会いにワクワクしながら会場に向かいました♪

会場には180人を超える参加者が集まっていて、そのほとんどが日本の若者(20~30代くらい)でした。26日のデモ行進でも感じていたことですが、あらためて、この被爆70年の節目を本当に多くの日本人が意味深く捉え、アクションを起こそうとしていると感じました。

参加者は職種(学校の先生、医療従事者、大学生 etc)も出身(広島・長崎だけでなく、高知や三重の人も…!)バラバラでしたが、それぞれがシェアしてくださった「この問題に関心を持って一緒に考える同世代がなかなかいない。友達にこの話をしようとすると浮いてしまい、悩んでいた」「原爆は決して過去のものではなく、今現在私たちの生活に大きく関わる問題。核問題を一人一人がいかに自分事として捉えることができるかが重要だと思う」などの意見は、どれも私がこれまで感じて来た思いや考えと全く同じで、心から共感できるものでした。参加出来てよかった!

その一方でわざわざNYまで来ないと出会えなかったというのは、かなりの遠回りで、もったいないなとも思いました。もっともっと日本国内で、この問題に取り組む団体同士の出会いの場、あるいはそれぞれが他の団体の活動情報を簡単に得られるような統合サイトなどがあれば、「日本の市民の声」として一つにまとまって、より強いメッセージが発信できるのになあ・・・と感じました。

<おまけ>

イベント会場の帰りに通りかかったタイムズスクエアで、巨大スクリーンにユースメンバーがバッチリ映り込んでいました(笑)さまざまな誘惑になんとか打ち勝ち、おとなしく帰りました^^(笑)

 

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No.1 Monday, 27 April

ついに2015年NPT再検討会議の幕開けです。初日の今日は、朝からたくさんの国や組織が順番にスピーチを行いました。その中でも印象的だったものについて、いくつか振り返ろうと思います。

①マーシャル諸島

渡航前から注目して追っていこうと決めていた国の一つです。マーシャル諸島は昨年4月の第三回準備委員会の開会直前に、5つのNPT加盟核兵器国とインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の計9カ国が核兵器を保有していることは、NPTや国際法に違反するとして、国際司法裁判所に提訴しました。さらに、準備委員会の本会議でも、被曝経験国として気迫のこもった力強いスピーチを行い、拍手喝采を浴びました。去年私はそのスピーチに感動したので、帰国してからマーシャル諸島の被爆について少し調べてみました。

調べて分かってきたのは、マーシャル諸島の強い覚悟と勇気でした。

マーシャル諸島は過去67回にも及ぶ米国の核実験の影響に現在も苦しみながらも、同時に米国の経済支援に大きく依存しています。驚くべきことに、国の予算の6割を米国からの経済援助が占めています。こんな状態では、普通、何が何でも米国と良好な関係を死守しようと考えると思うのですが…マーシャル諸島は、経済支援を切られる可能性も承知の上で、米国に”謀反”を起こしたのです。日本が二の足を踏んでいる、核の非人道性についての議論にも積極的に参加しています。

「核の恐ろしさを知っていれば、当然の行動ではないか。核軍縮が遅々として進まない中で、声を上げない理由はない。核被害国としての責務を我々は全うする。我々はアメリカの長年の友人として、もっと真剣に取り組むべきだと助言したのだ」

デブルム外相のこの言葉に胸を打たれると同時に、これが日本政府の言葉であれば…と口惜しくも感じました。日本は被爆国としての立場を強調しつつも「日本を取り巻く緊迫した国際情勢から国を守るため」と米国の核の傘に依存し、明確な言動を避けています。でも、マーシャル諸島のように経済的な安定を保つことも、国を守る大きな要因です。被爆国として本当に心の底から核の無い世界を望むなら、マーシャル諸島のように安定を捨てる覚悟で臨むことが必要なのではないかと思いました。言うは易し、でしょうか・・・?

②IAEA&岸田文夫外務大臣

今日は二人の日本人が壇上に上がりました。お一人はIAEAを代表して天野之弥事務局長、もうお一方は日本政府を代表して、岸田文夫外務大臣でした。

IAEAが原子力の平和利用を推進するための機関であるということはもちろん分かっているし、実際にレントゲンなど、私も日常生活でかなりお世話になっていることもわかっています。しかし、天野事務局長が原子力の有用性と安全性の強化を強調し、岸田大臣が「福島第一原発事故の教訓を踏まえ、国際的な原子力安全の強化に貢献していく考えです」とおっしゃったのを聞き、天野事務局長は日本人としてではなくIAEAの立場から話しているとはいえ、なんだか「日本は福島の事故を受けて、原子力から離れるのではなく、よりセキュリティーを高めて密着していくのだ」と世界に暗示してしまったように感じてしまいました。

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No.0 Friday, 24 April

無事NYに着きました!

去年、二期生としてこの日を迎えた時は、不安と緊張でいっぱいいっぱいだった覚えがありますが、今回は心に余裕を持って渡航することが出来ました。それは、2回目の慣れももちろんあるでしょうが、自分の活動に自信と意義を見出せたことが大きいと思います。

恐れ多くも、去年は帰国してからたくさんの講演依頼をいただきました。中でも印象的だったのは、修学旅行で長崎に来た中学生への講演でした。核軍縮や核不拡散など、難しい言葉をたくさん使った講演でしたが、どの子も真剣に聞いてくれ、講演後、矢継ぎ早に質問をされたことは一番嬉しい驚きでした。引率の先生から「あんなに質問が出るとは意外だった。歳が近いあなたの言葉だからこそ、中学生にもここまで響いたんだと思う」と言われました。それまで私は、この分野に関しては自分が最後尾で、被爆者の方々をはじめとした「先輩方」を追いかけ、ひたすら教えていただく立場だと思っていたけれど、この講演を機に、自分はすでに追いかけられる立場、伝える立場にもあるのだと意識するようになりました。

今回は、去年までよりも多くの方々が私達のブログを読み、応援してくださっていることを感じています。また、講演後に「ブログ、読みます」と言ってくれた子達のことも頭に浮かびます。

核問題を学べば学ぶほど、そこに深く根付く国益や多国間関係の複雑なしがらみに直面し、自分の無力さを感じていましたが、このブログを通して自分の等身大の言葉を発信していくことに、大きな意義を感じています。二週間の長丁場になりますが、どうぞよろしくお願いします!(^_^)

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