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Chisa’s Blog ~Chisa’s NPT blog~

No.8 Tuesday, 6 May

<本日の予定>
本会議傍聴
マウントサイナイ医科大学ロバート柳澤先生と面会

早いもので、私の活動最終日でした。
午後はマウントサイナイ医科大学病院に出向き、ロバート柳澤先生にお会いしてお話を伺うことが出来ました。ロバート先生は、米国在住の内分泌内科の専門医でありながら、東日本大震災が起こった後素早く現地入りし、緊急医療支援を行いました。また、被災者、特に子供のメンタルヘルスの重要性を訴え、継続してメンタル面をサポートする活動を行っています。この面会は元々私が希望し企画したものだったのですが、実現までにいろんな方のお世話になりました。

まず、この企画を立てた経緯をご説明します。
私は、以前からマウントサイナイ病院に興味がありました。それは、この病院が4/29のブログで触れた笹森さんをはじめとする原爆乙女を治療した病院だったからです。ユースに決まった時、この病院のことを思い出して、ぜひ訪れたいと思っていました。しかし、実際にはアポ取りを出来るようなツテが見つからず、ほとんど諦めかけていました。そんな中、今年3月、所属学部のプログラムで福島県立医科大学を訪れ研修を受けたのですが、その前準備として同大学について調べている中で、頻繁に”マウントサイナイ病院のロバート先生”のお名前を見かけるようになり、病院に対する興味をきっかけに先生ご自身の活動に関心を持つようになりました。そこで、研修中お世話をしてくださった県立医大の熊谷先生にお願いして、面会の時間をいただけるようかけあっていただき、実現に至りました。この場をお借りして、福島県立医科大学・熊谷先生をはじめ、その他自分のネットワークを駆使してマウントサイナイとの繋がりを探してくださった多くの先生方に感謝申し上げます。

このように、今回の面会は、”元々この病院自体に興味を持ったこと”、”研修で福島を訪れたこと”そして”NYへ行ったこと”という、お互いに全く関係のない、私の人生の中での3つの点が、人と人との繋がりによって綺麗に一つの線で繋がった結果生まれたものでした。

そして、この出会いがさらにまた一つ、新たな点(出会い)を生み出してくれました。実は5日のTribute WTC visitor center 訪問は、ロバート先生が私たちに家族会の方を紹介してくださったことで実現したのです。マウントサイナイ大学病院が9.11の犠牲者遺族、救援活動に参加した消防士や警官の長期支援を行う医療機関の中核を担っていることから、ロバート先生と9.11家族会には親交がありました。3.11が起こった時、東北の被災者のために何かしたいと考えた家族会の方々はロバート先生らに相談を持ちかけ、それがきっかけで一緒に東北へ出向いて支援活動をしたり、禎子の折り鶴をモチーフに、WTCの鉄骨を使って折り鶴を模したモニュメントを作り、岩手県に送ったりしたそうです。

この2日間を通して、一見関係ないようでも、全ての点は一つの線で繋がるということ、そして、人と人との絆がそれらの点をつなぐのだということを感じました。

今回ナガサキユースとして活動出来たことは、とても大きな経験になりました。この経験が、私の人生の中で、次はどんな点に繋がっていくのか、とても楽しみです。この活動期間を通して出会えた全ての方々とのご縁を大切に、これからまた一歩一歩、進んで行きたいです。これまで私の拙いブログを読んで応援してくださり、本当にありがとうございました。

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No.7 Monday, 5 May

更新が遅くなり、申し訳ありません。
本当に色んなことを感じた日だったので、それをどう言葉にしたら良いか分からず、なかなかブログをかけませんでした。今もまだ上手にまとめられるほど整理がついていないため、長文になりましたが、自分の気持ちに正直に書きましたので、読んでいただけたらと思います。
<本日の予定>
✴︎9.11Tribute WTC visitor center 訪問
✴︎本会議傍聴

午前中、9.11 Tribute WTC visitor center を訪問しました。これは、9.11の家族会の方が、記憶を後世に伝えて行くためにと建てた祈念資料館です。
たくさんの遺品や関連資料の展示がありましたが、特にハイジャックされた飛行機の乗客が、亡くなる直前に奥さんに電話して伝えた実際の言葉や、WTCに勤めていた女性がまだ小さな女の子だった時にお母さんに宛てて書いたラブレターなどを目にした時には、涙が止まりませんでした。そこには、その人が実際に生きていた証、そして誰かを愛していた証がはっきりと示されていて、それが突然奪われた悲しみを思うと、言葉になりませんでした。

実際に現地を訪れ自分の五感を使って感じ取るのと、ただ人から話を聞くのとでは、感じる気持ちの幅が全然違うと身を持って実感しました。また、同時に、先日聞いた”核兵器の抽象性”の話を思い出しました。詳しくは私の5月1日のブログに書いてあるのですが、「NPTの中で各国代表として議論をしている人の大多数は実際に広島長崎を訪れていない。だからどれだけ”核兵器は破壊的で恐ろしい兵器だ”といっても、彼らにとってはどこか抽象的なのだ」というのです。
その言葉を聞いた時、ずっと被爆地に関わってきた私には、その”抽象性”を想像することが出来ませんでした。しかし、今はよく分かります。私にとっての9.11が同じだったと気づいたからです。ー「ハイジャックされた飛行機がビルに突っ込み、3000人以上が亡くなった悲しいテロ事件」ーという私のこれまでの認識は、確かに間違ってはいないけれど、亡くなった方の人生や愛する人への気持ちまでは具体的に思いが至っておらず、どこかぼやけたイメージでした。

自分で実際に経験していないことには、どうしても抽象性が残ります。時間的、あるいは空間的隔たりの大きさに比例して、それはどんどん高まってしまうように感じます。こういった自分の気持ちを、館内を案内してくださった家族会の方に話してみると、全く同じように感じるとおっしゃられました。9.11の方でも、いかにして風化を食い止めるか、事件の後に生まれてきた子供達にこの事件をどううまく伝えていくか苦心しているところだそうです。理由は違えど、もう2度とこのような悲しいことが起きないように願う気持ちや、その風化の問題に不安を感じていることは、原爆も9.11も一緒です。どうすれば風化させずに後世に伝え続けていけるかを、一緒に考える場を設けられたらと思いました。

ここまで悲しい展示についてフォーカスしてきましたが、展示の中には、明るい希望の見える展示もありました。あまり知られていない事実ですが、広島の平和のシンボルである佐々木禎子さんの折り鶴が一羽、このセンターに寄贈されているのです。この折り鶴は、9.11の後、”起こった出来事は違っても、痛みを分かち合う気持ちは一緒だ”として、禎子さんのお兄さんが持って来られたもので、9.11で傷ついた多くの人々を慰め、勇気付けてきたそうです。そして、そのお返しに、”今度は自分達が誰かを勇気付ける番だ”と、9.11家族会の方々は3.11東日本大震災の被災者を支援する活動を始めました。詳しいことは5月6日のブログで書かせていただきますが、
原爆と9.11そして3.11、一見関係のない3つの出来事でも、それらは痛みを分かち合い、その心に寄り添いたいという、人間同士の温かな絆で強く繋がっていました。

現在、9.11と広島との繋がりは構築されていますが、長崎とはまだとのこと。今回の私たちの訪問を、長崎と9.11の繋がるきっかけとして、人間同士の平和の絆をより一層強めていきたいです。

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No.6 Friday, 2 May

<今日の予定>
Virginia Gamba, the director and deputy to the high representative office for disarmament affairsとの面会
ノルウェーの学生と交流
ドイツの学生とのディスカッション

今日はUNODA(UN Office for Disarmament Affairs= 国連軍縮局)のVirginia Gamba 氏との面会の時間を得ることができました。国連軍縮局とは、軍縮、不拡散、軍備管理といった問題を扱う国連内の局で、軍縮分野における規範を設定するため、実質的かつ行政的支援を提供しています。また、非核地帯など地域の軍縮活動も奨励しており、軍縮教育計画に力を入れています。

アルゼンチン出身の彼女は、1976年から7年間に及んだ祖国の軍政下国家テロによる人権侵害について触れ、「転換期を迎えることができたのは、生き残った人々が、自分のされたことを周りに地道に伝え続けたからだ」と言っていました。また、「ソビエト連邦が存在していた頃、だれもまさかそれが崩壊するなんて思わなかったし、誰も東西ドイツが統合するなんて思っていなかった。だから、この世に”絶対”はないんだ」と話してくれました。

核軍縮の問題は、各国の国益や国際関係が複雑に絡み合っていて、NPT設立から長い年月が経った現在も遅々として進んでいないのが現状です。渡航前の事前学習に加え、実際に本会議を傍聴して現状を目の当たりにすればするほど、改めてその打開には気が遠くなるほどの努力が必要なのだと実感させられます。また、このような壮大な問題に対して自分がしていることは果たして意味をなしているのか?と思ってしまうこともあります。しかし、そのような中、彼女のこの言葉を聞けたことは、とても大きな励みになりました。

軍縮局は最近”Actions for disarmament 10 things you can do”という本を出版しました。その中で、核を含む様々な兵器の軍縮に向けて、私たち市民一人一人にできることや、具体的な取り組み方が提案されているそうです。近々日本語版も作られるとのことなので、出来るだけ早く手に入れて、微力ながら自分にできることを探していきたいと思います。

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No.5 Thursday, 1 May

<今日の予定>
Martin Luther King Jr Educational complex,Manhattan 訪問
ICRCの関係者との面会
ICANの関係者との面会
アメリカの nuclear weapon modernization についてのサイドイベント出席
NY長崎県人会ばってん会との夕食会

今日の朝は、キャサリン・サリバンさん率いるHibakusha Storiesに同行して、高校生に被爆者の方が体験を話すイベントに参加しました。私は、米国の若者が原爆について実際にどのように学び、何を考えているか知りたかったので、この訪問をとても楽しみにしていました。

訪問前、私は「彼らは、広島長崎の原爆についてあまりよく知らないのではないか、あるいは知っていても原爆を正当化する習い方をしているかもしれない」と予想していたのですが、実際には、死者数などのデータだけでなく、被爆者の身に起こった様々な苦しみについても学校で学んでいたらしく、驚きました。特に、佐々木禎子さんを知っていると答えた人数がとても多かったことは、一番嬉しい驚きでした。

今にも泣き出しそうな顔で眉間にシワを寄せ、頷きながら被爆体験を聞いている女の子や、スクリーンに写った黒焦げの死体の写真を見て息をのんでいる男の子の横顔を多く見ることができました。終わった後、「核兵器を無くしたいと思った」という感想を聞くこともでき、来てよかったと心から思いました。

高校訪問の後は、国連に戻り、ICRC(赤十字国際委員会)の女性の方と面会しました。ICRCは1945年から核兵器廃絶を表明して来ましたが、特に2011年には、それまでの政治的な問題における慎重な立場を脱し、核兵器の非人道性を理由に、廃絶を訴える力強い声明を出しました。

「これまで2回核兵器の非人道性ついての会議が開かれ、その破壊的影響は多くの国が認めるといっているのに、核兵器を無くす方向への議論がなかなか進まない原因はなんだと思いますか?」と尋ねると、「”非人道性”はどうしても抽象的。核兵器が使われると大変なことになると言葉ではわかっていても、実際には広島や長崎を訪れてその被害の実相を見てはおらず、実感のわかない人が大多数。そういう状況下では、各国の代表は、曖昧な”非人道性”よりも、目の前の締結文書で明確に示される”自国を守るための条約”にどうしても流れやすいのではないか」と答えられました。

この意見は目からウロコでした。私は今までずっと被爆地に住んできたので、原爆被害を見聞きすることが当たり前になってしまっていたけれど、世界では、このことは決して当たり前ではないのです。だからこそ、広島・長崎両市長が世界のリーダーに原爆資料館を訪れて欲しいと訴えつづけていることには大きな意味があるし、それは絶対達成されなければいけないと感じました。

これから被爆者数が減るにつれ原爆被害の”抽象性”はどんどん高まっていくでしょう。どうすればそれを食い止めることができるか、どうすれば風化させることなく次の時代に引き継いでいけるかをしっかりと考えなければならないと思います。

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No.4 Wednesday,30 April

<今日の予定>
アメリカ政府のGovernment Briefing傍聴
本会議傍聴
広島県主催サイドイベント参加
企画本格始動

今日は、ようやく自分の企画を本格始動させることができました。
今まで書いていませんでしたが、私たちはこの準備委員会に参加して、ただ本会議を傍聴したり、サイドイベントに参加したりするだけではありません。事前に自分たちでイベントを企画して、こちらで実行しようと準備を進めて来ました。

私がメインで関わっている企画は、この準備委員会で出会う多くの人々にインタビューをしてそのビデオをとり、短いムービーを作るというものです。
インタビューの内容はただひとつ。「あなたが2015年に向けて達成したい目標を教えてください」です。なぜ2015年なのかというと、来年2015年は計3回の準備委員会を踏まえたNPT再検討会議の本会議が開かれる年であると同時に、広島、長崎への原爆投下からちょうど70年という節目の年でもあるからです。

インタビューの対象は、各国の軍縮担当官を含む、今回の準備委員会に参加している全ての人々。分刻みのスケジュールで動いている彼らを廊下で引き止め、インタビューへの協力を掴み取るのはなかなか難しいですが、残りの一週間も継続して続け、少しずつ進捗状況を報告していこうと思います。

NYは5月とは思えないほど寒く、特に今日は激しい雨風で大変でした。ちょっと風邪を引き気味なので、体調管理に気をつけて、これからも頑張ります。

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No.3 Tuesday,29 April

今日は、これまでずっとお会いしたかった方との面会が実現しました。広島の被爆者で、原爆乙女の笹森シゲコさんです。
原爆乙女とは、原爆によって顔や身体にやけどを負った若い女性の総称ですが、狭義には1955年に渡米し、無償でケロイド治療をうけた25人の女性のことを指します。
笹森さんはそのうちのお一人で、治療を受けた後、彼女らの渡米実現のために尽力した故ノーマン・カズンズ氏の養女となりました。私は、中学時代、故郷広島の地元新聞のジュニアライターとしての活動の中で彼女の存在を知り、その生き方にとても興味を持ちました。それ以来、いつもお話を聞きたいと思っていたので、今日は実に5年越しの希望が叶うことになりました。

私は、「何の罪もない自分の身体を深く傷つけ、人生を狂わせた国として、やはりどこかアメリカを憎んでしまうことはなかったのか?渡米して治療を受けることや、養女になると決めた時に、葛藤はなかったのか?」と尋ねました。すると笹森さんはとても優しい笑顔で「アメリカがいけないんじゃないの。戦争がいけなかったのよ。アメリカに来てから、本当にいろんな人に優しくしてもらった。目の前で人が転ぶと、とっさにその人を助けてあげたくなるように、人種や国籍に関係なく、人間はみんな温かな心を持っている。その心をもって人に接すれば、憎しみは生まれないの」と答えられました。

私はどこか、彼女の中でアメリカを恨む気持ちがあることを前提に質問をしてしまっていたので、その言葉を聞いてハッとしました。永井隆博士も「本当の平和をもたらすものは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による」という言葉を残していますが、彼女の人生はまさにその言葉を示していると思います。私は、この考えに賛同します。私は海外に友人がいますが、彼らの住む国とは絶対に戦争をしたくないし、原爆を落として欲しくない。彼らが傷つくことなく、笑顔でいられることを心から願っています。幼稚な表現かもしれませんが、一人一人の中でそういった「自分の大切な人のいる国」が増えていくことが、平和な世界につながると思っています。

そして、愛や優しさが本当に平和をもたらすものだということは、私たち若者世代が一番、平和な世界づくりをしやすい世代であるということを意味しているのではないかと思います。世界では、確かに今もなお戦争をしている国はあるし、宗教の対立なども無視することはできません。しかし、世界大戦を経験した私たちの二つ前の世代、冷戦による緊迫した国際情勢を経験した私たちの親の世代に比べれば、戦争を知らない私たち若者世代は、憎しみの感情がずっと薄い分、愛や思いやりを育てていきやすいと思います。

今日、平和首長会議のイベントで、平和を願う海外の若者たちとの素敵な出会いがありました。この出会いを新たな平和の種として大切に育てて行きたいと思います。

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No.2 Monday, 28 April

ついに準備委員会の幕開けです。
委員会は、ついこの間長崎にきて、私たちユースへ向けて話をしてくださったばかりの、ペルーのモレイ議長の言葉と共に始まりました。その一番初めの声明の中で、私たちに話してくださった”realism: 核問題を楽観的にも悲観的にも捉えることなく、現実をまっすぐに見据え、解決策を考えていくこと”を改めて強調されていました。

今日明日2日間はGeneral Debateの時間です。これは、参加国の中で、他の加盟国に自分の考えをシェアしたい国が名乗りを上げ、順番に意見を言っていくというものです。
午前中は、インドネシアやマーシャル諸島、アラブ諸国を代表してイラクなどの国々が発表しました。私は、その中で、核兵器に対するスタンスがどうだったかうろ覚えな国がいくつかあったので、事前準備で使ってきた勉強資料で確認しながら意見を聞いていました。各国の読み上げる意見文は、各々の核兵器に対するスタンスを根底に、言葉を厳選して作り上げた”外交”文書であるので、その真意を理解するには、まずスタンスの把握が必要不可欠です。ただ、一つの国が話すスピードはもちろん、間を置かずにすぐ次の国の時間が始まるので、ついていくのが大変でした。質疑応答や討論のないGeneral Debateでさえ大変なので、本格的に各分野の討論がはじまると、各国が飛び交わせる意見に内包している意図を瞬時に読みとるには、それぞれの国のスタンスがしっかりと頭に入っていないと本当に難しいだろうなと感じました。

夕方からは、日本の吉川国連大使と面会する時間をいただき、その後、大使主催のレセプションパーティーに出席させていただきました。このレセプションは、大使をはじめとする日本政府関係者や各国の核軍縮担当官、報道陣、広島県代表団(県知事/市長/高校生など)、そして田上市長率いる私たち長崎県代表団といった、参加者総勢100人を超える大規模なものでした。幸運にも私は、その中でナガサキユースを代表してスピーチをさせていただくことができました。内容を日本語で考える段階から、本当に伝えたいことは何かを何度も自問し、悩み抜いてできたスピーチだったので、参加者の皆様が誰一人として話をすることなく、真剣かつ温かな眼差しを持って私のスピーチを聞いてくださったことにとても感動しました。スピーチ後、本当に多くの方からお褒めの言葉や感想をいただき、喜びでいっぱいでしたが、とりわけ、吉川大使やモレイ議長がわざわざ私の所に来て握手を求めてくださった時には、感無量でした。このような貴重な経験をさせていただけたことに、心から感謝しています。この経験を糧としつつ、謙虚な気持ちを忘れずに明日からまた一歩一歩進んで行こうと思います。

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No.1 Sunday, 27 April

核問題に取り組む若者が集うピクニックに参加しました。集ったメンバーの出身や経歴はさまざまでしたが、共通するのは、みなそれぞれアプローチの仕方は違えど、どの人も核兵器を無くしたいと心から思って活動しているということでした。

その中でも私は特に、アレックスさんというコスタリカの女性からたくさん話を聞くことが出来ました。彼女は元々通訳をしていたそうです。この活動に取り組みはじめたきっかけを聞くと、通訳の仕事の中で、カザフスタンの核実験被害の実相を知る機会があり、そのときに「自分も何かしなければいけない」と強く感じたからとのことでした。私もちょうど昨年の夏にカザフスタンへ渡航し、セミパラチンスク核実験場で放射線被害の実態を視察してきたばかりだったので、彼女の感じた「何かしなければ」という思いにとても共感できました。

核問題に携わるきっかけもその時感じた思いも人それぞれで、興味深かったです。もっと色んな人に会って話を聞きたいし、自分の話もシェアしたいと感じました。

もう一つ、今日出会ったメンバーに尋ねたところ、この問題に取り組んでいる彼らでさえも、今まで実際に広島や長崎を訪ねる機会があった人は少数でした。お金がかかるし、遠いからなかなか難しいといっている人もいました。そのような状況下では、今核問題に関心の無い人が広島や長崎を訪れる可能性はより一層少なくなるでしょう。もっと多くの人が気軽に広島や長崎を訪れることができ、そして、その訪問が、アレックスさんにとってのカザフスタンのように、核問題に関心を持って何かをしたいと動き出すきっかけになって欲しいと思います。

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No.0 Thursday, 24 April

こんにちは。
ナガサキユース代表団二期生の西田千紗です。
私は、広島で生まれ育ち、中高を通して平和活動に携わってきました。

私は、大学生の今、この会議に参加出来ることに大きな意味を感じています。大学生の今だからこそ、中高の時に比べよりアカデミックな視点から冷静に核問題に取り組み、目の前で繰り広げられる国際議論の動向を理解することができると思います。同時に、ただの大学生という、なんの肩書きもない若者だからこそ、多国間交渉の現場に根づいた複雑なしがらみに捉われることなく、フレキシブルに活動することが出来ると思っています。

とはいえ、恥ずかしながら、ユースに選ばれるまではNPTについて本当に微々たる知識しか持っていなかった私です。きっと学ぶこと、気付かされることばかりの2週間になるでしょうが、五感をフル活用し、精一杯色んなことを吸収しながら、一歩一歩大切に進んで行こうと思います。そしてその中で、少しずつ自分の故郷広島、そして新たに繋がりのできた長崎について発信していけたらと思っています。

渡米を目前に控え、これから得られる素敵な出会いや新たな学びに期待を膨らませています。これまでさまざまな形で私を支えてくださった全ての方々、そしてこのような貴重な機会をいただけたことに感謝しつつ…

NYへ、いざ行かん!

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