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Mayu’s Blog 【’How I feel’ In….】

No.16 Sunday, 10 May

ラストblog

時差ボケからの覚醒(゚ロ゚)

日本に帰ってきました(^x^)!

(blogの更新が遅くて日付が錯誤していますね(T_T)すいません)

□帰国後の私の頭の中◇

・若者を巻き込みたい→若者に何をさせいの?

・核問題、化学兵器など他の大量破壊兵器と比べられないのでは?

・歴史と現在やっぱり違う。

・長崎が変わるのと東京が変わるの、どちらが効果的か?

・世界は本当に市民社会で動いてる。

でも私はその市民社会の一員じゃない。ここで言う市民社会とは、驚くほど賢く、強い意志をもち、その能力を認められた有給のNGOの人達のことなんだなーって。本当に自分で感じたのか、どこで吹き込まれたのか忘れたけど、今はこれに完全支配されてる(@_@)

・ユースを応援してくださった皆さんはこれからのユースに何を求めているのだろう?

まずこれらを解消しなきゃ(・o・)

□ありがとう□

この活動で得た一番大きな収穫は偉大な先輩と尊敬出来る仲間や先生方(・o・)!

一人ずつに対する今の気持ちを書きます。

*ゆかさん なんでも出来ちゃうのに一歩引いて私達をサポートさてくださいました(^O^) ユースのサイドイベントに至っては、ゆかさんなしではほとんど前に進まなかったんじゃないかってくらい!!

私はアンポンタンなので本当にたくさん迷惑かけちゃいました(T_T)

*ちさちゃん 同い年とは思えないほどしっかりとした文章やスピーチにビックリ! なのにちょっと抜けてる所があって親しみやすい同級生(^x^)

* ひで 多文化社会学部で英語ペラペラ!とっても面白いのに真面目な一面も!平和教育への想いに圧倒されました。

*はやと  ユース1のエンターテイナー! 初対面の人とも壁を作らずどんどん前に進める所、見習わなくっちゃ(~o~)

*ともや 不言実行が本当に似合うメンバー。大きな事を言って何も出来ない人もいるけど、彼は真逆。知らないうちにどんどん進化してる!

*ひろちゃん  読書家の天使(^O^)ネイティブチェックなどでお世話になりました。才能溢れる彼女をこれからも陰ながら応援したい!

*ともえ  同じ学部で同じ学年。なのに性格も興味も全く違う(^O^)時にそれが不思議で面白かったです!

ニューヨークでともえの公衆衛生への強い想いに触れて、これらかも頑張ってほしいなーと思った(^x^)

*あゆみ  ユースのアーティスト(^O^)PDPプロジェクト、本当にあゆみんのセンスが光ってた!

あゆみんはとても人間らしくて素敵だなー。

*じょー 静かそうに見えるけど、話してみたらとっても楽しい♪未来の外交官に乞うご期待!

*ふみ  我らがふみ先生!去年の夏はスーパーマンすぎて圧倒されてたけど、一緒に活動してるうちに、人間らしい面に気づき、いつの間にか本気で応援してた(^O^)NYで先生をする日を楽しみにしとこう!

*あまにい  だいぶお兄さんだから長崎では近づきにくかったけど、NYで真剣に傍聴しているのを見て、いつのまにか尊敬の眼差しを向けてた(゚ロ゚)!blogもぶっちぎりで面白かったです!

*みなみさん  北東アジア非核兵器地帯に詳しいユースのお姉さん(^x^) 今は帰国後報告会の準備を引っ張ってくださってます!敵を作らない天才(゚ロ゚)見習わなきゃ!

二ューヨークではみなみさんの傍聴への愛をたくさん感じました!

*パスカル  核問題のモヤモヤを気軽になんでも話せる(^O^)

法律の事とかに詳しくって本当に頼りになるレクサポです!ユース主催のサイドイベントにたくさんの時間を割いて協力してくれたことは一生忘れない(>_<)これからもその才能を生かして”新しい平和活動”を貫き通してほしいな!

*ゆかりーぬ ぎゃー(@_@)

ゆかりーぬは去年の夏から一緒にレクナで活動してきて、ユースでも共に頑張ってきた仲間です!ユース直前はうちに泊まり込んでプレゼンを作ったりしたよね(T_T)

ゆかりーぬは頭の中にある疑問を素直に表に出すのが上手くって、横で聞いてて「よく言った!」って思う時がたくさんあったな。これからも彼女のわくわくワールドを楽しみたい!

*かりん とってもしっかりしてて、人前できちんと意見が言える所を私は見習わなきゃ(T_T)

これからが楽しみの私のかわいい後輩ちゃんです!

*江島さん ユース1期の大先輩。仕事をストップしてわざわざニューヨークに来てくださいました。私が同じ立場だったら出来なかっただろうなー(>_<)

各イベントのビデオ撮影からユース主催のイベント(発表)の準備の追い込みまでサポートしていただきました。ピーク時には桂子先生が言いにくい注意をしていただいたり、帰国後の今でもユースそのものを良くするために尽力されています。

自分の立場を理解して、なにをすべきかを明確に理解されてて(それだけじゃないけど)なんだかずっと圧倒されてました(@_@) 私と数歳差とは思えない。

*広瀬先生 本当はとても忙しいのに、学生の素朴な質問にも喜んで答えてくださってありがとうございます(>_<)なんだかんだで、ユースになったのも、真珠湾に行ったのも先生の影響です(^O^)!これからもお話し聞かせてください!

*桂子先生 桂子先生には感謝してもしきれないくらい(>_<)先生はレクサポ時代からずっと私達の活動を暖かく見守ってくれました(T_T)

アドバイスも最小限。私達をきちんと成長させてくれる先生です!

そんな先生に大学時代に出会えてよかった。大好きだー(^x^)!

皆さんと一緒に活動できて本当によかったです(^O^)!

この経験はずっと大切にします!!

今までblogを見てくださった皆様、1大学生の活動を暖かく見守ってくださりありがとうございました(>_<)

ニューヨークでくじけそうになったとき、皆様の”いいね!”に励まされてました(^-^)

ps:帰国翌日は時差ボケで悩んでいましたが、それ以降は何だか覚醒しちゃいました(笑)

帰国してから完全朝型人間です(^x^)

専門の薬学の勉強も楽しくなってきました♪♪

夏までに真珠湾のことや国連での出来事をきちんとまとめようかなー(o^^o)

 

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No.15 Saturday, 9 May

また帰ってこよう

とうとう最終日。

今日は朝から飛行機に乗るだけです(^-^)

空港までは節約のためにエクスプレスバスを使います。

ニューヨークに来たときはバスに酔っていましたが、帰りは全く酔わなかった!ちょっとタフになったのかな(・o・)?

真珠湾とニューヨーク、絶対また来よう・・・ビッグになってから(笑)

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No.14 Friday, 8 May

国連最終日

RECNA FORUM

-北東アジア非核兵器地帯-

今日はレクナの先生方の北東アジア非核地帯に関するフォーラムがありました。

このフォーラムはサイドイベント会場ではなく、本会議が行われる会議場で行われました。どうやら在ニューヨーク日本政府代表部が後援したみたいです。(違ってたらごめんなさい)

会議場を貸し切っていたので、今日だけは政府代表が座るイスに座れました(・o・)!

簡単に言うと、大きくては立派な会場で、一流の専門家達が核廃絶に非常に有効な提言を行う、といった感じです。

誰でも簡単に価値を理解できると思うのですが・・・人があまりこなかった(T_T)

どうやら、他のイベント(IAEA?)と被っていたようです。

※よって参加者は少数精鋭でした。

そのような状況でも中国の若い政府代表の方はいらっしゃっていました。しかも自分から発言もされていました。

一方で韓国の政府代表の姿はありませんでした。

果たして韓国は北朝鮮の非核化に本気なのか?

南北統一したときに北の核がまだあったら、本気で無くすことができるのか?

レクナからの提言はこちらから見れます。

http://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/asia

フォームの後は桂子先生にお別れの挨拶をして、友達とおいしいハンバーガーを食べに(・o・)!

山場(昨日のユースのイベント)を超えてほっとしたのでしょうか? なんだか本当に幸せだったな(o^^o)

この二週間を振り返ると、本当にメンバーとべったりだったなー(^x^)

宿泊は他の団体と違って激安シェアルーム。

夜までユースの仕事を一緒にやったり、美味しいご飯作ってもらったり、核問題や人生を語ったり・・・

あー、明日帰国だ(・o・)

 

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No.13 Thursday, 7 May

とうとう(・、・)

ギリギリまで準備準備準備。

桂子先生にも先輩方にも迷惑かけてしまいました(T_T)

イベントの全体像は他のメンバーのblogに任せて、自分達の発表について書きますね。

「日本政府がもう少し核廃絶に向けて頑張れるにはどうしたら良いか?」

□私たちなりの答え□

・政府レベル

日本政府の言い訳である「周辺環境の改善により、核の傘の役割を減らす」です。

具体的には中国にアプローチして、DPRK(北朝鮮)の核問題を解決といった内容です。

・市民レベル

長崎は中国との交流がほかの県より深い。この”土地の利”を生かして、市民レベルで長崎-中国の信頼関係を築けるのでは?

長崎大学にも200名以上の中国人留学生がいるので、私たち長大生にもできることがあるよね、といった内容です。

大声で英語を使って発表するのは生まれて初めてでした。表面上、所謂「よい経験」をしました。しかし見えないところで”人間として”学ぶことがたくさん(・o・)!!!!!!!!!!!!!!!!!!

反省点がありすぎて、あまり良い事を書く気になれません(T_T)

その夜、先輩と話しました。

その中で素晴らしい先生方や先輩方がすぐそばにいることに改めて気づきました。

先輩との話のうち最も心に響いたのは「初対面の人とくだらない話が出来る価値」です。

私は日本語ですら初対面の人と話さない上に、日常生活でも数人の友達と話せばもうお腹いっぱい。おもしろい!と思った人とだけ話して、あまり感心のない人とは話さない。思ってもないことは絶対言わないし、何故かそれにプライドを持っていた。

でも、これって本当に悲劇的なんですよね(・-・)

私のすぐ側には「話せる」人がたくさんいます。彼らから学ばなければ・・・

なにはともあれ、今まで泥臭く一緒に頑張ってきたゆかりーぬとパスカル(レクサポ 豊田君)に本当に感謝です(>_<)

そしていつも素敵な笑顔をくれた果鈴ちゃんにも感謝(^-^)!

本当にありがとう(T_T)

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No.12 Wednesday, 6 May

準備準備準備準備(・o・)

今日は”特に”先輩方(ユース3期ゆかさん&ユース1期江島さん)に本当に助けていただきました。どんなに感謝しても足りないくらい(>_<)

ところでなんの準備かと言うと、国連のカンファレンスルームで行う”ナガサキ・ユース代表団主催”のサイドイベントの発表の準備です。

このイベントには多くのユースメンバーと長崎で一緒に核問題に取り組んでいるレクナサポーター(レクサポ)からの有志が関わります。

私はユースの中原さん(ゆかりーぬ)とレクサポの豊田建主さんとチームを組み( 途中からレクサポの牧島果鈴さんにも手伝っていただきまし)以下の課題と向き合いました。

「日本政府がもう少し核廃絶に向けて頑張れるにはどうしたら良いか?」

ありきたりな話題ですが、真剣に考えると面白い題材です。

考えてるうちに、北東アジアは一般的に状況が悪いと思われている中東アジアと同じくらい・・・いや、それよりもっとひどい安全保障環境状態なのでは?と思えてきました。毎日の生活では気にならないけれど、端から見たら私達の住んでいる地域は緊張感の漂った核兵器だらけなんだなーとひしひし感じる訳です(・o・)

平和ボケとはまさにこのこと。

海外でボランティアもいいけど、日本の若者はまず、自分の国も大概危険な状態にあることに気づかなければいけないと思いました。

今日は傍聴そっちのけでひたすら準備してました。明日はいよいよ本番(・o・)

 

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No.11 Tuesday, 5 May

エネルギートーーーク(゚ロ゚)

withドイツのお兄さんお姉さん

今日はドイツの大学生と互いの国の原発について話ました。

正直言って、原発問題にあまり興味が持てない自分がいます。なぜかは分かりませんが。

日本人は外国人=ディスカッションが得意と思いがちですが、ドイツ人学生の中でも議論に積極的に参加していた人もいたし、そうでない人もいました。

私のグループはドイツ人4名と日本人2名でした。

日本人勢は皆理工系学部の学生だったので、自分達自身も強く原発に反対出来ていないことを話しました。ところがドイツ勢、皆工学部の学生なんですよね(・o・)! でも彼らは原発には絶対反対でした!

私もドイツ人学生みたいに おもいっきり反対したい・・でも・・・できてない。

いったい何が私をこうさせているのでしょう?

ディスカッションの後に、私たちナガサキ・ユース代表団が国連で主催するサイドイベントの案内を先輩がしてくれました(・o・)

その時に、長崎の多くの若者は意外と核問題に関心を持ててないというフレーズがあったのですが、その言葉が発せられた瞬間、私に向けられたドイツ人学生の視線が痛かったです。

多くの日本人が原発に強く反対できないどころか、核問題にもあまり興味のないことにたいして、あきれた顔をしたように思えました。

原発の話、まだよくわからない。

核兵器の話は論外だが、原発の技術を開発したことは何にも悪くなのでは?人間が過去の偉人たちと同様に知恵を振り絞っただけ。

エコエコエコエゴエコ(・o・)

そもそも人間は環境を汚しながら生きてきたでしょ?

今は、さすがにこのままでは人類が生き延びれないことを悟り、環境汚染という概念を作り「エコ」を叫びだしたって所でしょうか?

こんなことになるくらいだったら、原始人のような生活を続けておけばよかった。人間だって所詮1動物でしかない。

妙にポル・ポトチックなことを言っちゃう自分が怖いな。

これ以上はもう考えまい。

とにかく、私の浅はかな知識では「エコ=いいこと」という風潮の中、環境に優しいと謳った原発を受け入れてしまったように思えます。

エコの名のもとこれ以上危険な物を受け入れないようにしよう。

こうして人類は一つ一つ学んでいくのかしら?(・o・)

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No.10 Monday, 4 May

国連マジック♪

以前広瀬先生から冷戦時の国連マジックについて授業中に聞いたことがあります。

国連マジックとは私が勝手に作った言葉です(笑)国連での不思議な出来事を指しています。

授業中に聞いた話は冷戦時の話で、国連事務次長との面会にアメリカとソ連がダブルブッキングされた、という内容です。

表向きは秘書の手違いですが、そんなわけない(笑)

公に話ができない登場のアメリカとソ連に場所を提供したのでしょう。

国連が最悪の状況を改善するのに役立ってきるのだと知り、国連の存在価値を自分なりに納得しました。

(・o・)

実話今日、国連マジック見ちゃったんです!最悪な状況を打破、とまでは行きませんがわくわくするようなマジックでした♪

ここで言えないのが残念ですが、表にでない部分でも国連のいたるところで素晴らしい仕事がされていることを皆様に伝えたいです!

NPTを分たら・・・?

今日傍聴しながら、ふと思ったこと。

なんで3つも柱(議題)があるのか?

NPTが核軍縮と核不拡散、そして平和利用の3つの柱から成り立っています。それでもNPT=核軍縮を進めるものだと信じてきたため、核軍縮より平和利用を押す国々のステーテメントを聞くたび、もどかしい思いをしていました。

昨日から会議が3つに分かれて、少しそのもどかしさは薄らぎました。

後から3つに分けるなら最初から3つに分ければいいのに(・o・)!

傍聴しながら、ふとそう思いました。

何が言いたいかというと、3つの柱のせいで各国が論点のバラバラなステートメントを出すくらいなら、最初からそれぞれ3つの柱のステートメントを1つずつ作ればいいのに!と言うことです。

それを友達に言うと「それだとNAM(非道名所国)が核軍縮を強く言わなくなり、さらに平和利用を叫ぶのではないか?」と返ってきました(・、・)

確かにNPT成立当初は3つの柱を作らなければ核軍縮の枠組みすら作れなかった状況だったのかもしれません。しかし、今は少し状況が変わっています。

重複している国もありますが、NAM以外にも核軍縮に積極的なグループがいくつかあります!

せめて核軍縮だけでもステートメントを独立させて、もっと前進できないのでしょうか?

こんな事を考えながらも、核軍縮から論点を乱す3つの柱は、皮肉にも核軍縮を進めるにあたって必要不可欠だという意見に妙に納得してしまう・・・

また後味の悪いblogになっちゃった・・・

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No.9 Friday, 1 May

傍聴席&ばってん会

今日から会議が3つに別れます。

核軍縮、核不拡散、そして平和利用。

核軍縮会議の傍聴席に座ると・・・

なななななななーんと!そこにはNPTに加盟していないはずのイスラエルのプレートがっ(・o・);;;;;

実はイスラエル、20年ぶりにオブザーバーとして来たそうです!ただ来るだけではなく中東非核兵器地帯に対して結構積極的に活動しているようです!

なぜびっくり(・o・)なのか。

とーっても、ざっくり簡単に説明すると・・・

NPT再検討会議は元々20年間限定の条約でした。しかし、20年目の1995年、NPT無期限延長が決定され今に至っています。

「無期限延長=P5(米露英中仏)のみの核保有という不平等な状況を維持する」ということでP5にしかメリットがありません。

そこで事実上核保有国のイスラエルを含めた中東アジア非大量破壊兵器地帯(核兵器を含めた)に関する中東決議を条件に加えました。P5意外の多くの国は、この条件があることで NPT無期限延長を受け入れました。(他にもいろいろあるよ!)

さらに2010年のNPTで中東非核兵器地帯に関する会議を行うことが合意されました。

なの会議の参加を拒むイスラエルのせいで会議がいつまでたっても行われない!

結局今まで全然話が進まなかったんです。(これに怒ったエジプトは2013年のNPTの開始早々帰ってしまいました。北朝鮮のように脱退しないことを祈る・・・)

この状況でNPT未加盟のイスラエルが傍聴に来てさらに行動を起こしている、というのがどれだけ「びっくり!」なことか!!!

皆様と少し共有できたら嬉しいです♪

ばってん会さんとお食事(・o・)

NY在住の長崎出身の方々から成るばってん会さんとのお食事会がありました!

NYに羽ばたいただけあって、皆様とても生き生きとされていました!

我らが田上市長もいらっしゃっていたので、真珠湾で感じたことを話してみました。

-真珠湾は日本を受け入れる準備はできていた。長崎はどうか?-

2015年被爆70年を理由にオバマ大統領に平和記念式典に来ていただきたい、と言う声をよく聞くのだが、彼を受け入れる準備が長崎にはないように思えます。

人気者で引っ張りだこの田上市長、私なんかのお話に耳を傾けていただきありがとうございました(・o・)

効果はあまりないと思うけど(笑)

お話しできてよかったなー!!!

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No. 8 Thursday, 1 May

国連のサイドイベント会場の傍にICANによるデジタル展示があります。

タッチ式の大型スクリーンに世界地図が示してあり、一カ国に一つボタンがあって、タッチすると「その国が核廃絶に向けてどのような取り組みをしているのか」また「各声明文への署名状況」が分かります。

その日フィリピン政府との面会予定があったため、フィリピンがオーストリアプレッジに賛同していることを確認しにその展示へ向かいました。

すると中年のおじさんがなんだか楽しそうにポチポチしてました(・o・)!!

急いでるのにな~・・・内心そう思いながら近づくと、彼は「君の国どこ?」と聞いてきました。JAPAN・・・と呟くと、彼は目を輝かせ彼の知っている長崎に関する知識をもの凄い勢いで語り出しました(・o・);;

「長崎に着たら?」と言ってナガサキ・ユース代表団の名刺を渡すと、彼も慌てて名刺を渡してきました。

私は名刺をあまり見ずに「NGO?」ときくと「がぶぁめんとー」と返ってきて、もうびっくり!彼はボツワナの政府代表でした(笑)

国連って本当におもしろい!

政府の人間って遠い存在に感じていたけど、国連だと案外すぐそばにいる(笑)

話したついでに、第4回目の非人道性会議が南アフリカであることを伝え、「近いから行くでしょ?」と言ったら、なんだかごねてた(笑)

非核兵器地帯だからといって、皆が皆オーストリアプレッジに署名してあるわけではありません。アフリカもしかり。

彼の国ボツワナも賛同していません。

共同声明とは違い、オーストリアプレッジはただの1国のプレッジなので交渉はできません。オーストリア政府は「交渉できないからすべての国が賛同するなんて思ってない」とのこと。日本政府の方も「あんなの(交渉不可能なもの)に賛同するのはプライドのない小国だけだ」とおっしゃっていました。

長崎の想いとしては賛同してほしい(・o・)!!!!!

でもこれが核問題でなかったら?

「食料の問題」だったら?

交渉のできないものに安々と署名する政府であってほしい?

これが最近の私の悩みの種です。

ちなみに、ICANのデジタル展示はこちらからもご覧頂けます。

https://npt.icanaustria.at

ps ボツワナ政府の方の話が長くて、結局フィリピン政府との面会には間に合いませんでした(笑)

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No.7 Wednesday, 29 April

国連のロビーwith広瀬先生

 

更新遅くですいません

「日本政府」って誰?

昨日、日本政府の方がロビーでのんびりされていたので思い切って話しかけてみました。

彼は以前フェルーキ議長が長崎にいらっしゃった時に引率されていた方だったので、案外気軽に話すことができました(・o・)!

話した内容は、「中国ってどうなの?」といった感じです。

彼は安全保障環境が・・・難しいよね・・・所謂いつも通りのことを答えられていました。

学生相手だったからなのか、それともOFFの時間だったからなのか、「具体的に何がどうなのか?」という質問をしても、同じような回答を繰り返していました。話聞いててもしょうがないかなー(・o・)と思っていたら、なんと彼の「個人的な」長崎と中国に関する話を始められました!

彼曰く

「東京から見ると、長崎は中国にだいぶ寛容だ」とのこと。実はこれ、私たちのサイドイベントでも触れる内容なんです。日本政府代表団の彼の口から出たのがビックリでした。

私たちがサイドイベントで触れる「長崎と中国」は、日本の安全保障環境改善のために日本政府は中国にアプローチしてみればどうか?-私たち長崎市民は出島から続く長崎の土地の利を生かして市民レベルで関係を築ける、といった内容です。

それに比べて彼の言った「長崎と中国」は市民レベルの方だけだったのですが、なんだか言い方がいかにも東京の人って感じでした(・o・)

なんというか、長崎が中国に浸食されてるから、中国に寛容なんでしょ?って感じ(笑)!

確かに長崎に住んで2年の私には、日本長崎としての文化が何かと言われると何も答えられません。

しかし、だからと言って「あなたが言う程、寛容でもあらりませんよー!」と言うのが私の感想でした(・o・)

ただ、「長崎と中国」という話を自ら進んでされた事に、ほんの少し希望を感じました。

少し話を戻します。

ナガサキ・ユース代表団の活動を通して政府の人間の個人的な意見を聞く機会が何度かありました。

今回のように1東京の人間としての意見から、政府の方針と自分の想いのギャップに悩んでいるなど様々です。

話を聞くたび、政府の人間といえども私たちと同じ個別の意見を持った人間なのだと思い知らされます。

私が話した政府の方々以外の政府の人間も同じように個人的な意見を持っていることでしょう。

ではいったい長崎でよく耳にする「日本政府」とは誰の意見を指しているのでしょう?

NPTなど核問題を扱う国際会議の政府代表団?

それとも彼らが会議の内容を、報告する東京にいる外務省の人々?

岸田外務大臣?

もしかして安倍総理大臣?

まさか、国民全体???

うーむ(・o・)分からん。

この類の問題で悩んだら広瀬先生110番!

早速聞いてみると、「それが政治学の難しいところ」だとコメントいただきました。(文章が違ったらごめんなさい)

日本政府を批判することは必要だと思います。

しかし皮肉にも相手が誰なのか明確できないのはちょっと悲しいしかな・・・

なんだかまとまってないけど、これが今の私の現実。

あー、半年後ぐらいに読んだら絶対に恥ずかしいパターンだ(>_<)

ではでは。

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No.6 Tuesday, 28 April

国連本会議場傍聴席&サイドイベント会場

NPT2日目。

午前中は昨日と同じく傍聴。先日のデモで感じた活気や昨日の本会議場で味わった期待感はどこへやら・・・NPTが始まって2日の本会議場にあまり活気を感じられませんでした。もしかすると元々NPTを含め国際会議とは実にシンプルなもので、私が期待し過ぎていただけなのかもしれないのですが・・・

私は会議場から出て、昨日発表されたステートメントを読みました。

日本だけでなく、いくつかの国が「被爆70年」という単語をステートメントに入れていました。他にも「第二次世界大戦後70年」や「国連創立70年」といった言葉が見られました。特に驚いたのが中国のステートメント。国連創立70年の次に「70th the end of the World Anti-Fascist War」と続けていたことです。NPTで言っちゃうんだー(・o・)と思い、かなり驚きました。ちなみに毎度おなじみのChina dreamもちゃんと入ってました。中国のステートメントはここで読めます。(英語)

http://www.un.org/en/conf/npt/2015/statements/pdf/CN_en.pdf

午後からNGOが開催するサイドイベントに参加しました。内容は「もし核戦争が起きたらどんな気候変動が起こるのか?」というもので、日本語版で何度か同じようなものを見たことがあったので、いろいろ考えながら見ていました。専門家が時間と労力をかけて調べた「核戦争による影響」を目の前で必死に説明している状況で「気候変動とかを証明しないと前に進めないような核問題にもううんざり(´・ω・`)そんなことしなくてもダメな物はダメじゃん!」「確かにこの問題を自分の問題だと捉える事は大事だけど、この問題自身がその問題に近づいてくる人々の関心を削いでいる!」と結構投げやりな考えに至ってしまいました。何というか、開始2日目にして先の見えないこの問題に絶望しかけていました。

プチ絶望後、bang(若者中心のNGO)の笠原はんなさんから、彼女のblogに長崎の声を取り入れたいとのことで、ちょとしたインタビューを受けました。話した内容はblogに書いているようなことです。彼女は留学先のニューヨークの大学で原爆展を行い、そのゲストスピーカーとしてbangの方を招待したことがきっかけで今回のNPTに来たそうです。海外でこの問題に取り組んでいる日本人とお話しするのは、この旅が始まって2回目。彼女を見てハワイの浅子さん達の事を思い出し、私のプチ絶望感は少し癒されました(・o・)

 

 

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No.5 Monday, 27 April

国連本会議場傍聴席

真珠湾からblogを更新していなくてすいません(・o・)

言い訳をすると・・・

私は自然が豊かな美しい場所で悲しみの歴史と向き合ってきました。

それなのにニューヨーク、ゴミだらけで車のクラクションが本当にうるさい(;・∀・)

この街で多大なる損害を与える核兵器について真面目に議論しているのかと思うと何とも言えない違和感を覚えました。

私はハワイからニューヨークという環境の変化を簡単に受け入れることができず、しばらく自分が感じた事をまとめる作業を避けていました。

NPT3日目、ニューヨークにもやっと慣れ、自分の気持ちときちんと向き合うことができるようになったので今から溜めていたblogを順に投稿します(・o・)

NPT1日目。

とうとうNPT本会議がはじまりました。

まず各国の主張であるステートメントを立候補順に発表する所から始まります。各国と言ってもかなりの数があるので、これが一週間続きます。2階部分の席からそれを聞くのを所謂「傍聴」といいます。発表者と傍聴席の間にかなり距離があるので、当日券であわててミュージカルに入った客の気分がします。冗談抜きで双眼鏡が必要(・o・)!

今日は初日という事もあり、ステートメントを発表する国は主要国ばかりでした。

日本からは岸田外務大臣が来られていたからでしょうか?注目の集まる午後1番に発表していました。そしてその次にアメリカのジョン・ケリー国務長官。日本とアメリカが続いてステートメントを読むのはなんだか気持ち悪かったです。事実2人はその後仲良くワシントンに行って「2+2」閣僚会合に出席されたそうです(・o・)

岸田外務大臣が発表した日本のステートメントはここで読めます。(日本語)http://www.un.org/en/conf/npt/2015/statements/pdf/JP_jp.pdf

この中に(会場にいる若者には議場で立ってもらう)とあるのですが、ここでナガサキ・ユース代表団をはじめとする20名ほどの日本の若者が傍聴席で立ち上がりました。このことは事前に連絡されており、さらに私達は指定の場所に座るように指示され、立ち上がる合図を傍聴席にやって来た2人の政府関係者から受けました。実際に立ち上がり会場からの拍手を浴びた瞬間「あ、私達使われたんだ(・o・)」と思いました。というのは、今回の日本政府のステートメントは核兵器の非人道性の所で自国の具体的な政策を述べることなく、不自然な程すぐに若者の話を始めたのです。私には、最新の核兵器の非人道性のアプローチに積極的になれていない点を若者で誤魔化しているとしか思えませんでした。岸田外務大臣が英語でスピーチを始める直前に日本語版のステートメントが配布されたのはびっくりしました(・o・)

日本について1つ。日本政府のステートメントの冒頭部分で岸田外務大臣が自ら広島出身であることをアピールしていました。長崎広島にとっては歓迎すべきことですが、なぜアメリカとの関係を重視する安倍首相が被爆70年を迎えるこの時期に広島出身である彼を起用した理由がよくわかりません。被爆70年の重要性を認識した上で政府として具体的に動くつもりはないから、長崎広島をなだめるために広島出身の外務大臣を起用したのでしょうか?もしくは、岸田外務大臣以外に適任がいなかったのでしょうか?ぜひとも首相の意図が知りたい。

午後のマーシャル諸島の発表は冒頭で「日本の被爆者」がニューヨークまで来たことに触れているのが印象的でした。彼らが日本の被爆者に寄り添える理由はアメリカの核実験場だった過去を持ち、彼らの国にも被爆者がいるからだと思います。

マーシャル諸島がピンと来ない方でも「マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた水爆実験に衝撃を受け、デザイナーがあの大胆な水着をビキニと名づけた」という話を知っている人も多いのでは?(・o・)

なんとそのマーシャル諸島、核保有国を核軍縮義務違反で国際司法裁判所に提訴しています。核実験の被爆国として自国ができることを懸命に取り組んでいるのが伝わります。では戦争被爆国である日本は・・・?このことは後に書きますね。

前日に行われたデモの写真と皆が移っている写真などを一緒にアップしますね♪

 

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No.4 Friday, 25 April(NY時間)

真珠湾&戦艦ミズーリ

ハワイからニューヨークに無事に到着しました。

前回のハワイblogの続きです。

アリゾナ記念館と戦艦ミズーリで見たものを紹介している途中でした。

・見覚えのある光景-時計&被害-

・戦艦ミズーリに残る傷跡-神風特攻隊-

・2度目の開国

・真珠湾で愛されている禎子さんの折り鶴

□ 見覚えのある光景-時計&被害-

“attack”(攻撃時資料博物館)という展示コーナーで目にしたものです。

日本の日の丸が入った零戦やアメリカの戦艦、そして不発弾として回収された魚雷の展示がありました。その奥に長崎原爆資料館でよく見かける「死体」の写真や「止まった時計」を見つけました。長崎広島原爆と真珠湾奇襲攻撃、日本では全く異なる出来事として捉えられる傾向にありますが、原爆資料館と似た展示を目の当たりにして、それらは根本的に戦争被害という面で同質の物なのだと感じ、日本が抱えている極度の「被害者意識」を考えざるを得ませんでした。

(被害面を強調する展示があった訳ではない。特に人的被害の展示は指で数えるほどしか置かれていなかった。)

□ 戦艦ミズーリに残る傷跡-神風特攻隊-

戦艦ミズーリ、そこで日本の降伏を証明する、降伏文書調印式が行われました。

第二次世界大戦の始まりを象徴する沈んだ戦艦アリゾナと、終わりを象徴する戦艦ミズーリは海のなかで顔を合わせています。この戦艦ミズーリは、地下部分が博物館のようになっていて、驚くことに神風特攻隊の展示がありました!ここは日本なのか?となんだか変な気持ちになりました(・o・)

神風特攻隊の展示の由来は、1機の神風特攻隊が沖縄海域で戦艦ミズーリに衝突(攻撃)したこところから来ています。その零銭は衝突直後にボロボロとなり、後方部が搭載していた爆弾と一緒に海へ散り、前方部だけが戦艦アリゾナに落ちてきました。そのせいで火災が起きましたが3分程で消されたとのことです。水兵が掃除に取り掛かろうとすると、零戦操縦者の上半身のご遺体が見つかりました。

敵の死体。水兵達がそのまま捨てようとすると、船長が水葬(水兵の正式な葬式)をするように言いました。水兵達が反発すると、「いくら敵と言えども、戦艦ミズーリにここまで近づけた操縦技術と国のために命を顧みず勇敢に戦った姿勢は尊敬に値する。私は船長としていつか君たちにそのような命令を出す日が来るかもしれない。その時は彼のように勇敢であってほしい。」と船長が答え、水葬をすることになりました。零戦の操縦者のご遺体は一晩戦艦ミズーリで過ごすこととなりましたが、その晩一部の水兵達があり合わせの布を縫って当時の朝日国旗を作り、水葬の際にご遺体にかけたそうです。

素敵な話ですが、このような類の話は決して戦争を美化するものではありません。

人は誰しも悲しみを経験しているから戦争被害者(原爆などによる一般人の被害者)のことを自分と同じ人間だと捉えることは簡単です。でも兵士(加害者)を自分と同じ人間だと捉えることは難しいことではないですか?難しいというよりあまり気が乗らない?しかし戦争を考える上で、自分は当時の兵士と同じ人間で、自分も加害者になる可能性があることを認識する必要があるのではないでしょうか?戦争中の加害者間の人間らしい話を聞くことで、彼らが自分と同じ人間であることが理解できるのではないか?と思いました。

現在も衝突による船のゆがみが残っています。写真を載せておきますね(・o・)

□ 2度目の開国

東京湾に錨を下ろした戦艦ミズーリ。そこは降伏文書調印式の会場となりました。この場所、実はペリーが2度目に浦賀に来た時と同じ場所なんです(・o・)!アメリカは2度目の開国を日本に求める、というスタンスだったのでしょう。それを象徴するように、アメリカ側は本土から「ペリーが黒船で実際に使用した国旗」を取り寄せ、それを掲げていました。その話をガイドの方から聞いた時、アメリカがそのような演出をしたということに当時の日本との圧倒的な差を感じ、なぜこのような演出をしたのか?という問いですら考えたくなくなりました。

この降伏文書調印式にはもう一つ秘話があります。この場に登場した日本代表団の中には、命の保証が無いかもしれないと、遺書を書いて臨んだ方もいました。彼らが戦艦ミズーリに到着すると、そこには溢れるほどのアメリカ兵が待ち構えていて、さらに日本代表団が通る道には身長180cm越えの体格の良い人がぎっしり並んでいました。敗戦国という負い目と物理的な身長差のため、日本代表団の歩くスピードはアメリカ側が考えていたよりもだいぶ遅かったそうです。このとき通訳として日本代表団に入っていた方は「こんなにも人の視線が怖いものだと初めて知った」と回想されています。

(重光葵の義足の件はアメリカ兵の足にデッキブラシを括り付け、何度も何度も歩かせて4分程あれば机までたどり着くことを計算していた。そのため6分前に日本代表団を戦艦ミズーリに乗せた。*戦艦ミズーリでの日本語ガイドの説明より)

このような状況で始まった降伏文書調印式、日本政府代表団は「自由と寛容と正義の精神」という言葉の入ったマッカーサーのスピーチに驚きを隠せなかったそうです。通訳の方は後に回想録で「自分の耳を疑った。もし自分達があの立場だったら同じことが言えただろうか?」と記しているそうです。(*戦艦ミズーリでの日本語ガイドの説明より)原爆のことばかり勉強している私にとって、その後の話を聞くのはとても新鮮でした。ガイドさんの話や日本に関する展示から当時の日本が国としてどのようなものだったのかを垣間見ることができました。そして、当時の日本に「自由と寛容と正義の精神」という概念を理解するのに困難があったことに虚しさを覚えました。

□真珠湾で愛されている禎子さんの折り鶴

ハワイから書いたblogのほとんどに出ている禎子さんの折り鶴。

実際に見てきたので、写真を載せますね(・o・)

折り鶴は小指の先程の大きさで、ガラスケースのペトリ皿の上で力強く、しかし可憐に佇んでいました。

関連のお土産もたくさん販売されており、そしてそれを購入しているのが日系人だけでないことから、彼女の折り鶴は真珠湾にきちんと受け入れられていて、そして愛されているのだと感じました。

長崎では海外の人が原爆を知らない事に驚き、知らせようとがむしゃらに頑張っている方々をよく目にするのですが、以前から説明仕様のない違和感を覚えました。今回の真珠湾訪問でその違和感がはっきりしました。自分達の持つ悲しみを感じてほしいのであれば、自分も相手の悲しみを受け入れなければならない。それは想像するよりずっと難しく、しかしその先には思いもしなかった平和への突破口が現れる、私はこう思いました。まだ上手く説明できないのですが、このことをユース代表団の仲間やRECNAの仲間達と少しずつ話していきたいです(・o・)

長崎を違う視点から見ることが出来ると思い真珠湾を訪れたのですが、結果的に長崎だけではなく、日本を違う視点から考え直すことになりました。

NPT前に真珠湾に来ることができて本当に良かったです。

この経験は私に大きな「何か」を与えてくれました。

その「何か」は明日から始まるニューヨークでの活動を通して見つけます。

宿泊から送り迎えまでお世話をしてくださったピーターソン先生、

真珠湾を案内してくれたジャッキー小島さん、

初日に交流してくださったジェイミー小畑さんとアダム・コールドレンさん、

ピーターソン先生を紹介してくださった小泉さま、

その小泉さまを紹介してくださったRECNAの中村桂子先生。

このような素晴らしい機械を与えてくださってありがとうございます。

心から感謝いたします。

 

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No.3.5 Friday, 24 April(ハワイ時間)

真珠湾&戦艦ミズーリ

前回のblogに大切な写真を付けていませんでした。

ごめんなさい。搭乗ギリギリであたふたしていたんです(・o・)

アリゾナ記念館の死没者名簿の写真とアリゾナ記念館から戦艦アリゾナを見下ろした写真などをここにのせますね。

 

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No.3 Friday, 24 April(ハワイ時間)

真珠湾&戦艦ミズーリ

Aloha!

本日ハワイ最終日。

ピーターソン先生とプナホウschoolで署名を集める予定だったのですが、諸事情でキャンセルに(・o・)

それからお世話になった先生とお別れして、今はハワイ空港で飛行機を待っています。

少し時間があるので、前回のblogに書ききれなかった「真珠湾で私が見たもの」をここに書きます。大きく4つに分けてみました(・o・)!

(ネーミングセンスが悪くてごめんなさい・・・)

・今も生きている戦艦アリゾナ

・見覚えのある光景(時計&被害)

・戦艦ミズーリに残る傷跡-神風特攻隊-

・2度目の開国

□今も生きている戦艦アリゾナ

戦艦アリゾナとは、日本軍による真珠湾奇襲により負傷し、今でも真珠湾に沈んだまま保管されてある戦争遺構のことです。

アリゾナ記念館とは、その沈んだ船の上に十字架を描くように建てられた白く細長い建物のことです。ここに行くためにはボートに乗ります。

戦艦アリゾナから今もなおオイルが流れ続けていることは有名ですが、実際に見るとかなりの衝撃を受けます。

オイルの模様が次から次ぎに変化しているのです。

それは皮肉な程、美しいものでした。

この建物「悲しみ」のデザインは一切入れられていません。それは感じるものだから省いたのだとパンフレットにありましたが「省いた」というよりそこ(底)にあるから余計な手を加えなかったのではないかと思いました。

建物の奥に死没社名簿があります。両サイドには生命の木と呼ばれる彫刻が施されてあり、太陽の光がそこから差込、戦没者に温もりを与えているようでした。

写真では伝わらないのですが、実話ここオイル臭いがとてもきついんです。

美しい空間のオイルの匂いが、過去の出来事を私たちに語っていたのです。

残りの3つは飛行機の中で書いて、ニューヨークに着いたら投稿しますね!

 

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No.2 Thursday, 23 April(ハワイ時間)

真珠湾&戦艦ミズーリ

Aloha!

今日は真珠湾にあるアビジターパークとリゾナメモリアル、そして戦艦ミズーリに行ってきました(・o・)!昨日一緒に夕食を食べた、ジャッキー小島さんに案内していただきました!

長崎原爆資料館に多くのアメリカ人が訪れているのを肌で感じていたため、自国が被害を与えた場所に行く、という行為自体には全く違和感を感じていませんでした。しかし開園前からずっと並んでいたため、周囲のお客さんとの距離感が変わらない時間が15分程あり、どうしても周囲に目が行ってしまいました。私の周りにはどう見ても日本人(アジア系)ではない客さん達ばかりで、なんというか、「私は日本人だけど大丈夫かな・・・」「もう日本人ってばれたかな?」「これからNPTに行くのに悪い影響うけないかな・・・」などという不安でいっぱいになりました。

長崎ではアメリカ人を含めた外国人観光客に長崎を訪れてほしい、という風潮がありますが、実際自分がその立場になった今、そう簡単なことではないのだと痛感しました。

それからジャッキーさんのおばあさんの事前の交渉により無事にチケットを入手した私達は、時間を忘れ、時には意見を交わしながら展示物に見入っていました。

見ているうちに展示物が被害面だけではないことに気がつきました(・o・)!

アリゾナ記念館にも戦艦ミズーリにも

真珠湾奇襲前の日米の歴史(ペリーの時代から)、当時の世論、真珠湾奇襲をした元日本兵の動画、戦死者の出なかった戦艦ミズーリに傷跡を残した神風特攻隊、降伏文書署名に関する秘話、広島原爆、佐々木禎子さんの折り鶴、当時の日本兵の所有物

といった展示があり、しかもお土産屋さんにも関連した商品があり、それらは展示物の1つとしてきちんと受け入れられていたのです。

禎子さんの親族の願いを受けトルーマン大統領のお孫さんが率先して活動されて真珠湾による禎子さんの折り鶴を受け入が実現した、と前回のblogに書きましたが、受け入れ成功のカギはトルーマン大統領のお孫さんだけではなかったようです。もう一つのカギはタイミングでした。

ちょうどその時期、真珠湾では「戦争によってどんな結果がもたらされたのかを日米両国の立場から見直し、『和解』というテーマに焦点をあてて、活発なディスカッションや交流がおこなわれる企画を提供する*」という活動に力を入れ始めた時だったのです。*奇跡はつばさに乗って(源和子作)より

ピーターソン先生曰く、それにより3年前から展示内容が変わってきたようです。

なんだか長くなっちゃったので、続きはハワイ出発報告と一緒にしばらくしてから書きますね(・o・)!

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No.1 Wednesday, 22 April(ハワイ時間)

ハワイ:ピーターソン先生宅

Aloha!

驚く方も多いと思います。

私は現在ニューヨークではなくハワイに来ております。

ニューヨークに行く前にハワイを訪れることは、ナガサキ・ユース代表団の志望動機書を書く段階から決めていました。

なぜハワイなのか?

それは長崎を違う視点から考えることのできる真珠湾の存在に惹かれたからです。

現在長崎は平和都市として成り立っていますが、戦時中は軍事都市として機能していました。長崎で作られた魚雷がハワイの真珠湾攻撃に使用されたという話がそれを象徴しているのではないでしょうか?

まぁ堅い話はおいといて・・・(・o・)

今日の出来事について紹介したいと思います。

計画当初は思ってもいませんでしたが、RECNAの先生の素敵なコネクションのおかげで、ハワイで原爆関連に関わっている方々と交流を持つことに成功しました。

去年までプナホウschoolで日本語教師をされていた、ひろみピーターソン先生。(先生のお宅に泊まらせていただいています(・o・))

その先生の最後の教え子であり、現在ハワイ大学で勉強されている、ジャッキー小島さんとジェイミー小畑さん。

彼女達の友達で、ハワイ大学院でアジア(主に日本)の研究をされている、アダム・コールドレンさん。

長崎出身であり、ハワイで原爆展を1人で始められた、浅井真砂さん。(子供さんが大学生)

彼らと一緒に手巻き寿司を片手にたくさんのお話をしました。

□特に印象的だったものを紹介しますね。

・You did it first.からの大きな変化

・心のケアのない被爆講話は暴力である

□You did it first.からの大きな変化

これは浅井さんがハワイの小学校の歴史の授業の自由研究で原爆について話し始めた瞬間の出来事です。担当の先生が血相を変えて一言。

「You did it first.」(日本が先に真珠湾に戦争を仕掛けてきたということ)

当時の浅井さんは驚き、口をつぐんだそうです。

今日の浅井さんは当時のアメリカは原爆に対して極力触れたくなかったのでは?と回想されていました。

そんなアメリカに変化が起きました。

日本で平和の象徴とされている千羽鶴が広島原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さんが病室で作り続けた折り鶴に由来していることをご存じですか?

日本では知らない人も多いと思いますが、アメリカでは授業で用いる副読本に彼女の話があったり、禎子さんのお兄さんや甥っ子さん(佐々木雅弘さん、裕滋さん)が熱心に活動されたりしているので、案外知られているようです。

そんな禎子さんの折り鶴、なんとここ真珠湾にあるアリゾナ記念館に展示されているんです!

今から約3年前の2012年の夏、

原爆投下を命令したトルーマン大統領のお孫さんが長崎と広島の平和式典に出席されました。それだけではなく、彼は被爆者のお話を聞いたり、日本の高校生達との交流も持たれたそうです。

そんな彼に禎子さんのお兄さん達が「真珠湾に禎子さんの折り鶴を寄贈したい」とお願いすると、すぐに協力してくれたそうです。

自国が被害を受けた場所に自国が被害を与えたことを意味する展示をすることに、なぜ彼は協力したのか?彼にはこんなエピソードがあります。

彼は来日したとき、広島の高校生から「日本は敗けると分かっていたのに、なぜトルーマン大統領は原爆を落としたのか?」という質問を投げかれられました。

私は現在被爆地で生活しているからでしょうか、全く違和感を感じません。

それにに対して直接的な回答はされませんでした。

しかし冷静に考えると、彼にそのような事を聞いたところで何も良い方向に変わりません。むしろ憎しみが増えるでしょう。

彼はお互いが非難し合っては平和は作れないことを理解しており、事前に佐々木さん達とその質問には答えないことを話し合っていたのです。

非難し合っては平和はつくれない。この想いが真珠湾に禎子さんの折り鶴を受け入れることにつながったのではないでしょうか?

No more Hiroshima (Nagasaki).といえばRemember Pearl Harbor.と言う。

禎子さんの折り鶴受け入れは、いつまでも平行線を辿っているかの様に見えた両者の主張の、架け橋になっているのでは?と感じました。

またその架け橋は長崎と広島が「非難し合っては平和はつくれない。」という概念をきちんと理解し、それを目に見える形で示すことで、初めて完成するのでは?とも思いました。

□心のケアのない被爆講話は暴力である

これも浅井さんのお話です。

彼女、実は被爆2世なんです。

なんというか長崎にいると、被爆2世の方々=使命感にあふれていて、力強い発言をされる方というのが頭に染み込んでくるのですが、彼女を見ていると全くその様な感じがなかったので、言われるまで気づきませんでした。

思い切ってそのことを話すと、思い出話をしてくださいました。

浅井さん小学生の頃、少しだけ長崎にいたようで、いわゆる平和教育や、8/9の全校集会を経験されています。8/9の全校集会で「毎年毎年」学校の先生方がソ連などに核実験への抗議文章を送ったことを紹介しているのを聞き、抗議文を送るだけに甘んじていてその先を考えない姿勢に嫌気がさしたそうです。

そのような先生方と被爆講話を聞いたり原爆資料館に行ったりしたとき、小学生の浅井さんが精神的にきつくなっても、物理的に嘔吐などをしない限りそのまま何もしなかったそうです。

ハワイに戻りボランティア活動を通して、人に幸せを与える素晴らしさを学び、それから父親の死をきっかけにハワイで原爆展を行うことを決めたそうです。

浅井さんはハワイの人達に原爆展を1度見るだけではなく、興味を持ち続けてもらいたいと思い、ボランティアで学んだ、人に幸せを与えることを年頭に置き、原爆展の企画に取り組まれたそうです。

その結果、日本で行われている原爆展とはだいぶ異なったものとなりました。

浅井さんが工夫されたことは被爆講話(おそらくビデオ)の後はきちんと心のケアを行ったこと、原爆に対して被害者意識のない(あたりまえですが)アメリカ人が原爆のことに興味を持ってもらうために、「被爆」より先に「核実験」をキーワードとして挙げたこと、そしてそれらの情報源を科学的知見に基づいたデーターにしたことです。戦争を知らない若者に効果的だったとおっしゃっていました。

これはアメリカ向けの工夫ですが、被爆者なき日本(世界)で十分に力を発揮するものだと思います。

*ここでいう科学的知見とはこの動画のような感じです。

<iframe width=”420″ height=”315″ src=”https://www.youtube.com/embed/ykW_2YRQOpE” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

この原爆展を開催するために、浅井さんは広島や長崎の知識人達1人1人にデータの使用のお願いをしたそうです。その中で熱心に相談に乗ってくださった方が、私がいつもお世話になっているRECNAの中村桂子先生だったそうです。市民の力の大切さを理解されているのだと、改めて桂子先生を尊敬しました(・o・)!!!

まだまだ書きたい事があるのですが、かなりの長文になってしまったので今日はここまでにします。

明日は真珠湾と戦艦ミズーリに行ってきます!

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No.0 Friday, 22 April(日本時間)

成田国際空港

今日長崎から出発した、ナガサキ・ユース代表団3期生の川崎真由です。朝から出発して、ようやく成田国際空港に到着しました!

今はこれから始まるであろうナガサキ・ユース代表団としての素敵な経験に思いを巡らせ、心を弾ませています!

そのナガサキ・ユース代表団とは、ニューヨークの国連で開催される「NPT(核不拡散条約)再検討会議」への積極的参加を行う長崎の若者の団体のことです。(詳しくは公式HPをみ見てください)

ここでは「私から見た」ナガサキ・ユース代表団3期生の全体像を紹介します。

<出発前>

・過去のステートメント(国連で発表する各国の主張)での勉強

・核問題に取り組んでいるNGOの方々や外交官の方との勉強会

・NPTフェルーキ議長との意見交換

・国連内でナガサキ・ユース代表団が行うイベントの準備

・国連内外で他のNGOが行うイベントでのスピーチやプレゼンの準備

・いろんな人に平和についてメッセージをもらいアート作品にする準備

などなど・・・

<アメリカ滞在中>

・本会議の傍聴

・各国政府との交流

・NGOが国連内で主催するイベントへの参加

・イベントでのスピーチやプレゼン

・アメリカでも平和についてのメッセージをもらい、日本のものと合わせてアート作品を作成する

・ドイツ人学生とのディスカッション

・日本人学校での授業

・国連内でナガサキ・ユース代表団が主催するイベント

・会議のない土日に核兵器や戦争関連の博物館などへの訪問

などなど・・・

<帰国後>

・長崎大学での一般向け報告会

・長崎県・長崎市・長崎大学への報告

・なんらかの形で核なき世界の実現のための活動に関わっていく(募集要項より)

私が今思い出したものだけを列挙したので他にもまだあると思いますが・・・それはこれから更新される各メンバーのblogを見てチェックしてください♪

私個人はナガサキ・ユース代表団として、この中の活動の一部に取り組みます。取り組む内容はこれから順を追ってこのblogで報告します。

とにかく自分に出来ることを毎日こなしていこうと思います。どうぞ温かく見守ってください♪

それではいってきます(^O^)!!!!

 

日中首脳会談が気になるなぁ・・・

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