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Hanako’s Blog 【Do something for peace @Vienna】

 

No.0, Wednesday, 26April

こんばんは!!ユース5期生光岡華子です。現地時間で失礼します。

今回のNPT再検討会議第一回準備委員会への渡航中は“Do something for peace @Vienna”というタイトルでブログを書きます。どうぞよろしくお願いします。

・まずは余談から

ウィーンにたどり着くまでに台湾とタイを経由し、どちらも10時間以上のトランジットがあって、パスポートのスタンプ増やしたさにどちらも一度出国しました(笑)タイでは勢で市内に向かう電車に乗りここ!と思った駅で電車を降り、てくてく歩いて見つけたスムージー屋さんのお姉さんとおしゃべりしました。What’s your peace?をききたい!!!という思いから話しかけてみるとすごくかわいくて素敵なお姉さんで、タイのおいしい食べ物や像に乗れる場所を教えてくれました。そんな彼女のpeaceは“My heart”。もっともっと話したかったのでまた会いに来たい!!と強く思いました。一度話しかけると、それまでよりもお互いにすごく親しくなれる気がします。素敵な出会いをありがとう。Khob Khun Ka!

・思い起こせば

さて、本題に入ります。1月の記者会見で「どう行動するかが自分のテーマです」と断言した私は、自分の無力感を感じた約1年前のある経験を通して気づいた、“現状を変えるため、平和のために力になりたい”という自分の中の本当の思いに突き動かされてユースに応募しました。平和教育、核兵器の知識、日本政府の方針、核保有国の主張など、もちろん始まりは知ることからですが、これらを知った上で何を考えどう動くのか、を自分自身に問い続けなければと思ってきました。機会があれば掴みに行き、とにかく動いてみようと決め、これまで取り組んできました。まだまだここがゴールではありませんが、この期間中に自分に出来ること、仲間とともに成し遂げることの一つ一つを大切にして、多くの人に伝えていきたいと思います。具体的に何をするかについては明日の投稿でお伝えします!!

・NYでの経験を生かして

今年の3月27日~31日の期間でNYの国連本部で、核兵器禁止条約のための交渉会議が開かれ、私は数名のメンバーと共にこの歴史的な場面を間近で感じることができました。より良い未来のために、核兵器を本当に無くしたいと思って活動を続けたり、想いを伝え続けたりする人々が、私たちに渡してくれているバトンの重みを、その時に感じました。市民社会の影響力を実感すると共に、若者が動くことの意義は必ずあり、私たちが何かを学び、考えを持ち、微力ながらにも行動に移すということの重要性を感じました。今回もまた、多くの方との出会いや多くの方の支えに感謝しつつ、精一杯活動します。

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No.1, Thursday, 28April

こんばんは!こちらはもうすぐ午後11時です。今回は、昨日のウィーン日本人学校事前訪問のご報告をさせていただきます。まずは、私たちがウィーンでいったい何をするのか?というところから。

・ウィーンで何をするの?

会議期間中である、5月2日~5月12日の間に、主に以下のことを行います。

〇NPT再検討会議第一回準備委員会の会議傍聴

〇会議と同時並行で行われるサイドイベントへの参加、発表

〇IAEA(国際原子力機関)やCTBTO(包括的核実験禁止条約機関)訪問

〇ドイツやウィーンの若者たちと意見交換

〇ウィーン日本人学校での平和に関する授業実践

などです!

インプットしたことをどうアウトプットするのか、ということは常に私たちの課題でもありますが、今回はそのアウトプットの機会が様々な形であります。発表や意見交換、このようなブログなど、日本に帰ってからの活動の参考になるものばかりです。現地でしかできないことは、五感で感じ考えること!!すでにウィーンの雰囲気がすごく気に入って「もうジャージで出歩くなんてできないわ♡」と頑張ってVienneseに近づこうとしています(笑)

今この瞬間にここにいるからこその想いや感情をしっかりと形にしていきたいと思います。

・ウィーン日本人学校事前訪問

昨日の夕方、ユースメンバー3名で事前訪問を行いました。ユース4期生の先輩方が立ち上げられたプログラムの一つに“Peace Caravan”という、核の現状や平和の尊さを伝えるための出張授業を行うものがあり、その時の教材や内容を参考にさせてもらいながら、今回の授業のための準備を行ってきました。教育の重要性は、あらゆる場面であらゆる人が口にします。きれいごとではなく、平和な世界のためには教育が重要であるという考えに対して、私は本当にその通りだと、大学で教育を専門として学ぶ身としてもっと胸を張って言えるようになりたいと思うようになりました。本当に伝えるべきことは何か、子どもたちに感じてほしいことは何なのかを考えるうちに“平和教育”の難しさを改めて感じました。今隣にいる人を大切にすることが平和に繋がるということをやっと本当の意味で理解することができたように感じます。たったそれだけを伝えるのでも難しい、だけど教育という場面は毎日の中に溢れています。もっと広い意味での教育にはもっと大きな可能性があります。今回の授業も先輩方からのアドバイスや援助、現地校の先生方のご理解や中村先生をはじめとする先生方のご支援のおかげで実現するものであると認識しています。本当にありがとうございます。精一杯に頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。

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No.2, Tuesday, 2May

おはようございます。昨日はこちらの祝日(メーデー)で、今日が会議の初日となりました。Ban TreatyとNPTというだけでも雰囲気が違うことを感じるには十分ですが、ウィーンの国連そのものもNYとはまた違い、どこか冷静さを感じさせられる会場でした(かなり個人的な感想です)。しかし参加しているDelegatesはNYよりもはるかに多く、日本のメディアの方もとても多かったため、NPTが果たすべき役割の大きさが物語られているようでした。

・岸田外務大臣によるstatement

今回の会議のスタートは、日本の岸田外務大臣。非人道性への言及があったことは、広島県出身の岸田氏の想いも反映されていたように感じました。一方で現在の問題として多くの国々が言及したDPRK(北朝鮮)に関する安全保障への言及を聞くと、非人道性と安全保障が別個に存在するもので優劣がつけられている扱いであることがひしひしと伝わりました。「非人道性を訴えたいけど安全保障が大事だから無理」と、まるで言い訳をしているかのような主張を聞き、確かに安全を守ることが第一だとは思うけれど、核兵器が二度と使われない世界を実現することへむけての努力はできるはずで、日本は核兵器国にも訴えかけるくらいのリーダーシップをとるべきなのではないか、被爆地という名をただのアピールに使わないでほしい、と思いました。IAEAの天野氏のstatementが終了次第、会議の途中にそそくさと出ていった日本。何を意味して、逃げるように帰ったのでしょう。世界から見た日本は、どんな国なのでしょう。どうすれば、日本の核政策は変わるのでしょう。各国の一致した協力が必要だと訴えた日本政府自身が、協力しようとする意志があるのか?と思ってしまします。しかし、批判的思考をしただけで終わらせたら何も意味がなく、それは目的ではないということも同時に感じています。考えることは大切だけどその段階から進むことが求められており、そうしなければと思わされます。改めて、ここで自分は何ができるのだと問いかけたとき、やはり伝えることしかないと思いました。だけど、だからこそ、国や言語の壁を越えて伝えることに全力になることを自分に求めようと思います。

・NYで出会った方々との再会

今日嬉しかったことは、NYでお会いした各国関係者やNGOの方々にお会いでき、私たちのことを覚えてくださっていたことです。それは本当に“仲間”という関係を感じさせられるものでした。同じ関心の下で活動している人たちの繋がりが心強く、ありがたく、もっとコミュニケーションを図れるようになりたいと、何度でも思わされるのでした。

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No.3, Wednesday, 3May

会議2日目、今日は会議傍聴に加え、ICRCの方へのインタビューや会議中にはNGOプレゼンテーション、会議終了後にウィーン大学の学生との交流という充実したプログラムでした。

・印象に残ったstatement

国連内の学生にやさしい0.3€(約40円)のコーヒーを飲んで、会議傍聴に臨みました。核保有国のフランス、核の傘の国(NATO)トルコ、ハンガリー、ポーランド、非核兵器地帯メキシコ、タイ、と異なる立場の国々がstatementを述べました。まさにここが、多くの国が集い核問題について平和的解決を目指すための唯一の場所であるということをはっきりと感じさせられた時間でした。その空間にいながら、私が“おっ!”と思ったのはタイのstatementです。核問題はすべての国に関係するグローバルな問題であると述べた上で、認識の促進や問題への理解の重要性に“educational for younger generation”を含む、と私が認識している範囲では初めて教育に関する言及がありました。昨日ユースメンバーである酒井がFacebookでお伝えしたように、このgeneral statementの段階では各国が何に重点を置いているのかが垣間見えます。教育をどのように捉えているかまでは把握できていませんが、少なくとも一つの国家として教育が重要であると考えているということでしょう。タイは、Ban Treatyのstatementでも若者や教育という内容を述べていました。NYの方で政府の方とお話をさせていただいた際には、若者である私たちに温かな励ましと期待の言葉をかけてくださいました。若い世代に伝えること、バトンを繋ぐことが不可欠であると同時に重要な課題であるということを彼らは確かに認識しているということを感じました。

私自身が大学の教育学部に所属しているため、教育というキーワードに反応しますが、ユースメンバーの専門分野は本当に様々です。一人一人が感じることは違います。Facebookを通じて是非皆さんにも他のメンバーの考えを知ってほしい、とそればかりを思います。自分だけでここに来ることはできませんが、もしこれが個人の活動だったら明らかに自分の考えは限られていただろうと、仲間の存在をありがたく思います。物事を見つめるには多様な視点が必要ですが、それは決して一人で解決しようとせずに誰かと話し合ったり協力したりすることで、より深く考えることができるということでもあると思います。自分の考えを自分の中に留めずにたくさんの人と議論する姿勢を持ち続けようと思います。

・NGOによるプレゼンテーション

今日の会議後半、被爆者をはじめとするNGO団体からの発言として、長崎市長もスピーチをされました。スピーカーの顔が見える席に座ると、広島の被爆者である児玉三智子さんが話されたとたんに目が離せなくなりました。彼女が経験したあまりにも残酷な現実を、想像するだけで鳥肌が立ち、思い返すことがどんなに辛いだろうと、時々声を詰まらせるように話される姿を見て涙が出そうになりました。NPT体制が機能していないことへの指摘や、日本政府に対してBan Treatyへの参加を求めることをあの場所で述べることが、どれほど勇気のいることでどれほど心からの願いで伝えられているのか、感情なしに語れないと思いました。市長も、あなたの家族が核兵器によって傷ついてしまうとしてもまだ、核兵器が必要だと思いますか?というようなことを訴えられました。そして被爆地に実際に来て、被爆者の声を聞いて、そこにあるものを見て、心で感じてほしいと、強く述べられました。

しかし、いったいどれほどの想いが各国の代表者に伝わっているのだろうと、疑問に思わずにはいられませんでした。核保有国の代表者がその時その場にいたかさえ定かではありません。ましてや何人の代表者が、耳を傾けていたでしょうか。会場の後方の一角から発言するNGOの方を見ることもない代表者達の背中を見ながら、悲しさよりも悔しさとショックで唇をかみしめていました。残念ながら、ほとんどの人に届いていないということがわかりました。これが現実です。私はNYで被爆者のサーロー節子さんのお話を聞いた時、なぜここに保有国や日本政府がいないのかと悔やみました。被爆者の声を聞いたなら、核兵器は二度と用いてはならないものだと誰もが感じるはずだ、被爆者の声は一番大きな影響力がある、と思っていました。NPTの場で訴えれば、絶対に響くと思っていました。それなのに、核保有国も核の傘の国も、多くの国々の代表者がいる場所で、必死に訴える被爆者の想いがこんなにも、受け止められることすらないとは、考えが甘かったと痛感しました。自分はまだ何もしていませんが、勝手に悔しくなりました。“もっとちゃんと聴いてよ!!”本当にそう思いました。

そんな中、唯一、席が近かったこともあるかもしれませんが、ある国の代表者の方がNGOの方を向いて、ムービーまで撮りながら、そして悲しそうな表情で一生懸命に聴いてくれていました。その人に話をしたくてたまりません。どこの国かなんて関係ありません。彼に何が届いたのか、彼が何を感じたのか、一人の人としての話でいいから聞きたいという思いが一気に込みあげました。今日は時間がなかったので、明日以降で絶対に話に行きます。

各国の代表者の方々は全員が核問題を専門分野にしているわけではない、と中村先生から教えていただきました。ということは、全ての人が強い関心を持っているというわけではありません。いかにして興味のない人を巻き込むかという課題が今目の前にあるという状況です。これもまた現実であるということが何とも残念なような、納得いかないような気持になりました。“We need to discuss.”と話す国はたくさんあります。だけど、いくらその場所があったとしても、そこに向かう姿勢が消極的だったり相手の話を聞く態度がなかったりすれば全く無意味なものになるということが、まさに国際会議の場で証明されていると思いました。

始まったばかりと思っていた会議ももう3日目を迎えます。今後会議がどのように展開していくのか、また、自分たちが何をしたのか、何を感じたのかも引き続きしっかりとお伝えしていきたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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No.4, Thursday, 4May

おはようございます!会議3日目の今日は、IAEAの天野事務局長との面談、ドイツとウィーンの大学生との意見交換会、広島や沖縄の非核特使高校生と共にウィーン日本政府代表部にて北野大使と面談、国連前で集合記念撮影、長崎市長とチーム長崎懇談会、と会場外での活動がメインとなりました。場所の移動も含めバタバタなスケジュールでしたが、それぞれの場面でいろんなことを考え、いろんな感情になり、すごく充実した中身の濃い一日でした。

・IAEA天野事務局長との面談

皆さんは“原子力の平和利用”と聞いて、どのようなことを思い浮かべますか?多くの方が原子力発電のことをイメージされるのではないかと思います。私もそうです。しかし、実際に原子力技術は食品開発や医療現場において想像以上に活用されており、途上国における支援の例も数多くあるそうです。国際協力や途上国支援などに関心のある私にとって興味深いお話を聞くことができました。

・ドイツとウィーンの大学生との交流

私たちが会場に向かったとき、学生たちは先日国連の会議場でNGO側としてスピーチを述べられた、広島の被爆者の児玉さんのお話を聞かれている最中でした。学生たちからは多くの質問があり、熱心に聴いている姿が印象的でした。また、児玉さんのお話で「未だにトマトの湯剥きを食べることも見ることもできない。皮膚がただれて肉が出ている様を想像させられるから」というものや「70年以上も前のことでも、証言のための原稿を書く際には当時の情景が襲い掛かってくるように蘇る」ということを聞きました。被爆者の証言はこれまでも何名かから聞いたことがありますが、原爆が一人一人のそれぞれの人生に大きな苦しみや影響を与えたものであるということを改めて感じさせられました。

学生たちとの意見交換は、1グループ5人で、長崎からのメンバーはグループに一人ずつ入りました。自分の英語が伝わるか、彼らの英語が理解できるか、不安でしたが、お互いにネイティブではない言語を話すものどうしということもあり、彼らは私が言おうとしていることを理解しようと真剣に聞いてくれました。用意された話題も、決して簡単なものではなく①原子力の平和利用②核抑止論③負の歴史をどのように乗り越えるかといったものでした。

この中で、日本の原発についての意見や現状の説明を求められたとき、自分は反対であることや福島から学ばなければならないという考えは伝えられましたが、十分に自国の政策を理解していないことを痛感させられました。なぜ福島の後に再稼働する原発があるのか、代替的な再生可能エネルギーとして何が考えられるのか、国民の意見はどうなのか、関心がないということが彼らにとっては考えられないことであり、確かに自国の政策に無関心なんて無責任すぎるということを、日本の外に出て強く感じました。また、歴史的な面での知識が乏しすぎて、ドイツの学生にもっと踏み込んで聞くことができた話題があっただろうということも後で感じました。私は高校で日本史を学びましたが、ただ必死で覚えていた当時の記憶のほとんどが今は残っていません。だけど、過去から学ぶということは基本であり、現在の状況は過去の出来事なしに発生しないと考えると、いかに歴史を学ぶことが重要かを感じ、学び方が悪かったと後悔しています。もっと学びたい!!という意欲が消えてしまわないうちに頑張りたいと思います。

自由な話題を話していいというときに、将来の話になった際、両国の教師についての話ができました。ドイツでは、先生は憧れの対象にはあまりならないようです。就職先がなくてどうしようという人が、じゃあ教師になるか、という風な感じでなるそうです。驚きました。給料もそこまで高くなく(たぶん)、長期休みは仕事も休みになるということで、楽?なイメージがある?(とたぶん言っていました、、、)完全には理解できていませんが、この違いが面白いなと思いましたし、なぜかこの時、すごく自然な雰囲気がそこにあって、本当に互いが生き生きとやり取りができているとても楽しい時間でした。

そしてこの交流を通じて感じたのは、日常会話と議論が明らかに違うということです。同じコミュニケーションでも、ただ意思を伝えるだけではなく相手の意見を理解すること、それに関しての考えを述べること、理解できなければ聞き返すこと、という正に偶発的なやりとりはとても新鮮であり、刺激的であり、不十分な理解力でありながらも、その空間にいれることがとても嬉しかったです。私は性格的にボディランゲージが激しく表情もかなり騒がしいのですが、そこに想いが乗っていれば、100は伝わらなくとも互いの心の距離が縮まるような感覚を覚えました。この1時間半という時間はとても貴重であり、充実しており、もっと英語をはじめとする言語を話せる等になって交流の輪を広げたいと思いました。

・日本政府代表部での北野大使との面談

ここで最も強く感じたものもやはり議論における力であり、私たちが政府に対して意見を述べる場合は同じステージに立つための事前の努力を忘れてはいけないと感じました。単にこちらが質問をしても、まともに返してもらえるはずがないのです。しかしそこで感情的になってしまっては、問題の本質がずれてしまします。その人を責めることは目的ではありませんし、責めたところでその人にすべての責任はありません。そもそも責めようと思っているわけではないのですが、感情的になってしまう自分はまだまだだなと思いました。同じステージで議論ができるようになるには、もっと努力を積み重ねなければならないと、悔しさやもどかしさや、この問題がいかに複雑であるかを改めて感じました。

チーム長崎懇談会はすごくすごく楽しい時間を過ごせたのでたくさん書きたいですが、写真をのせるのでそこから感じ取っていただければと思います。明日はいよいよ、ウィーン日本人学校での出前授業です。今からそのための準備を行いますので、今日の報告はここまでで失礼いたします。ありがとうございました!!

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No.5, Friday, 5May

こんにちは!会議4日目の報告です。今日は、ウィーンでの活動の中の一つの大きなイベントである、ウィーン日本人学校での授業実施でした。教育学部で学び、この分野に関わってから一層、教育の重要性や教育の役割について関心が高まった私にとって、準備の段階も含めとても有意義な時間となりました。一方、会議の方はきちんと傍聴できていませんが、メンバーに話を聞いたところ、アメリカのスピーチが強烈だったということでした。後でウェブサイトに挙げられる原稿を確認しようと思います。

・ウィーン日本人学校での平和関連教育実施

前日の夜から、本当にこの流れで大丈夫なのか?と不安になりながら朝を迎えました。授業を通して子どもたちに伝えたかったこと、感じてほしかったことは“核兵器の問題は昔の話ではなく、今の自分たちにも関係がある”ということです。結果から言えば、子どもたちはしっかりとそのことに気づき、自分のことだけでなくもちろん身の回りの人にも関係のあることだと感じてくれました。授業前には緊張が高まっていましたが、ちょうどお昼休みの時間に着いたのでドッチボールをして遊んでいる子どもたちにと一緒に汗をかくほど全力でドッチボールをしたので、そこで私の心の準備は整いました(笑)「この子たちのために伝えたいことがある」そんな気持ちを、子どもたちは呼び覚ましてくれました。 小学校1~3年生グループ、小学校4年生~中学生グループの二つに分かれて、別々に授業を行い、私は低学年のグループで授業を行いました。大学の実習で小学校2年生の配当だった私は、その経験も活かせる場がこのような形で与えられたことがとてもありがたいと感じました。ウィーン日本人学校の先生方も、この日に向けて事前指導を行ってくださり、授業後にも事後指導をしてくださいました。子どもたちも積極的に発表をしたり、発言や質問をしたりと、授業をした側としてとてもやりがいのある環境で恵まれてました。

どうやって真剣な話に踏み込もうか、子どもたちの集中力は続くだろうか、そんな心配は全くの杞憂でした。現存する核兵器の数が15,350発だとわかった時、子どもたちは驚きの声を上げていました。4期生の先輩方がPeace Caravan(※補足説明は私のブログ№1を参照ください)の方でも使われている教材の“bb弾”を今回も用いて、その音で15,350発の核兵器の数を表現しました。それを聞いた子どもたちからは「すごく長かった」「怖かった」という声があり、一気に子どもたちはみんな真剣な表情になりました。あなたにとって大切なものはなんですか?と問いかけると「命」「家族」という答えが上がりました。当たり前といえば当たり前かもしれません。命が大切、友達とも仲良くしなきゃ、そんなことはもうわかっています。だけどそれがどうしてなのかや、本当にその通りだと感じる経験が必要だと思います。大切なものが無くなってしまう、壊されてしまう、そういう現実が73年前にあったということは、決して昔の話ではなく、自分たちのところにも落とされるかもしれない、自分たちが大人になった時にも関係があること、自分だけではなく友達にも関係のあることだと、子どもたちは考えを述べてくれました。

また、落とされた時間は朝?夜?どうして広島と長崎に落とされたの?原爆と核兵器は違うの?どうしてそんなにたくさんあるの?日本は核兵器を持っているの?といった質問が子どもたちから出てきました。より深い議論をするためには、低学年の子たちには難しいという考えは必ずしもそうではないように思いました。子どもたちの疑問は本当にストレートで、すでにこちらが当たり前だと思ってしまっていることに対して「言われてみれば確かに…」と感じさせられたり、すぐには答えられないものがあったり、純粋な子どもたちが私の目を見る表情には、こちらもこの子たちのために全力で向き合おうという気にさせられます。より良い未来を願うのは、決して自分たちのためだけではなく、目の前の子どもたちのことを思うからであると、自分の中にある使命感を再確認しました。

とてもとても充実した素晴らしい機会だったのですが、反省点として、教育学部のメンバーだけでかなりの部分を実施してしまい、みんなで作り上げるということができなかったということです。授業というと、かなりイメージが偏りますが、私は誰もが教育者になりうると思います。あらゆる場面で誰かに何かを伝える場面があるように、教育の場面も機会もたくさんあるのではないかと。だからこそ、みんなと協力して成し遂げたかったのにという後悔があります。帰国してからも、このような出張授業や修学旅行生との交流の機会があるのでもっともっと改善をして臨みたいと思います。

あなたにとって大切な人は誰ですか。人を大切にするとはどういうことですか。

平和な世界とはどんな世界ですか。あなたにとっての平和とは何ですか。

きれいごとではなく、あなたの近くにいる人を本当に大切にしてください。大切にするとはどういうことなのか、考えてみてください。今ある日常や何気ない幸せ、食べることがあることも明日が来ることも、当たり前じゃないと気づいた時、何かが変化します。あなたの気持ちかもしれない、行動かもしれない、見える景色かもしれない、物事の捉え方かもしれない、時間の使い方とか将来の希望とかかもしれない。それらが変わった先には、少し変わった未来があるかもしれない。

核兵器のない世界は必ず来るということを信じ、希望を持ち、行動を続ける。そんな多くの人たちと出会い、考えを聞き、たくさんのことを考えさせられ、刺激を受けてきました。今度は私自身が、誰かに影響を与えられるような存在になりたいと思います。

明日からの一週間はあっという間に過ぎてしまうと予測できるからこそ、今という瞬間を一生懸命に、仲間の分まで大切に過ごしたいと思います。今回の更新は大変遅れてしまいましたが、読んでいただいてありがとうございました。

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No.6, Monday, 8May

みなさんこんにちは。今日から会議は第二週目に突入しました。こちらで迎えた最後の週末は、10日のサイドイベントでの発表に向けた準備に追われることになり時間の流れが速いです(笑)残り少ない時間をいかに充実させるかを考え、最後まで突っ走りたいと思います。今日は、平和首長会議が主催したYouth Forumの中で、メンバーの二人がNagasaki Youth Delegationについての紹介を行いました。また、IAEAのショートトレーニングプログラムを組んでいただき、特に保障措置に関して学びました。

・平和首長会議での紹介

まず、平和首長会議とは、現在162カ国7,295都市の加盟都市から構成されるNGO団体でにほんでは広島と長崎をはじめとする1,668都市が加盟しています()。今回Youth Forumでは、広島と沖縄のユース非核特使である高校生によるプレゼンテーションやSkypeを繋いでのロシアとブラジルの若者のプレゼンテーション、フランスからのビデオメッセージなどがあり、内容はかなり濃かったです。私たちよりも若い世代の高校生たちの発表はとても堂々としておりパワフルで、想いを届けたい、伝えたいことがある、という彼らの熱意がひしひしと伝わってきました。資料のクオリティも高く、何よりも彼らの経験をベースに話されたことにより、感情的に訴えかけられる部分が多かったです。被爆者との交流を通して考えたことや日本政府に対して求めること、彼らが何を学んできたのかはとても興味深く、自分たちよりも若い世代の生き生きとした姿に刺激をもらいました。会場には、核兵器禁止条約交渉会議で日本のstatementを読まれた高見澤大使もいらっしゃいました。その空間で若い世代が意見を述べることができたのは本当に貴重な事であったと思います。

このサイドイベントの中で興味深かった話題は、ICAN(International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)Austriaの方が、young NGOについて話をされたことです。若者のNGOグループが様々な活動をしていることについて写真で紹介がありました。私は4期生の先輩方がはじめられたPeace CaravanをNGO団体にして活動を継続させたいと思っています。まだそこまでのプロセスを考えるには至っていませんが、すでにPeace Caravanが必要とされる存在になってきていること、この活動は提供する側もされる側も貴重な経験を得られること、ユースの特性上安定した母体を作り上げなければ継続できる活動として存在できる可能性が低いことなどから、NGOにしたい!!!と思うようになりました。もちろん、より多くの学生にこの経験をしてほしい、教育学部だけに関わらず平和考えること、現状を知り伝えること、仲間と議論をすることなどの大切さを感じるきっかけ作りをしたいという思いもあります。日本に帰国後、この現実性を考えることも含め、Peace Caravanの活動に力を注いでいきたいと思います。

・IAEAショートトレーニングプログラム

他のメンバーがある程度IAEAへの言及をしていることもあり、すでにIAEAとは何ぞやということを知っていらっしゃる方も多いかと思います。今回私たちが重点的にお聞きしたのは、NPTの非核兵器保有国に対して設けられる保障措置に関してです。原子力の平和的利用が行われている施設において、そこで発生する核分裂物質の量や種類が国からの申告の文書と相違ないかを、実際に査察を行って確かめる査察官が派遣されます。そこでもし、申告よりも核物質が多かったとなると、それだけ多くの核兵器を作る潜在能力があるということになります。一方、少なかったとなると、不正に外部に出て行ってしまった、つまり盗まれてしまったということが考えられます。しかし、施設のセキュリティはなかなか固いので実際に盗まれたという例はこれまでにないそうで、新たに懸念されているのは“内部脅威”といわれる、組織に属する内部の人がテロ組織へ核分裂物質を引き渡してしまう可能性です。

NPTの会議の中では、IAEAの存在の重要性を述べる国が多く存在しますが、実際にIAEAが行う査察は抑止として働いていると言えないわけではありません。しかし、システム上、核分裂物質を作らない、核兵器を作らないように事前に防ぐことができるわけではなく、作ってしまえばそれがわかるという仕組みです。IAEAが担うのは国際社会への情報提供であり、もし査察によって何か良くない結果が分かったとしても直接罰則することはありません。IAEAがいるから大丈夫という思い込みではなく、核分裂物質や核兵器を作っているという前提で査察を行わなければならないという、職員の方の言葉を強く覚えています。いつ新たな核兵器国が生まれてもおかしくないという危機感の中で、この保障措置が実施されているのだとわかりました。

NP(T)、つまりNon proliferation(不拡散)の考え方の下では、核兵器保有国が自国の核兵器を外に拡散することを防ぐということですが、disarmament(軍縮)という観点からみると、不十分な部分、理想とはかけ離れた部分が見られるのが現実です。いつまでも不拡散の考えで進めていては核保有国だけが有利な状況は変わらず、非兵器保有国の不満が募ってしまいます。もちろん、NPTの中で核保有国に各郡職を進める努力が義務付けられていますが、当然謙虚に進めるわけもなく、両国の間にはかなりのギャップが存在するわけです。

NPTの下の各国政府が口にする唯一の共有されたゴールである“核兵器のない世界の実現”。核兵器なんてない方がいいのは当たり前、使われないほうがいいのは当たり前です。そんなことは誰だってわかっています。しかし、なかなか核廃絶は進みません。本当に廃絶したいと思っているのか?という疑いが消えません。だから、本当に廃絶は実現できるのか?と思ってしまうようになるのです。非核兵器保有国やNGOは、核兵器の重要性や必要性を下げたり、核兵器が世界的に禁止されるという規範意識を作り出そうとしたり(核兵器禁止条約の交渉開始)、アクションを起こしています。私も市民社会の一員であるからこそ、核兵器廃絶の実現のためのアクションを起こす側で、今後もDo something for the peaceを忘れずに考え続けたいと思います。

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No.7, Tuesday, 9May

更新が遅れてしまいました。少しずつ載せていきます…

今日は、昨日に引き続きIAEAのショートトレーニングプログラムと、現在IAEAやCTBTO、ウィーン日本政府代表部、原子力開発機構等で働いておられる日本人の方との面会、明日のNGOルームでのサイドイベントに向けた準備を行いました。

・IAEAショートトレーニングプログラム

昨日は講義形式で学び、今日は実技といった感じでした。やはり実際に体験するというこがいかに大切かよーーーーくわかりました。というのも、IAEAが現地での査察でその施設に核分裂物質があるかどうか、どのくらいあるのかを調べたり、保管された箱を開けあられないようにしたり、開けようとした場合にその形跡が残る仕組みがあったり、シールで管理したり、ということをお話で伺ってはいたのですが、実際に触れて見てみると驚きや納得が倍になりました。説明にはがっつり化学や物理の内容が出てきて、物質の名前など聞いてもそれがどんな性質なのかといったバックグラウンドの知識が自分の中になく、難しいと思う部分が多かったです。それでも、放射線量を計測する機器を使ったとき、ウランに反応して音を出すものがあり、こうやって探知するのかと感心すると同時に放射線が目の前にあることを感じるすべがなさ過ぎて見えない恐ろしさを感じました。また、γ線(放射線の一種)は、ある一定の厚さの鉄の壁は貫通しますが、保管されている箱の厚さがそれ以上であると危機が反応しません。その場合は計測できないので、その国が物質を持っていないと嘘をついてもばれないということになると思ったのですが、そのような場合にはきちんと“計測できるようにしてもらう”ことができるそうです。どこまでが信頼関係で成り立っているのかわかりませんが、常に疑念や警戒心を抱かなければならない現状があるのだろうと推測しました。もっと“いいこと”に人間の開発力や技術力が活かされればいいのに…

また、物質を保管しておいて取り出せないようにするための仕組みは、よく考えられているなあと驚くものばかりでした。最も簡単な“シールでの管理”は、次の査察までのスパンが短いときなどに使われます。ケースのふたの近くの穴二か所に紐を通し特殊な結び方をして、紐部分に特殊シールを貼ります。そのケースを、シールにダメージを残さずして開けることはほぼ絶対に無理で紐を切るしかないという仕組みになっています。(伝わりますか?)もっと頑丈な止め方と、それが開けられようとした形跡の調べ方もそんなことができるのかといった驚きがたくさんでした。言葉で伝えるのは難しいです…

 

・国際機関で働く日本人の方との面会

皆さんのお仕事の内容に関してもお聞きしましたが、どのような道を歩んで今に至ることになったのかという、自分たちの未来を考えるための質問もメンバーから多くありました。将来的に国際機関で働きたいと考えているメンバーもおり、皆さんのお話はとても興味深かったです。メンバーの一人が日本の原子力発電の方針に関して言及し、資源の乏しい日本で原子力発電に頼ることは確かに現実的かもしれないが、福島以降、日本で他の原発が稼働し始めたことが果たして方針としてどうなのかということから、電力の需要を満たすための対策ではなく、需要が減るような対策をとるべきではないかという考えを述べました。私もこの考えにとても共感します。なぜなら、スーパーやコンビニの照明が明るすぎるのでもっと電力の消費を減らせるのではないか、計画停電が行われることで電力を賄っていた時期があるように、ある分でどうにかするしかないという状況になればそれでやっていけるはずである、と考えるからです。日本は便利すぎます。こちらに来て、24時間空いているコンビニは一つも見かけていません。多くの店が夕方7時から8時頃には閉まります。日曜や休日も観光地以外はほとんどの店が閉まっており、みんなが家族と過ごす時間や休息をする時間があります。“日本人は働きすぎ”だということが、単に真面目だからとか国民性だとかそんな問題ではないと思いました。遅くまで働く人たちが多ければ多いほど、一日の中で物質的な需要がある時間帯も当然長くなり、その時間帯の供給のために働く人が必要になります。仕事があることはいいことだけど、日本で考えられる働き方や社会の仕組みは絶対に当たり前だとは言えないということをとても強く感じます。私がこのようなことを考えていると、日本人職員の皆さんから“幸せって何なのか”“どういう社会を作っていきたいのか”ということを考えていってほしいと話されました。あらゆる物事は、その枠組みの中から見ただけではわからないことが多く、外に出てみて比較してみることで見えてくるものが本当に多くあると実感しています。内側にいるだけではその良さにも悪さにも気づけないのだということも、現地の学生との交流を通して感じました。きっと日本に戻ったら、また思うことがあるのだろうと予想しているので、今の気持ちも、その時の気持ちも、大切にしていきたいと思います。

・明日のサイドイベントの準備

明日は、私たちがこれまで調べてきたことや考えたことを披露する日です。今回ユースとして初めて、韓国の学生とのコラボレーションが実現し“若者として伝えたいこと”を多くの人に聞いてもらいたいと思っています。会議終了後に会場で機器接続の調整等を行いました。私のグループは“不信感と若者の活動”というタイトルのもので、国家レベルの不信感と市民レベルの不信感を比較し、市民同士の交流を通して私たちが互いの関係を築いていることから、若者がその不信感の払拭のために出来ることがあると考え、今回の発表を準備しました。前日の今日は最後の追い込みで大変なことになっています。しかし、ユースの先輩方や先生からのアドバイスとおサポートを受けながら、全員が明日に向けて必死で準備をしています。どうか、たくさんの人たちに私たちの想いが届きますように!!!精一杯頑張ります!!!

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No.8, Wednesday, 10May

遅れた更新が続いております。すみません…

今日という一日は、なんといっても私たちのサイドイベント!!!ついに終わりました!!!これまでの準備期間のことも考えるとここまであっという間だったように思います。途中で会場をキャンセルしてしまうことになるのではないかとヒヤヒヤした時期もありましたが、終わった今言えることは“やってよかった”ということです。主にこの振り返りと、その後のドイツの学生たちの模擬国連に関して書きたいと思います。

・サイドイベント

Why is the youth action so important? ~Challenge of Japanese & Korean Youth~

私たちはこのタイトルでサイドイベントを行いました。まず、終えた直後に私の中に残ったのは“悔しさ”です。何をしても、いつでも、そのすべてには満足できないことが多い性格なので私にとっては不思議なことではありませんし、私はこの“悔しさ”が毎回次の課題を見出すカギであり、次への意欲であると思っています。それも含めて“やってよかった”と思える経験となりました。まず、私たちの中にあった伝えたい内容と、伝えたいという思いや熱、それらはいくら伝える側の中に強くあったとしても聞き手が存在しなければ伝えるということは成り立たないと、当たり前のことを初めて身をもって痛感しました。聞いてくれる人の存在のありがたさなんてとっくにわかったつもりでした。しかし今日ほど、その聞き手の存在の大きさとそれが当たり前ではないということを感じた経験はないような気がします。というのも、今回私たちの発表を聞きに来てくださった方々がかなり少なかったことがショックでした。私は出番が遅かったこともあり、終わりに近づくに連れ、こんなに聴いてくれる人が少なくて、発表する意味はあるのだろかとさえ思ってしまいました。もちろん、会議二週間目であることや本会議の時間と重なっていたことも人が集まりにくかった原因ではあります。それでも、もっとできることがあったかもしれないと思いました。しかし当然、来てくださった方々には本当に感謝の気持ちばかりです。高見澤大使がお忙しい中、私たちのプレゼンを最後まで聞いてくださりコメントやアドバイスもたくさんしてくださいました。ユースが行ったアンケートやその分析に対して評価をしていただき、それぞれの自信にも繋がったように思います。高見澤大使も、もっと多くの人に私たちの活動を伝えるべきだと言ってくださいました。私たちの次の山場は報告会です。そこに向けてまた走り出したいと思います。

“悔しさ”から学んだことに関してもう少し書きます。このFacebookも同様、コミュニケーションには、発信者と受信者が必要で、もし発信者が想いを伝えたいと思うなら、そこには努力が必要です。まず、発信者の中に思いがあること。これは大前提であり、私はもう、次のステップに進まなければならないのだということをひしひしと感じました。口にするだけなら簡単です。考えを持ち、言葉にすれば、それが賛同の言葉であろうが批判の言葉であろうがそこに想いは存在します。しかし、その想いで何かに影響を与えたい、現状を変えたい、と望むなら、伝える努力と伝わる環境を生み出す努力が必要です。私がもし、どこにも所属していないただの21歳の日本人であれば、どれだけの人が私の声に耳を傾けてくれるでしょう。私は、長崎大学教育学部の4年生という場所に身分を置き、現在ナガサキ・ユース代表団5期生でありユース非核特使という肩書をいただいています。だから今、私はここにいる、そして想いを伝えようとしている。決して一人で出来ることではなく、自分一人だけの名誉ではないからこそ、努力と感謝の気持ちが必要です。 “私の想いを聞いてほしい”と望むなら、聞いてくれる人を増やす努力、ネットワークを広げる努力、相手の想いをしっかりと聞き寄り添う努力、そんな地道な努力が必要なのだということを“悔しさ”が教えてくれました。これまでの私は、とても恵まれたことに、いつも想いを受け止めてくれる家族や仲間がいました。身に覚えのある努力をする前に、私は、そのような環境の中で過ごすことができていたのだと感じます。自分の見える世界を広げるなら、もっと多くの人に想いを届けたいと望むなら、自分の足で自分という存在を知ってもらうための努力をしていかなければならない。誰一人知り合いのいない場所であっても、自分でコミュニティを広げなければならない。それが日本であっても、世界であっても。このプロセスが、これまでの敷かれたレールの上に沿って歩いてきた道から、今度は自分でレールが敷かれる前の道を切り開いていくという、本当の意味での自律や挑戦であるのかもしれないと思いました。大切な人を大切にする、出会いを大切にする、それらはこんな想いとも結びついたものであると感じることができます。今はただただ、この素晴らしい機会に感謝するばかりです。

・ドイツの学生の模擬国連

上の話に関連しますが、私たちのサイドイベントの後すぐに、ドイツの学生たちが行う模擬国連を見に行きました。それは、数日前に彼らとは交流があり、私たちのサイドイベントにも数名が足を運んでくれたからです。彼らにはありがとうという気持ちでいっぱいでした。だから、彼らの模擬国連にすぐに駆け付けました。模擬国連とは、日本でもあっているということを私は知らなかったのですが、国連の決まりにのっとって、自分たちで国連で行われているような会議を行うことです。ドイツの学生約50名は、13か国に分かれ、先生がchairをして、互いの議論を進めていました。Statementを読みながら“Mr. chair man”と、学生が読んだときは思わず「おおおお!」と口に出してしましました(笑)これは、実際の会議の中でもDelegates達が話題の区切り事?に読み上げるもので、本物にここまで近づけるのかと驚きました。もちろん彼らが話すのは英語です。みんなネイティブではありません。ただただそのレベルの高さと、ここまでの事前学習が相当なものであっただろうということへの敬意とで圧倒されました。私たちは、その中でメッセンジャーの役割をさせてもらいました。国連の会議中は、基本他の国とのお喋りは禁止です(実際の会議では普通に行われていますが)。そのため、各国のDelegatesの学生が物申したい国に対してメモを書くので、それを相手国のdelegatesの学生に渡しに行くというものです。この役だけでも身が引き締まりますが、各国の代表役なんて本当にすごいです。決議で賛成反対だけでなく棄権する国もあったり、会議の流れに納得いかなくて途中でボイコットする国もあったり…ものすごくリアルでした。

この模擬国連の、教育的効果はかなりのものがあると思います。小学校では授業でディベートを経験しましたが、さらにステップアップした先にはこれがあると思いました。世間の物事を自分自身の問題として考える機会が与えられれば、相当意識は変わると思いますし、今、その意識改革は必要であると感じます。自分自身、これまで世間の流れや政治に全く関心がなかったことは明らかに無責任であったと思うので、英語の勉強に励むとともに、しっかりと一人の国民としての考えを持つための努力をしていきたいと思います。

写真は後日改めてアップデートします!!

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No.9, Thursday, 11May

こんにちは。今日の会議を終えて残すは明日のみとなりました。メンバーも続々と帰国を始め、こちらにはただ今4名が残っています。昨日がバタバタの一日だったので、今日は割と余裕をもって過ごすことができました。スケジュールとしては、国連のカフェテリアでランチ、サイドイベントへの参加、会議傍聴、食事会といった感じです。

・国連での会議はどんな感じ?

せっかくなので今日はこのことに触れてみます。みなさんは国連の会議はどんな感じかイメージできますか?というのも、本来10時にスタートする午前の部の会議が、事前の連絡では今日は11時からということでしたのでその通りに向かうと、chairから少し話と、サイドイベントへの宣伝があって“はい、おしまい!”という感じで30分もせずに終わりました…。まさかのchairからの“Have a good lunch!”という陽気な締めの言葉に笑いました。国連の(軍縮関連の)会議の第一印象は、私がNYで感じたものになりますが、意外とゆるいということです。今回のNPTでも同じで、時間ぴったりに会議がスタートすることはまずありませんし、会議中もお喋りしているdelegatesもいます。途中で抜ける、席を立つは普通です。日本の国内の会議の方がよっぽどピリピリしていると思います。確かに3時間ずっと集中力を研ぎ澄ますのは難しいですよね…。そもそも約190カ国近くの国々が一堂に会場に集まり話し合いをするということがすごいことで、こんなにも多くの国が存在しているなんてやっぱり世界は広いなと感じる空間です。

・Delegatesとの交流

ウィーンの会議場はNYとまた違い、傍聴席が完全にdelegatesの席の横にあるため、距離が近いです。この会場だからこそできることは…delegatesへの突撃インタビューです。もちろん、本来は事前のやり取りでのアポイントが必要ですしこれが許されるのは私たちが若者であるからなのですが。この会議期間中にメンバーは各々が話を聞きたいと思った国のdelegatesの下へ行き、話をしてきました。私も二日ほど前に、ジンバブエの方とお話をしました。ジンバブエの方は被爆者やNGOのスピーチをとても熱心に聞かれていたのでぜひ話したい!という思いで行きました。結果的に、個人的な想いは述べられないとのことで聞き出すことはできませんでしたが、いきなり行ったにも関わらず、自己紹介をするとすぐに“Nice to meet you.”と、笑顔で握手をしてくださいました。日本人の知り合いがいらっしゃるそうで、お名前もなんとなく日本っぽい感じの方だったので、日本に対して思い入れがあられるのかなと思いました。とても優しい方でした。

そして、この日の会議がかなり早く終わったため、何もしないなんてもったいない!と、メンバーと共にアメリカ政府と話をしよう!と勢いで話をしに行きました。私は話しかける前からとても緊張してしまいましたが、みんなは何が何でもという気持ちをむき出しにしていました。彼らはとても忙しそうで、明日の会議には来るからそれが始まる前ならということだったので、明日に持ち越しになりました。核保有国であり、国家としての大きな影響力を持つアメリカ。私の中には不安と恐れから来る躊躇いがありました。聞きたいことはあるけれど“恐い”と思ってしまいました。被爆者の声を聞いてどう思ったか、本当に核廃絶を目指す気はあるのか、ケンカを売ってしまうような感情があったからかもしれません。他の国に対しては感じない、威圧感のようなものを感ましたが、それは彼らが原因ではなく明らかに私の考えに原因がありました。なぜなら、仲間達は「しつこいと思われるくらい行かないと何も聞けない」「若者なんだから何か間違えたら誤ればいい」そう言っていたからです。例え印象が良くとも悪くとも、こちらが働きかけなければ自分が考えているようにしか見えなくなってしまうということだろうと思います。高見澤大使が「ある国のstatementを要約されたものだけを読んでわかった気になってはいけない」とおっしゃったように、直接話さなければわからないことは多くあり、物事を見る視点を増やすには自分から動くことが必要であるということをひしひしと感じました。

・サイドイベントへの参加

桂子先生のお知り合いでNYでもお会いしていた、ニュージーランドのアラン氏からサイドイベントへのお誘いがあり、行ってきました。このサイドイベントの趣旨や背景に関してはメンバーの立石がわかりやすく書いておりますので、彼のブログ№8を読んでいただければと思います。実は私は、このサイドイベントに参加したものの、話されている内容をあまり理解することができませんでした。だから、終わった後にメンバーに聞いたり、メンバーのブログを読んで内容を理解したりしました…。まだまだ英語力が乏しく、自分を英語を使わざるを得ない環境に放り込みたい気持ちでいっぱいです。

留学すればよかったと考えることもありますが、とりあえず日本に着いたらラジオ英会話ででも英語の勉強をしようと思います。そして、こちらに来て英語だけ話せるよりも絶対にその言語数が大いに越したことはないということも強く感じたので、フランス語やドイツ語に関しても学ばなければという気になりました。

・食事会

久々のアジアン料理で中華料理を食べました。私は恵まれたことに国内であろうが海外であろうが何でも食べますし、旅先であっても体調を崩すということがほとんどありません(笑)丈夫に生み育ててくれた両親に感謝です。それでもさすがにパンに飽きてきた頃だったので、お米を食べることができ、お米に飽きることはないのでやはり主食はお米だと思いました。明日までの元気を取り戻せたので最後まで頑張りたいと思います。

残った4人組の写真を載せておきます(‘ω’)

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No.10(Final), Monday, 14May

こんにちは。私は今乗り換え先の台湾で日本へのフライトを待っています。今日は14日ですが、会議最終日(12日)の内容に加えて全体のfinal号となりますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。まず12日は、アメリカ政府へのインタビュー、会議傍聴、タイ政府インタビューといった流れでした。

・アメリカ政府へのインタビュー

事前に質問項目とその順番までみっちり考えて4人で向かいました。さすがにお疲れの様子でしたが、名刺をお渡しして挨拶をかわしました。質問した内容は主に「被爆者やNGOの話を聞いてどう思ったか」「原爆の投下により日本にいたアメリカ兵の犠牲者もいたがそのことについてどう思うか」「核廃絶は可能だと思うか」「実際に核兵器を使うシチュエーションはあるのか」といったものでした。核兵器は使いたくないし、廃絶はできると思っているというような答えでした。印象的だったのはその方が何度も“for your generation”と口にされたことです。各国の代表者は国民の命を守る責任があり、若い世代のためにより良い世界をという想いで関わられているように思います。その人が背負っているものはとても大きなもので、私たちからの言葉だけで核政策が転換できるようなことはないことは明らかでした。やはりここでも、以前感じたことと同じで批判するだけなら簡単だということを感じました。Critical thinkingは、教育的な側面でもその必要性を言われますが、批判的思考と訳されるとかなりマイナスイメージです。本当にそうか?と疑うということは、見方を変えてみるとか、他の方法を模索するとか、与えられたことを鵜吞みにせず自分で考える力を身に着けることが目的であると理解しています。やはり、アメリカ政府の考えに対してそれはおかしいと主張するところで止まらずに、しっかりと議論ができる土台を作り、論理的にも力のあるアプローチが必要であると思います。それは、相手を一人の人として尊重する態度にも結び付くものであるし、交渉のためには互いの関係性の構築も必要であるという感覚を、少しはつかめたように思います。

・会議傍聴

今日の内容は、昨日議長から配られたこの会議全体のsummaryが書かれたプリントの内容についての採択や質問、意見でした。Statementを読んでいた時とはまた雰囲気が変わり、発言を求める国は自国の札を挙げて指名してもらいます。この時はほとんどの国が各国の意見を真剣に聴こうとしていました。他のメンバーも言っていますが、この会議では各国の意見が違いすぎる部分も多く、まとめるなんて相当大変な話で、実際に各国からこの内容が含まれていないとか、満足いかないといった声もありました。しかしもちろん各国の代表者は批判だけではなく議長への敬意も示します。国連の会議で議長をするなんてストレスが溜まりすぎて嫌になると思います。議長さんはすごいです…。第一回準備委員会は終了しましたが、これが第二回、第三回と進むにつれてどのように変化が出てくるのか、そして最終的に合意文書を発行することはできるのか、今後の流れにも注目していきたいと思います。

・タイ政府へのインタビュー

私は個人的にタイという国が好きです。理由はよくわかりませんが、ユースに参加する前から魅力を感じていました。ユースに関わってからはさらにタイが好きになったのですが、その理由にはタイがstatementの中で教育の重要性について言及していたこと、そしてNYで面談をした時からタイ政府の方がとても優しく、親しみやすい方たちばかりであることがあります。NYでお会いして以来、ウィーンでも会った時にはまるで友達であるかのように(さすがにそこまではいきませんが)、彼らは声をかけてくれます。最終日も終わった後にどうだった?と話しかけてくださり、そのあとにタイの教育について聞いてみました。タイでは核軍縮に関する教育を高校と大学レベルで行おうと考えているそうです。Statementをタイ語に翻訳することを進めているのだとか(たぶん)。国民は、核軍縮や核廃絶についてどのような意見を持っているのかと聞いたところ、現在の核問題を多くの人が知らないし私たちでさえも分かっていないことがある、だけど国民はみんな平和な世の中が好きだ、という答えが返ってきました。なんだかもうすごく温かい人だなと、なぜか嬉しくなりました。タイは非核兵器地帯で、Ban Treatyのstatementでも教育の重要性を言及していました。タイに行った際には像に乗るだけでなく、教育機関ものぞいてみたいと思いました。今度はもっと、深い議論ができるように勉強して行こうと重います。

会議が終わってから、初めてテラスでご飯を食べました。天気も良くて最高でした!この日は終了後そのまま空港に向かうプランで、洗濯が間に合わずにスーツに普通の靴下を履くスタイルでした。学生ってきっとこんな感じです(笑)

・まとめ

さて、この熱が冷めないうちに書いておかなければならないことがあります。一体私は、この経験を通して何を感じたのか、そして今後どうするのかということです。一番に思い浮かぶことで私に出来ることは、Peace Caravanの継続です。今回の経験を自分中に留めるのは、自分の成長にも繋がりませんし、何よりも私は多くの人に知ってほしいと感じます。そして知った上で少しでも、その人の考えや行動が変わるきっかけになればいいなと思います。人に伝えるためには、自分も学ばなければなりません。核軍縮も含めた“平和”を扱う教育の側面からのアプローチであるPeace Caravanは私たちに与えられたチャンスの場でありチャレンジでもあります。ウィーンでの日々を通して芽生えた様々な想いをエネルギーに変えて、また新たに活動を続けていきたいという想いをここに宣言します。今後とも、ナガサキ・ユース代表団をどうぞよろしくお願いします。

ナガサキ・ユース代表団5期生
光岡 華子

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